大川隆法総裁先生 書籍・常勝思考 参照です。
発想の大切さ
本章では、「光明転回の理論」という題で、発想というものがどのように大事かということを、お話したいと思います。いままでに宗教的な本をよんだことのある方は、ずいぶんいるでしょう。
そうした本のなかには、善い心・悪い心、善い念い・悪い念い、善い行動・悪い行動ーこうしたことが説かれていて、善悪二元的にものごとを考えていく傾向が多かったのではないかと思います。
宗教では、人間について語るときでも、「この人は善い人か悪い人か」「地上を去ったあとには、天国に行くか地獄に行くか」というように、すべて二分法的に考えていく傾向があります。
特に、霊的なものに強く惹かれるタイプの人は、善悪を感じやすいため、とかく善悪二元論的にものごとを考えてしまうのです。そして、善悪二元的にものごとを考えた場合には、たいてい、 ”色分け” の考え方をしていきます。
すべての人や物事、環境などに関して、善か悪か、どちらかに色分けをしないと、気がすまなくなってくるのです。しかし、そのようにものごとを見てしまうと、そこには大きな可能性があったにもかかわらず、それを捨てていくおそれがあるということです。まことに惜しいことです。
たとえば、宇宙人が円盤に乗って、はるかなる星からやってきて、梅雨の時期の地球に着陸したとしましょう。そして、円盤から出た宇宙人が、「この地球という星は、来てはみたが、何だか知らないがザーザーと雨ばかり降っている。実におもしろくない星である。こんな星からは、早く立ち去ってしまいたい」と考えたとしたならば、可能性の広がる余地はそれまでだと思います。地球の可能性に関しても、自分の活動の可能性に関しても、それで終わりです。
しかしながら、地球では、雨が降ることもあるが、もちろん晴れることもあるわけです。そうしたことに気がつくかどうかです。そして、カラッと晴れ上がってみると、「この地球という星も、けっこう住みよいのではないか」と思えることがあるでしょう。
ところが、最初に来た日に雨が降っていたため、「ああ、こんな星はだめだ。こんな所はだめだ」と決めつけたならば、それ以上の可能性はないのです。自分の決めつけで、可能性を放棄してしまうことになり、そして、次なる星をめざしてまた宇宙空間を漂わなければならなくなります。
これは非常に徒労です。地球に踏みとどまって、長くて一カ月も待てば、梅雨は明けます。しかし、そうした我慢ができないために地球を飛び立って、また何十年も宇宙をさすらうようになるのです。このようにして、取り越し苦労症の宇宙人が出てくるわけです。
宇宙人のたとえで語りましたが、みなさん自身も、実は同じようなことをしているのです。たとえば、結婚している人で、「相手が違えば幸福になれる」と思っている人はいませんか。正直なところ、どうでしょうか。「今の家内でなかったら」「この夫でなかったら」などと思っている人は、結婚している人のうち、五十パーセントではきかないでしょう。
おそらく八割から九割ぐらいまで人が、そう思っているのではないかと思います。そう思ってはいけないとは知りつつも、本心としてはそう思っていて、「もし取り替えることができるならば、いや、もっと早い段階で気がつくことができたならば、違う人生があったかもしれない」と思いつづけて三十年・・・・・などということがあるのではないでしょうか。
しかし、これも、先ほどの梅雨期に地球に着陸した宇宙人ではありませんが、それに似たようなことろはあるのです。ここにおいて大事なことは、一つには、発想の転回すなわち新たな発想を持つことです。
別な視点がないかどうかを、常に考えてみる必要があります。もう一つは、努力や工夫といわれるものの存在です。ここのところが、極めて大事なのです。
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(私文:人生の王道を語るについて)
大川隆法総裁先生の書籍の中で、私の好きな本は【人生の王道を語る】で、何度も読んでいて、特に ”平静心” 辺りの話が好きです。自然体の自分になれるところが好きなんだと思います。この仏法真理というものは飽きることがありません。日々に変わる自分の心は、同じ本の個所でも感じ方、意味が変わってくるからでしょうか?本当にありがたく思っています。