大川隆法総裁先生 書籍・悟りに到る道 参照です。

 

天国と地獄

 

①三途の川へ

 

そして、しばらくは上昇しているような感じですが、やがてまわりの景色がだんだん変わってきます。それは民族によってずいぶん違いがあるのですが、日本人の場合ですと、山のような景色が見えてくるところにやってきます。ちょっと山がかっているところです。

 

 

そして、いつの間にか導きの霊がいなくなります。「あれ、今までついてきたのに、いなくなったなあ」と思い、山の麓、あるいは野原といったところで自分が一人になっているのに気がつきます。まわりを見渡してみると、非常に広大な風景が広がっています。


 

地上の風景よりも、はるかに広い風景です。その広い風景のなかに、自分ひとりだけがいるということで、ものすごい不安感に襲われます。
ふと身体を見てみますと、自分が生前着ていた服とは違うようなものを着ていることがよくあります。                      


 

白い服を着ていたり、青色の服を着ていたり、「あれっ」と思うような、昔の縄文時代か弥生時代の貫頭衣(一枚の布に穴を開け、首だけ通して縄で縛る服)に少し似たような不思議な一枚の服を着ているようなことが多いです。                                


 

もちろん、そんな大ざっぱな格好ではなく、服装にこだわっている、ファッション感覚の優れた方もいっらしゃいますが…………。いずれにしろ、焼かれたら着物もないはずなのですが、不思議なことに、裸であの世を歩いている方はあまりいないのです。


 

何か着ておられます。というのは、肉体がまとっていた服はすでに焼けているのですが、いつも服を着ている自分というものが意識にありますから、実は、霊体の外側にある幽体の部分が、そういうふうな服のかたちに変化しているのです。                            


 

自分でも知らないうちに、自然に、そのように自己意識のままに現れてきているのです。そして、ひとりになって歩いてゆきます。人によってはずいぶん違った景色を見ることがありますが、たいていは人口密度の少ない野原や山といったところです。               


 

だいぶ歩いてゆきますと、日本人でしたら、たいていの方が川にいきあたります。これが有名な「三途の川」というところなのです。この三途の川に行きあたります。生きているときに臨死体験をされる方がよくいますが、そういう方は、たいていその川のところまできて、渡るか渡るまいかと思っているときに、後ろから呼ぶ声がして、ふり向いたら生き返っていたというのが多いのです。                                     


 

この川を渡ったら、もう戻ってこれないという意識の境界線のようものが出てくるのです。おそらく八割以上の方は、亡くなったときに三途の川を見るはずです。三途の川は、地方のほうでしたら、多少、田舎の川に見えます。都会のほうですと、もう少し垢ぬけした川を見ることもあります。霊界の川にも多少そういう違いがあります。              


 

賽の河原 

 

 

そこの行きますと河原があります。ここでは、人によって、川の感じが違い、見るものもちがうことがあるのです。親として生きていたときに幼い子供を亡くした方、あるいは妊娠中絶をされた女性は、この河原に行ったときに、小さな子供の霊を見ることがかなり多いのです。                             


 

河原のところで小さな子供が遊んでいるのです。妊娠中絶した女性の子供は、もちろんお腹の中の子供ですから、赤ちゃんのはずなのですが、その子供がなぜか三歳から五歳ぐらいの大きさになっていて、たいていその河原で会うことになるのです。            


 

大きくなっているのですが、不思議なもので、なぜか自分の子供だというのがわかるのです。あるいは、小学校時代に死んだ子供とか、幼くして亡くなった子供など、心を痛めていたような子供が、必ずその河原のところで出てくるのです。びっくりします。                          


 

これが、いわゆる「賽の河原」というものです。なぜ、そこにそういう子供がいるかと言うと、子供ですから、自分が死んだという判断もつかず、自分がいったいどうなったのか、いったいどうしたらいいのかがわからずに、あの世の川を渡りきっていないからなのです。  


 

そのため、地上のお父さん、お母さんのところに意識が結びついているのです。このように成仏できないでいる子供がたくさんいます。霊界にも旅立てず、この世にも戻ってこれないという宙ぶらりんなところにいる子供が、その川を渡れずに、手前のところにずいぶんいるのです。


 

女性の方の場合は、幼くして子供を亡くされた方や、あるいは、現代はあの世や魂を信じていない方が多いですから、人口流産をされた方もそうとういると思いますが、たとえ経済的理由であろうとしたにしても、子供としては、やはり本来の計画をまっとうできないで死んだことになります。      


 

すると、もう少し大きくなった童子、わらべという感じの三歳から五歳ぐらいの子供と会うことになります。しかし不思議なことに、お互いに霊同士なのですが、その子供に声をかけても、向こうには聞こえないのです。一生懸命「○○ちゃん」とよんでいるのですが、まったく聞えません。  


 

ほんとうに幼くして両親から離れた子供というのは、自閉状態に非常に近い感じになっていて聞えないのです。何を話しかけても聞こえず、まったくわかりません。そして、「賽の河原で石を積む」と言いますが、ほんとうにあのようなことをしていることがよくあります。                   


 

したがって、親が宗教心を持っているということは、非常に大事なことなのです。そうでないと、子供までがどうしたらよいかがわかりません。親にわからないようなことは、子供にはわからないのです。


 

ですから、幼くして子供を亡くした方、あるいは中絶で亡くされたような方は、そういう事情をよく知って、子供に対して、あの世の生活に戻ってゆくように、あの世で幸福に暮らすようにという思念を、ある程度送ってやらないといけません。                          


 

一人前になったら自分の責任ですが、子供たちの場合はわからないからです。このように、そこで、生前の反省の一部がすでに始まってくるのです。

 

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(私文:私の色心不二とは❓)
やはり、疲れると心が萎えてしまって、動かなくなってしまって、ボーっとしてしまいます。最近はボーっとしてしまうことが多く、なんとかしなければヤバい!と思ってしまいます。基礎体力がなくなってきているので、筋肉をつけなければと、腹筋をやり、少しストレッチも始めています。まだ効果は出ていませんが、この方向だと信じて、少しづつ始めています。幸福の科学の最新の映画で「二十歳に還りたい」という映画がもうすぐ公開されますが、私はまず、筋肉造りから始めています。

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・悟りに到る道 を読んで下さい。