大川隆法総裁先生 書籍・地獄の方程式 参照です。
地獄の ”殺戮劇” は今、この同じ空間で起きている!
地獄を単なる思想としてのみ捉えている人も数多いことでしょう。しかし、地獄は単なる思想ではなく現実にあります。
現実にあるといっても、仏がそれを創ったという意味ではありませんが、少なくとも、その世界に生きている者にとっては、現実さながらに感じられるということです。みなさんが病気のとき、高熱に浮かされて見る夢は、どのようなものでしょうか。
それは、真っ暗で、寂しく、冷たい世界の夢でしょう。あるいは、命を狙われて追いかけられたり、穴に落ちたり、事故に遭ったりという不幸な経験を、夢のなかでしたことがあるかもしれません。
そうしたときには、実は地獄の世界を霊的に垣間見ていることが多いのです。すなわち、地獄とは悪夢そのものでもあると言えるわけです。夢のありがたいところは、目覚めれば何でもないという点にあるわけですが、地獄という悪夢はなかなか覚めず、覚めるまでに何百年もかかってしまいます。
地獄の住人たちは、「これは悪夢に違いない。こんな馬鹿なことが現実に起こるはずがない」と言い続けていますが、不思議なことに、この夢だけはなかなか覚めません。夢がリアリティー(現実感)を持っており、その世界で新たな自己をつくらないかぎり、そこから抜け出すことはできないのです。
天国・地獄は、目に見えない世界のどこかにあるのではありません。はるか上空に天国があるわけでもなければ、地面の下に地獄がわるわけでもないのです。天国・地獄はみなさんが生きている世界と共存しています。
三次元世界のなかにあの世の世界が共存しており、人々の心のなかが、そうした世界へとつながっているのです。
地上の人間の目には見えませんが、往来を歩いたり、ビルのなかで仕事をしたり、学校で勉強したりと、みなさんがさまざまなことをしているのと同じ空間のなかで、実は地獄や天国が展開されているわけです。
みなさんから見れば、きれいに舗装された道路を歩いているだけであっても、その同じ空間で地獄の殺戮劇が展開されていることがありうるのです。まったく不思議な世界ですが、そうした思い、心というものが、リアリティーを持って存在し、夢が夢でなくなるときがあるのです。
したがって、あの世の世界は覚醒時と睡眠時とが逆転したようなものだと考えてよいでしょう。人間は一生のうちに何度か、リアリティーのある夢を見るものですが、そうした夢のなかで、以前に見た夢の続きを見ることがあると思います。
「これは前の夢の続きだな」と感じることがあるでしょう。そうした場合には、以前、睡眠中に霊界へ行き、そこでさまざまな経験をしていることが多いのです。
したがって、「自分は天国的人間か、それとも地獄的な人間か」「自分の心の傾向性は、天国と地獄のどちらに向いているのか」ということを知りたければ、自分が夢の世界で見るものを考えてみればよいのです。
平和な世界のなかで人々と喜びを分け合っているような夢を、数多く見るならば、その人は天国的な人でしょう。反対に、いつも夢のなかで暗く寂しく厳しい環境に置かれ、心が休まるときがないならば、その人は睡眠時に地獄へ行っているのです。
そうした悪夢を見ている人は、それが自分の来世の姿かもしれないということを実感していただきたいと思います。夢が夢でなくなったとき、あなたはどうしますか。そのとき頼りになるのは、仏法真理(仏の真実の教えであり、人類普遍の真理)を知っているということです。
仏法真理を学んでいるかどうかが、まさしく分かれ目となります。生きているときに仏法真理をしっかりと学んでいれば、悪夢のような地獄の世界からどうすれば逃れられるか、その方法が分かるのです。
しかし、生前に仏法真理を学んでいなかった人は、地獄には学校があるわけではないので、どうすればそこから逃れられるのかが分かりません。「知は力なり」という言葉は真理なのです。
”サラリーマン生活” は憑依霊でいっぱい・・・・・
ーーーーー〇ーーーーー〇ーーーーーー
(私文:波長同通の法則)
私は、若いころ、お酒を浴びるように飲んでいました。朝の出勤の車の運転は毎朝お酒が残っている飲酒運転(昔の話なので)でした。お酒が入ると悪霊に憑依されやすくなると言われますが、その感覚は良く分かります。どんどん心の底の動物的なものが表に出てくるような感じです。視野が狭くなり、自分を抑えることが出来なくなる感じです。波長同通というのは、悪霊も自分も同じになるということです。悪霊だけの責任でなく、自分の責任であると自覚しています。