幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・繁栄思考 参照です。
お金持ちになることは善である 「富に対する罪悪感」を持っていないか
本章のテーマは、「成功を手にするためには」ということですが、読者のなかにはさまざまな人がいるでしょうし、成功の話は非常に幅が広いので、一般論を述べると切りがないでしょう。
そこで、やや珍しいかもしれませんが、「お金儲けをするには、どうしたらよいか。お金持ちになるには、どうしたらよいか」という系統の内容を述べてみようと思います。もちろん、本章を読んでも、お金持ちにならない人はいるでしょう。
ただ、私の法話を聴いて病気が治る人がいるのと同じぐらいの確率で、本当にお金持ちになる人が出てくると思います。さて、「成功」の定義を、「お金持ち」になるという方向に絞った場合、いちばん大切な考え方は「富を拒否しない」ということです。
特に、宗教が好きな人は、富に対する罪悪感を持っていることが非常に多いのです。二千年前、あるいは二千年以上前の宗教においては、キリスト教でも、仏教でも、ほかの宗教でも、そういう教えを説いていることが多く、結局、富というものを、ほとんど悪魔と同義に捉えているようなところがあります。
確かに、そういう面もあることは事実です。富あるいはお金によって惑わされることはたくさんあるので、それは「転落への道」でもあるでしょう。しかし、そうではない道、つまり、「発展・繁栄への道」も確かに開かれているのです。
そのどちらかになるかは、やはり、富を手に入れて成功していく人自身の生き方や志に関係すると思います。したがって、「現代において、原始仏教や原子キリスト教の教えのような、お金などの富を否定する考え方が正しいのか」と、ずばり訊かれたら、やはり、「ノー」と言わざるをえません。
成功者を悪人扱いする左翼思想の誤り
そのように、宗教的な原罪観から富を拒否し、富を悪く言う場合がありますし、あるいは、マルクス主義的な左翼思想により、「お金儲けをする人は、みな悪人だ。そういう人がいるから、多くの人々が貧乏で不幸なのだ」と考える場合もあります。
最近、そういう考え方がまた頭をもたげてきており、「格差社会」という言葉を使って、「格差ができたのはいけない」と言われるようになりました。テレビを見ていても、ホームレスの人を密着取材して報道するような番組が多くなりましたが、そのような人は昔からいたはずなのです。
ただ、やはり、現代では、「お金を儲けている人は悪い人であり、お金のない人は正しい人だ」という考え方は通用しないと思います。成功するためには、それだけの知恵も努力も必要なので、そうした智慧や努力を否定してしまったら、怠け者ばかりの世の中になってしまうのです。
一生懸命に努力しても成功できない社会には問題があります。それはチャンスがない社会であり、チャンスが平等にない社会です。だから、私は、「チャンスの平等は要る。機会の平等は必要だ」と説いています。
「そもそも、企業を起こすチャンスがない」とか、貴族、あるいは、昔で言うと、封建領主や大名の家に生まれなければ、出世の見込みがない」とかいう社会は、つらい社会です。一方、「チャンスが平等にあり、個人の努力や精進、才覚によって、道を開いていける社会は、よい社会だ」と私は思うのです。結果として差は出るでしょう。
しかし、差が出たからといって、道が開けて成功した人を妬んだり、悪人扱いしたりするような世の中はよくありません。そういう人を肯定し、素晴らしいところは「素晴らしい」と認めるべきです。
ただ、失敗者はどうしても出てくるので、一定のセーフティーネットというか、救済処置はいると思います。国のレベルや社会のレベルで、最低限の生活は保障しなければいけません。それと同時に、成功した人が、騎士道精神でもって、何らかの社会還元を行ったり、成功した企業が雇用を増やしたりすることも大事です。
失業対策は、政府だけが行うものではありません。企業においても、余裕があれば、就職先がないような地域に新しい工場を出すなど、社会に還元する努力をすべきであると思います。
私の人生を変えた「マネー・イズ・タイム」の思想
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(私文:カツオのさしみ)
今日はスーパーで一本丸まるのカツオを買ってきました。一本五百円です。絶対に安いと思います。魚を下ろして、片身ずつ串を差して、皮を焼いて、炙りカツオにしました。刺身にすれば、四人前は十分に取れます。田舎って、こういう所が良いですよね。物価が安くて新鮮なので、本当にありがたいです。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・繁栄思考 を読んで下さい。