大川隆法総裁先生 書籍・不動心 参照です。

 

最期に、「怨恨霊」について述べておきましょう。これは恨みつらみに関係する霊です。「人間は死に様が大事だ」とよく言われますが、実際、そうしたことが言えます。

 

また、「恨みを残して死ぬと化けて出る」とも言われますが、他人に対して非常に恨みを持ったまま死ぬと、死後もその思いが解けなくて、人に憑依したり、不幸を起こしたりすることがあるのは事実です。

 

こうしたことは、死んだ人の霊だけでなく、「生霊」といわれるものにおいてもあります。生きている人間の場合でも、その人がある人を非常に強く憎んだり、恨んだりすると、その思いが一日じゅう相手に伝わっていきます。

 

その結果、その想念波動の影響が出て、憎まれたり恨まれたりした人は、非常に苦しく、からだがだるくなったり、病気になったりします。したがって、肉体的原因が特にないのに、いつもからだの調子が悪い、なぜか不幸が多いなどという人は、「死んだ人の霊に恨まれているのではないか」「生きている人のなかで、私を非常に恨んでいる人がいるのではないか」ということを探ってみる必要があります。自分を恨んで死んだ人がいるならば、次のことを実践してみてください。

 

第一に、毎日、仏法真理を学び、それに沿って生きていくことです。                           第二に、過去、自分がその人に対して悪いことをしていたならば、それについて深く反省することです。                     第三に、直接、その人に対して悟りを伝えてあげることです。恨みを持ったまま、あの世で迷っていることは間違いであり、それがどれほどの罪であるかということを、伝えてあげるのです。

 

その方法は、心のなかで思ってあげることです。自分自身が悟ることによって、そうした思いを死んだ人に伝えていくことができるのです。また、いわゆる生霊、生きている人間の恨みつらみの念も大変なものであり、ある意味においては、死せる霊以上の力を持っていることもあります。

 

「あの人のせいで出世が妨げられた」「あの人にだまされたせいで自分は挫折した」「あの人に裏切られて結婚が失敗した」「結婚したいと思っていた相手を、あの人に取られた」こうした恨みを数多く買った人間が、成功したり幸福になったりすることは、あまりありません。

 

怨恨、恨みを解く方法の一つは反省です。自分は恨みを買っているなと思ったならば、なぜ恨みを買ったのかについて振り返り、反省してみることです。そして、自分の欲、我欲のままに人の恨みを買ったような事実があれば、その人に直接に謝るか、あるいは心のなかでわびることです。

 

なかには、まったくの誤解に基づく恨みもあります。この場合は、行き違いを説明できればそれでよいのですが、すでに説明もできないような相手であるならば、心のなかでしっかり和解することです。あるいは、自分の守護霊や指導霊を通して、相手の守護霊にお願いすることです。

 

このように、みずからを振り返って反省した結果、自分自身に原因があるときには、それを改めることが必要です。また、自分には原因がない場合であっても、相手を責める気持ちを持たないことです。そして、相手にほめるべき点があれば、それをほめてあげること、相手を少々よく見てあげることです。

 

恨みを買うからには、相手の悪いところばかりを見てきたはずです。そうではなく、悪いところを一つ見つけたならば、よいところも一つぐらいは見つけることです。あるいは、悪いところを三つ見つけたならば、感謝すべき点も三つぐらい探してみることです。こうした考え方が大事です。

 

「立ち向かう人の心は鏡なり」という言葉があるように、自分の心が変わっていけば、相手も自然に変わっていくのです。相手から恨みを買っている場合、恨むほうも恨まれるほうも、相手をあまり評価していないか、あるいは無視したか、このどちらかだったはずです。

 

したがって、その点について自分が心得違いがあるとすれば、それを素直に謝るか、相手の美点を見いだし、それをほめてあげたり、相手に感謝したりすることが大事です。

 

これが、生きている人や死んだ人の怨恨の霊、怨恨霊といわれるものを取り去るための方法です。人に恨まれ、いい気持ちになる人はいませんし、それで出世する人もいません。人の恨みはできるだけ買わないことです。そのためには、日々、謙虚に、感謝しながら生きることです。

 

相手を傷つけていないのに、人の恨みを買う場合は、たいてい、自分が愛を独占しようとしているか、これ見よがしに何かをしているのです。自分が何かを誇示したり、誇らしい姿を世人に見せすぎたりしていることが原因になっています。

 

恨みを買う傾向があるときには、まだまだ謙虚さが足りない、へりくだりと感謝の気持ちが足りない、心を無にしていないということであり、「どうやって、心を空しくして生きていくか」ということを検討する必要があるのです。以上、悪霊の諸相について述べてきましたが、これらはすべて、一人の人間のなかに起こりうる事柄です。

 

自分の心のなかに、こうした悪霊と同じような姿が現れたならば、直ちに止観する、すなわち、心を止めて反省に入ることです。そして、間違った点を素直に仏にわび、同じ間違いを二度としないことです。

 

こうして、みずからの間違いを常に修正しながら、心清く向上を目指していくところに、仏法真理に生きる人の真実なる姿があると言えます。

 

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(私文:新しい50㏄のバイクをゲット!)

新しいバイクがきました。50㏄ですが、これで、三台目です。多分これが最後のバイクになると思います。だいたい30000km走ればエンジンの音が変わってきます。これを合図に買い変えてきました。4年・5年なので、私が今74歳なので、78,79歳位まで乗れるかどうか分かりませんが、これが最後だと思っています。どこに行くのもバイクで、小回りも効くし、慣れてもいるので、とても便利に感じています。さあ、まだまだ頑張るぞ!

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・不動心 を読んで下さい。