大川隆法総裁先生 書籍・生命の法 参照です。
どのような人生観を持っているかで幸・不幸は変わる
本章では、「生き通しの生命」というテーマで述べていきたいと思います。これは、私の著書『復活の法』(幸福の科学出版刊)を別の角度から見た内容になるでしょう。
宗教には、さまざまな教えがあり、悟りにも、いろいろなものがあります。そのなかで、結局、いちばん大事なことは何でしょうか。それは、「人間の生命は生き通しである」ということです。
「自分が授かっているものは『生き通しの生命』なのだ」と悟ることが大事なのです。この世で生きている人間には、さまざま悩みが生じてきますが、「自分が生き通しの生命であることを悟った人は一生の宝を得たのと同じだ」と言えます。
ところが、この世に生きているなかで、「生き通しの生命」ということに考えが届かず、「人間は、この世で迷い、悩み、苦しんで、やがて朽ち果てたら、それで終わりなのだ」と思っている人には、この世は「苦しみの世界」以外のなにものでもありません。
そのような人にとって、人生は単なる苦しみでしかないでしょう。「自分は、なぜ生まれたか分からず、どこから生まれたかも分からない。自分自身で両親を選ぶことさえできず、偶然に、この世に生まれ、気がついたら、名前のある人間として生きていた」「自分も、いつかは結婚し、妻子を養わなければいけない。
食べるために、理不尽な競争にさらされながら、一生、働き続けなければならない」「人生の半ばを過ぎたら、健康を害したり、会社をクビになったりするかもしれない。そのあとは、病気などで苦しみつづける。さみしい晩年がまっているだろう」「自分の人生にも夢も希望もない。ただただ、悩み、苦しんで、愚痴を言いながら、いつか人生を終えるのであろう。死んだあとのことについては何も考えられない」
「もし、人生の苦しみから、きれいさっぱり逃れられるなら、いっそのこと、死んでもかまわない」
人間は、そういう人生観を持つようになるのが普通です。そして、大多数の人は、そのような人生を生きているわけですが、なかには、「いや、そんなことはない。人間は『生き通しの生命』を持っているのだ」と考える人がいます。
「人間は、この世的、肉体的には、死んだら終わりに見えるが、ほんとうは ”死んでも死なない” のだ。その『生き通しの生命』こそが自分の本質なのだ。肉体を持った姿そのものは、年を取れば、皺が出てきて、腰も曲がり、頭脳は弱り、髪の毛は白くなり抜けていく。病気にでもなれば、床に臥し、やがて、人生の終わりを迎えるときが来る。しかし、それは外見だけのことであって、人間としての本質は『生き通しの生命』なのだ。人間は、この世に生まれる前から、一人前の、仏の子、神の子としての立派な魂を有している。また、死んでからのちも、魂はなくならず、ずっと生き通しなのだ」
こういう人生観を持ち、「この世の数十年の人生は無駄ではない」と考える人がいるのです。このような人は、「人間は、この世に生まれてくる前から、仏の子、神の子であり、光り輝く魂だった。そして、数十年の人生のなかで、さまざまな経験を積むことにより、さらに魂が磨かれ、中身の充実した、深みのある人間に変化する。この世での経験を通し、魂は、いっそう磨き込まれ、中身の充実した、深みのある人間に変化する。この世での経験を通し、魂は、いっそう磨き込まれ、付加価値を増すのだ」と考えるわけです。
この世に生まれる前も、この世を去ったあとも、共に「光り輝く自分」ではありますが、数十年間の職業や人間関係、家庭生活などの、さまざまな経験のなかで、魂の教育を受けることにより、いっそう磨き込まれて、あの世に還ることになるわけです。
そして、この世を去ったときに、その人生が一つの「魂の記憶」となって遺ることになります。この世での経験がなければ、今世の名前で生を享けた、あなたの人生の記憶が遺ることもないのです。
いまの時代に生まれた人の多くは、おそらく、過去に経験したことのないような新しい職業や仕事を経験していることでしょう。昔、日本やその他の国に生まれたときには経験したことのないような、新たな職業経験をしているはずです。
また、現代は生活も便利ですし、外国の人たちとお付き合いをしたり仕事をしたりして、共に楽しむこともできます。そのように、大きな目から見たならば、現代のような時代に生まれ、新しい経験を積み、この世を去ることは、幸福なことなのです。
しかし、そういう人生観を持たなければ、人間はさみしく惨めな思いを抱えながら、うらぶれ、くたびれ果てて、この世を終えることになるわけです。したがって、「出発点において、自分自身が、どのような人生観を持っているかによって、人生の幸・不幸は変わるのだ」と思っていただきたいのです。
ーーーーー〇ーーーーーーーー〇ーーーーー〇ーーーーーーーーー〇ーーー
(私文:もっと感謝をしていこう!)
なかなか、感謝って出来ないですよね。だって、何でも自分で出来ているし、仕事もお金も、そこそこ不自由していないし、と思いながら生きてきました。でも、最近気が付いたんです。自分がまわりの環境に合わせて生きているだけで、もし、住むところがなくなったら、もし、食べ物がスーパーで売っていなかったら、もし、ガソリンがなくなってしまったら、いったい自分に何が出来るだろうか❓ もし、奥さんがいなくなってしまったら、一人で生きて行けるのだろうか❓ もし、子供がいなくなってしまったら、一人で生きて行けるのだろうか❓ ただ今の環境に甘えて、何でも自分一人で生きていると勘違いしているだけではないだろうかと。結局、自分一人では何にも出来ていないのだろうかと考えてしまう、今日この頃です。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・生命の法 を読んで下さい。