幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・幸福の革命 参照です。

 

🍑 苦しみに打ち勝つ

 

幸福の科学は、1995年の年初に、「現在は宗教選択の時代である」と宣言し、以後、さまざまな活動を行ってきました。その結果、「宗教には、正しいものと、そうでないものとがある」ということが、まだ充分ではないにしろ、日本国民に知られてきているように感じられます。


 

その1995年には、仏教系の二つの教団が非常に大きな話題になりました。先に問題になった〇教団は小乗仏教的問題をはらんであり、のちの問題になったS教団では、大乗仏教的側面を持つ問題が出てきたように思います。


 

そこで、「いかなる教えが仏教として正統なのか。そして、いかなる教えが、あるいは行動が、仏教として異端なのか」ということを考えてみましょう。釈迦仏教の根本は三つの旗印によって明確にされています。これを「三法印」といい、この三つの印を見れば、仏教であることが確認できます。

 

 

三法印の第一は「諸法無常」という教えです。
第二は「諸法無我」という教えです。
第三は「涅槃寂静」という教えです。
この三つを備えていなければ仏教ではありません。あるいは、少なくとも釈迦(釈尊)の教えた仏教ではありません。


 

🍎 ①諸行無常ーあらゆるものは移ろいゆく


 

最初の旗印である諸行無常とは何でしょうか。それは、「この地上における、ありとあらゆるものは移ろいゆく」という教えです。すべては、ゆく川の流れにも似て、ひとときも同じところに住することはありません。


 

この世の中のすべての出来事には、原因があり、結果があります。そして、時々刻々、毎日、毎時間、毎分毎秒、時の流れとともに、新しい原因行為が始まり、新しい結果が生まれます。川の水の流れをだれも押しとどめることができなように、みなさん、一人ひとりの人生も、また、みなさん全員がかたちづくっている社会や国、世界も、日々、新しい原因行為によってつくりかえられ、変化し、流れていきます。


 

春が来て、やがて夏になり、秋が訪れたのち、冬が来るように、あるいは、花というものが、芽吹き、花開き、咲きほこったのち、枯れていくように、みなさんの人生にも春夏秋冬があります。大きな流れとしては、誕生があり、成長があり、老いがあり、死があります。


 

その時間の流れをとめることは、だれにもできません。「小さな赤ん坊が成長し、やがて大人となり、社会に出、結婚をして独立し、子をもうける。やがて老い、孫ができ、病にかかり、この世を去っていく」ーこのプロセスは万人に対して当てはまるのであって、だれひとりとして、ここから逃れることはできません。これが諸行無常という言葉の意味です。


 

このように移ろいゆき流れていく人生のなかにおいて、みなさんは何をとどめようとしているのでしょう。何をつかもうとしているのでしょう。みなさんは、川のなかの杭にしがみつこうとして、必死になっているのではないでしょうか。それを「執着」と呼びます。しかし、それは、はかないことです。むなしいことです。むしろ、流れていくことこそが、人生の本質であり、世界の本質なのです。

 

 

🍉 ②諸法無我ーわれも、わがものもない


 

二番目の旗印である諸法無我とは、いかなる意味の言葉でしょうか。「諸々の法は無我である」ーこの無我とは、そして、無我であるところの諸々の法とは、何でしょうか。この場合の「法」(ダルマ)とは、「教え」という意味ではありません。「存在」という意味です。


 

この世の中には、ありとあらゆる存在がありますが、それぞれは独自の存在のようにも見えます。しかし、はたして、それに実体があるかー 釈迦仏教はこれを探究し、その結論として、「すべての存在は無我である」「我なるものは無し」と言い切ったのです。


 

これを分かりやすくいえば、「真なる認識においては、われという存在はなく、わがものという存在もない」ということです。みなさんが「自分だ」と思っている自分は、おのずからなる性質を有し、宇宙において唯一独自の、無比の、常なる存在でしょうか。


 

「これが私だ」と言い切れる存在でしょうか。みなさんは「これが変わらない私である」と言い切れるでしょうか。諸行無常の教えで説いたように、人間は、生まれ、成長し、老い、病にかかり、そして死んでいきます。この肉体の変化をとめることは、だれにもできません。老いをとめることができる人はいないのです。


 

また、みなさんがいま「わがもの」と思っているものでさえ、いつまでも自分のものにしてくことはできません。みなさんが「わが家だ」と思っている家も、やがて朽ち、地上のものではなくなります。あるいは、人手に渡っていきます。楽しい学校生活をしていても、その学校がいつまでもあるわけではありません。


 

やがては、建物がなくなったり、新しくなったり、よそに移ったりします。また、先生も生徒も別の人たちになっていきます。「幸福な状態をこのままじっと抱きしめていたい。時間をとめ、空間をとめ、このままの私、このままの世界でありたい」と思っても、残念ながら、一切の現象は滅びに向かって変化していきます。


 

この世に存在するもので、その内に滅びの性質を持っていないものは、何ひとつありません。この世における、ありとあらゆるものは、滅びに至ることが、その誕生より決まっているのです。したがって、みなさんには、「これが私である」と執着すべき自分もなければ、「これが私のものである」と執着すべきものもありません。


 

お金も、建物も、人間関係も、どれ一つとして、そのままで永遠に置いておくことはできないのです。親しい人も、やがては、みなさんと別れ、死んでいきます。みなさんは常なるもののない世界に生きているのです。すべては流れ、すべては滅びていく世界のなかで、みなさんは欲望に執われ、執着に苦しんでいます。


 

物質欲、金銭欲、情欲、名誉欲など、われならぬ肉体が発するさまざまな欲望に支配され、苦しんでいます。しかし、その迷いの

ほとんどは、この世において、自分を永遠不滅の存在であるかのように、錯覚していることから始まっているのです。政治の世界においてもそうです。


 

自民党、社民党、共産党と、いろいろな政党がありますが、それらの政党は、二十一世紀には地上から消えてなくなるでしょう。ところが、やがてはなくなるものの運命と、みずからの運命とを一つのものと見て、闘い、苦しみ、疲れ、人びとは死んでいきます。すべては泡沫のごとき存在なのですが、執われによって苦しみが生まれてくるのです。

 

 

🍋 ③涅槃寂静ー心の平和


 

諸行無常、諸法無我という教えに続いて、涅槃寂静という教えがあります。みなさんは涅槃という言葉を、「この世を去った、あの世の世界のこと」と考えているかもしれません。それもまた涅槃の世界ー「涅槃界」です。


 

しかし、釈迦仏教における涅槃とは、あの世における理想の世界のことのみを指すのではありません。死後の世界のみが涅槃の世界であれば、生きている人間には、涅槃の世界は永遠に訪れないことになります。それでは、人間がこの地上に生まれてくること自体が、間違いなのではないでしょうか。


 

しかし、くり返し、くり返し、人間はこの世に生まれてきます。そして、欲望の苦しみのなかで、それから逃れようとして、その苦と格闘し、浮きつ沈みつしながら人生を流れています。そのなかで、実在世界における理想の世界を、体現することができるでしょうか。


 

それを、身をもって知ることができるでしょうか。それができたならば、「悟りを開いた」ということです。そして、悟りを開いた人間のことを、「仏陀」と称するのです。仏陀となるのは不可能なことではありません。


 

ゴーダマ・シッダルダが仏陀となりえたがゆえに、二千五百年にわたる仏教の歴史があったのです。したがって、正しい方法に則って修行すれば、仏陀となることは可能です。また、教えが正しく説かれ、弘まり、人びとに受け継がれ、体得され、実践されたならば、その法を伝えられた人びとも、みずからの修行をして、悟りの世界に入ることができるのです。


 

それが伝道の持つ意味であり、大乗仏教の始まりでもあります。それでは、涅槃の境地とは、いかなるものでしょうか。みなさん一人ひとりは、肉体から発する、さまざまな悪しき精神作用に執われているはずです。それを「煩悩」と称します。煩悩は、燃え盛る炎に似ており、自分自身が発したにもかかわらず、自分自身を焼きつくします。


 

また、煩悩は鉄から出たさびにもたとえられます。さびは鉄から生まれ、鉄そのものを滅ぼします。同じように、煩悩は、人間の生きるエネルギーのなかから、生まれてきたものでもあるにかかわらず、そのエネルギーを生んでいる自分自身をも滅ぼす性質を持っています。


 

この煩悩の炎を鎮め、吹き消した結果、そこに現われる平安の境地、平和の心、それが涅槃の境地です。その涅槃の境地に入ることを「解脱」といいます。1995年の前半、解脱という言葉を安易に使った、問題のある宗教教団がありました。しかし、解脱は心の平和をもたらす行為であり、殺人思想とは関係がありません。


 

仏教の基本が正しく理解されていれば、宗教の正邪はおのずから定まります。そして、邪教に迷わせる人も出なくなるのです。諸法無常、諸法無我、涅槃寂静の三つは、三法印といわれ、仏の教えの旗印です。これを失った仏教は、正統ではなく異端です。あるいは、仏教としては、はるかに中身の薄い教えを奉じていると言わざるをえません。


 

仏教の根本は、私たちが住んでいる、縦・横・高さを仮の世と見て、その仮の世における、仮の肉体的存在になるわれを、「真なる存在ではない」と見抜くことです。「この世において、実在界に生きていた時と同じ心で生きること」ーこれが悟りであり、仏教の求めるところであり、布教の目的でもあるのです。

 

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(私文:今回は、長文になってしまいました。)
この三法印の教えは、とても重要であり、長文ですけれども、是非とも読破していただきたいと思います。
幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生の説く「仏法真理」には必ず文章に隠されている ”波動” があります。天上界の波動とも、心の波動が必ず流れています。それを是非とも感じ取って頂きたいと思います。その波動こそ、私はこの仏法真理が本物であるという証拠であると信じています。


最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございます。是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・幸福の革命 を読んでください。

 

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