大川隆法総裁先生 書籍・現代の武士道 参照です。

 

武士道とフォースの関係について

 

新渡戸稲造の仕事等により、『武士道』という本が1900年前後に書かれ、「禅宗との結びつき」や「剣の道との結びつき」が言われています。しかし、それだけではなく、「もっと宗教的なもの」「神に結びつくもの」が、武士道にはあったのではないかと思うのです。

 

剣豪として名を遺した者のなかには、例えば、室町時代末期の塚原卜伝などがいますが、彼は「鹿島の太刀」を継承していました。剣道の道場に行くと、たいてい、天照大神と一緒に鹿島大明神の掛軸等も掛かっていることが多いのですが、塚原卜伝は、鹿島の神の道を伝えるために剣豪修行に出て諸国を行脚し、「鹿島の太刀は負けない」ということをしています。

 

また、鹿島を出る前に、電撃一閃風に、御神器としての太刀に雷が落ちるところなども目撃はしているようですが、その神の宿った剣で戦い続け、「天下無双の剣」ということで、剣の強さによって、「神の正しさ」を実証しようとして、諸国行脚をしていたのです。

 

こういうところを見れば、「武士道」というものが、単なる禅の気合だけで成り立っているわけではないことが分かります。もちろん、それも関係ありますが、それだけではないことが分かるわけです。

 

「神様の直流を引いてやっている」といいますか、神から剣の動きまでご指導いただいているために、一瞬の間に勝負は決まるわけだけれども、「負けない剣」というものがあったということです。これは、一つあると思うのです。

 

宮本武蔵も、剣の試合は六十試合ぐらいしたでしょうが、二十九歳ごろまでしか戦っていないと思うのですが、十歳ぐらいから戦い始め、いろいろな流派の人と戦って、一度も負け知らずということです。

 

それが、三十歳を過ぎてからは、仏門修行に入り、仏様を掘ったり絵を描いたりと、いろいろとしています。そうした仏道修行に励んでいっています。ですから、単なる人殺しの剣ではなく、「やはり、神仏へとつながる剣でなければいけない」という気持ちは持っていたのではないかと思います。

 

ちなみに、小説『宮本武蔵』を書いた吉川英治は、毎日、一万一千回ぐらい剣を抜く抜刀術の練習をしていたそうです。「世の中にこれほど練習しているやつはいないだろう」と自分では思っていたというのですが、その後、一晩に一万八千回も抜刀の練習をやっていたという人を知り、「上には上がいるものだな」と思って、少し謙虚になったということがありました。

 

素手で二十数回の暗殺をかわした勝海舟の「胆力」

 

勝海舟も修行時代には、毎日、夜中に神社の境内へ行き、抜刀術の練習を何時間もやっていたというようなことが本に書いてあります。この人も、幕末の剣豪の一人ではあると思うのですが、夜中に神社の境内で、神前で抜刀術をやっていたら、やはい、多少、神ががってくるでしょう。

 

気合も入ってくるし、胆力も出てくるでしょう。勝海舟は幕末の軍事の総裁等をしていたので、たびたび襲われることがあり、幕府のほうは、「暗殺を狙われるので、警護の人を四人か五人立てておくから置いてくれ」と言うのですが、そうゆうこともあってか、勝は何度も断っています。

 

「そんなもの、向こうが本気になって襲ってくるなら、四人や五人いたって、十人いたって、皆殺しにされるに決まっているじゃないか。向こうは何十人もで来るに決まているのだから、二十人、三十人で斬り込んでこられたら全員死ぬ。警護の人がいたら、死ぬ人の人数が増えすぎる。俺一人でいいから、もう要らない」と言って断っていたのです。

 

実際、二十数回も暗殺に来られているわけですけれども、一度も斬られていませんし、もう、剣さえ差していなかったというほどです。向こうが剣で斬りかかってくるのを、素手で相手にしたというぐらいなのです。剣を「無頭取り」したかどうかも分からず、足払いをしたり、庭に投げ飛ばしたりしていたようなので、そうとうすごいものがあります。

 

勝海舟は身長百五十二センチぐらいで、体重も四十キロそこそこぐらいの小男だったので、どのくらいの胆力があったかと想像すると、そうとうなものだと思います。「勝が百五十センチなら、その当時の人はみな小さいのだろう」と思うかもしれませんが、そんなことはなく、坂本龍馬は百七十四センチはあり、町を歩けば首一つ出ていたと言われているし、西郷隆盛になると百八十センチもあったと言われているわけです。

 

その百八十センチの西郷と、百五十二センチ、四十キロ少々の勝海舟が江戸城で会談しているわけで、大男との会談だったと思いますが、両者、「胆力と胆力のぶつかり合い」のようなものだったと思うのです。

 

ーーーーー〇ーーーーー〇ーーーーーーーーー〇ーーーーーーーー〇ーーー
 

(私文:私たちは生かされています。)
 

私たちは、独りで生きているんだと思ったらいけないです。だって、自分で出来ることは、専門的にやっている仕事でお金を稼ぎ、他の人の専門的に作り上げた物を、食料を買って私たちは生きています。だから、一人で全部やっているわけではないのですから、必ず、他の人の世話になって、やっと生きている私たちであり、さらに思うに、神様がいて、森羅万象のなかで、私たちは生かされている存在なのだと気づくことが非常に大事だと思いました。だから、他の人には親切に、優しく、思いやりを持ち、愛を心に秘めて接しなければいけないのではないでしょうか。

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・現代の武士道 を読んで下さい。