大川隆法総裁先生 書籍・ストレス・フリーの幸福論 参照です。

 

「自己防衛の気持ち」が逆に自分を不幸にする

 

本章では、私がみなさんにお教えしておきたいことを、ポイントを絞って述べることにしましょう。幸福の科学では、「努力の教え」を中心に法の体系が出来上がっていますが、物事には何でも反面というものがあります。


 

みなさんのなかには、「努力の教え」に基づいて、日々、頑張っていても、自分自身の悩みや苦しみから、なかなか抜け出せずにいる人もいるのではないでしょうか。その場合には、「自分には、今、なぜ悩んでいるのか。なぜ苦しんでいるのか」とお考えいただきたいのです。


 

その原因は、おそらく、ただ一点に集約されるはずです。それは、「自己防衛の気持ち」です。「何とかして自分を防衛しよう」と思い、それに基づいて考え方を組み立ててはいないでしょうか。そのことを点検していただきたいのです。


 

 

人間も昆虫も動物と同じく、生物体として危険から自分を護るようにつくられているため、自己防衛を行うのは当然のことです。しかし、本能的に「自分を防衛しよう」と判断する気持ちのなかには、残念ながら、逆に自分を不幸にする要素が入っているのです。みなさんを苦しめているものの正体は、九割がた、そうした自己防衛の気持ちなのです。


 

① 自己防衛の例ー自己弁護する心


 

その自己防衛の気持ちとは何であるかというと、一つは「自己弁護」です。つまり、それは、「自分がこのような状態になったのは、いかに正当な理由によるものであるか」という言い訳です。


 

たいていの人は、「他人の言葉や行為、事件、世相、会社の状況、親や子供など家族の問題等、いろいろな環境要因や時代的要因、世間の要因などによって、今、自分はこんなに傷つき、苦しんでいるのだ」と、自分を正当化する理由を外に求めているはずです。


 

必ず何らかの理由は見つかるでしょう。何も考えつかないはずはありません。たちどころに二つや三つは出てくるはずです。


 

現在、自分が悩んだり、苦しんだり、傷ついたりしている理由として、例えば、「あの人が、こうしたからだ」「あの人の言葉によるものだ」「五年前、あの事故が起きたからだ」「十年前、子供が生まれたとき、うまくいかないことがあったためだ」「二十年前、学校を卒業するときに失敗をしたからだ」など、いろいろあるだろうとは思います。


 

ただ、その場合、「まず自分を防衛しよう」という本能が働いて、さまざまな言い訳が出てきているはずです。しかも、その不幸の原因を、自分自身ではなく、外部に求めていることが多いわけです。


 

おそらくは、「現在の自分に至るまでに接した、他のいろいろな人の言葉や行動、感情、それから、自分に影響を与えた事件など、さまざまなものが積み重なって、自分は不幸になっている」と考えているでしょう。


 

しかし、その考え自体が、実は、不幸の原因の一つなのです。自己防衛の本能は、自分を護ろうとする機能であるにもかかわらず、実際には、「自分が不幸である理由を説明し、自分自身を納得させよう」という方向に働いています。


 

つまり、不幸の原因を外に求め、ほかの人のせいにしたり、目や耳など体の一部が不自由であることのせいにしたり、頭があまりよくないことのせいにしたりして、いろいろな理由を挙げ、現在の自分が不幸であることを自己弁護しているのです。みなさんの心のなかに、そういう気持ちがまったくないとは言わせません。


 

絶対にあります。なかなか白状しないかもしれませんが、独りになってつぶやいたならば、必ず出てくるはずです。そうした自己弁護の気持ちのなかに、実は、自分を苦しめているものの正体の一つがあるのです。


 

② 自己防衛の例ー他人を攻撃する心


 

 

もう一つは、自分を防衛する気持ちが、「他を攻撃する気持ち」に転化していく場合です。これは、性格的に言えば、やや強気型、勝ち気型の人に多いと言えます。


 

このタイプの人は、単に、「自分は被害を受けた」という消極的な態度ではなく、「あいつに、やられた」「あれが原因で失敗したのだから、あいつが悪い」などと考えます。その結果、相手に対して、積極的に恨んだり、憎んだり、怒ったり、仕返しをしたり、ねちねちと締め上げたり、破滅するように祈ったりします。


 

あるいは、ほかの人に相手の悪口を言うなど、さまざまな根回しをして、陥れようとしたりします。世の中には、そういうタイプの人がいますが、こういう人は必ずしも悪人だとは言えません。なぜなら、そのような行動も自己防衛本能から派生してくるものだからです。


 

強い力を持っていたり、念が強かったり、体が強かったり、気が強かったり、能力が高かったりすると、他人を攻撃する傾向が出てくることがあるので、必ずしも、そういう人がみな悪人であるわけではないのです。


 

やや性格が弱いタイプの人は、自分を護ろうとする自己弁護のほうに傾きますが、性格が強いタイプの人は、逆に、他人を攻撃するほうに傾き、人を責めます。なぜなら、ほかの誰かが犯人になれば、自分の罪が ”許される” からです。


 

「あいつが悪い」ということにすれば、自分の苦しみの原因が解決するわけです。例えば、会社であれば、「社長が悪いのだ」と言えば済みますし、国のレベルであれば、「首相が悪いのだ」と言えば、それまでのことです。


 

あるいは、子供の成績の問題であれば、「自分の子供の成績が伸びないのは、担任の教師の学力が低いからだ」「学校が使っているテキストが悪いからだ」という言い方もありますし、「通っている塾の先生の腕が悪いからだ」という言い方もあるでしょう。


 

しかし、同じ塾に通っていても、違う結果が出る人がいることを、本当は知っているはずです。つまり、その塾のなかで、希望する中学や高校、大学に合格する人もいれば、落ちる人もいるわけですが、自分の子供が落ちたら、塾を批判し、合格したら、塾の先生を神様のようにほめ上げるのです。


 

ただ、そういう人は別に悪人ではありません。「普通の人」「ただの人」です。これは普通の心境であり、たいていの場合、そうなるのです。要するに、「自分の子供は、あの塾に通って、あの先生に教わったから、落ちたのだ」と言って、その塾や、そこで教えていた先生を攻撃したり、その塾の悪い評判を外に広めたりし、攻撃型で自分を護ろうとする人がいるわけです。


 

逆に、内にこもるタイプの場合には、家庭のなかの責任になり、「子供の出来が悪かった」と考えて子供の方を責めたり、「母親である自分が、昔、それほど勉強ができなかったために、子供の出来が悪いのだ」「父親の出来が悪かったからだ」「父親が仕事で家を離れていたからだ」「家にお金がなかったからだ」などという言い方をしたりすることもあります。


 

このように、不幸の説明を、内側に求める場合と外側に求める場合が両方ありますが、いずれの場合も、原因をグーッと絞っていくと、「自己防衛の気持ち」という一点に辿り着くはずです。幸福の科学では反省の教えを説いていますが、どうか、「自己防衛の気持ちが働いていないか」ということを、よく考えていただきたいのです。


 

おそらく、そういう気持ちがあるだろうと思います。実は、これこそが、みなさんを悲しませたり苦しませたりしている本当の原因なのです。

 

 

ーーーーー〇ーーーーー〇ーーーーーー
 

(私文:コーヒーからお茶へ)
今私は毎朝お茶を飲んでいます。改めてお茶の美味しさを発見しています。今までは長年、コーヒーを飲んでいました。タバコとかお酒をやっていたので、コーヒーが大好きだったのかもしれませんが、お酒は10年前、たばこは三十年前に止めました。そのせいか、コーヒーが前ほど美味しいと思わなくなったのかもしれません。大河ドラマの「天地人」を観ていて、豊臣秀吉が死ぬ前にお茶を飲むシーンがありまして、「美味い 美味い 美味い」と言って三杯飲むシーンが心に残りまして、そんなに美味いのなら、俺も飲んでみようと思って、飲み始めたのです。お茶は美味しいですね。夜飲むと眠れなくなるけれども・・・。

 

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・ストレス・フリーの幸福論 を読んで下さい。