大川隆法総裁先生 書籍・人を愛し、人を生かし、人を許せ 参照です。
努力による向上
早い時期に「克己心」を身につけたのは、私にとって大きなことでした。克己心の出発点は、自分は不十分だという自覚だったと思います。
「自分はまだ不十分である。このままでは満足のいく自分ではない。なんとかして、もっと素晴らしい自分になりたい」という気持ちが強かったのです。
克己心をもてること自体が一つの才能だと私は思います。外見にすぐ現れる才能もあるでしょうが、克己心を持つこと、すなわち、「自分を高めたい。弱い自分に打ち克ち、立派な人間になりたい」という気持ちを持つことも、大きな才能なのです。
ある意味では、これはオールマイティーな才能だと言えます。学校や一般社会ではなかなか教えてくれませんが、克己心というものはオールマイティーな才能であり、これさえあれば、いろいろなところで道を開いていけるのです。
たとえば、「こんなところに、どうして」と思うような岩の裂け目から、水がほとばしり出ていることがあるように、あるいは、石の上にでも草花が咲いていることがあるように、克己心さえあれば、どのような困難に陥っても、必ずや出口が見つかるものなのです。
読者のみなさんのなかには、お子さんをお持ちの方も多いと思います。子供に何を教えるかを考えると、「学習塾だ」「ピアノだ」「スポーツだ」などと、いろいろあるでしょう。
しかし、技術だけに目を向け、その結果がすべてだと思っていては、まだまだ充分ではありません。その奥にある本質的なもの、すなわち、「弱い自分に打ち克って、素晴らしい人間になっていこう」とする精神態度の重要性を教えてあげることが大事です。
それこそが、たとえ子供が充分な成長をとげることなく、地上を去ることになったとしても、親が子供に与えることのできる最大の贈り物なのです。
私は子供のころから、「他の人が一時間でやったことを、同じ時間ではできなくとも、三時間、四時間かければ追いつくのではないか」「他の人が一年で飽きてしまうことを、飽きずに四年、五年と続ければ、追いつくのではないか」と常に思っていました。これが原点だったという気がします。
私はずいぶん回り道もしましたし、徒労にすぎなかったと思うこともありましたが、その道程が、いつのまにか、器を広げることに役立ったと思います。
努力を継続していけば、ある時点で、化学変化でも起きたように変わるというのは真実です。その変化がいつ起きるかは分かりません。しかし、努力を続けていくことが、新たな道に入っていくきっかけになるのです。
平凡のなかの非凡ー光を放つ・・・・
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(私文:老人からの脱却!)
私は、だんだん年を取ってきて、身体が老人の体になってきていることが自覚できます。肩が凝る、腰が回らない、階段をのぼるのが大変、などで感じてしまいます。でもでも、格闘家の身体にもし一部でも近づくことができるのならば、肩こりとか、階段の上り下りの問題を解消できるのではないかと思うのです。格闘家の身体の体脂肪が極端に少ない筋肉質の身体をイメージして、毎日、五分、10分から自分の身体を鍛え直してはどうなのか、単純で簡単な運動を、100回したらどうなるのか?などと思って、そのイメージに合わせて、毎日の生活を改めてはどうかと考え、少しづつ始めているところです。何と、時間と気力が自分にあるのかどうか自信がありませんが、とりあえず、プールに行って泳ぐことからはじめようと思っています。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・人を愛し、人を生かし、人を許せ を読んで下さい。