大川隆法総裁先生 書籍・復活の法 参照です。

 

肉体面と精神面での鍛錬を                                              

 

老年期について言うべきことは、まだまだ、たくさんあります。「ピンピンコロリ」という考え方は、それを願うことも大事ですが、それに向けた具体的な実践も大事です。

 

肉体面での鍛錬と精神面での鍛錬を、しっかりやっていけばよいのです。心のあり方としては、もちろん、明朗な気持ち、明るい気持ちを持つことが大切です。また、家族、病院、老人ホームなど、周りの人や環境のせいにする気持ちが強いと、地獄へ傾斜する可能性が高いので、なるべく感謝の気持ちを持っていただきたいのです。

 

そして、自分で自分を鍛えていかなくてはなりません。それから、自分の精神性を豊かにしていくことが大切です。心のなかを豊かにしていけば、老後は、孤独でも充分に生きていけます。ところが、心のなかが豊かでない人は、とにかく、いつも人と何かをしていないといられないので、老後が非常に不遇です。

 

心のなかが豊かであれば、つまり、精神生活が豊かであれば、それほど困ることはありません。もちろん、「自分の子供、息子夫婦、娘夫婦と一緒に住みたい。孫とも一緒に住みたい」という気持ちは強いでしょうし、そうなれる場合は、ありがたいことだろうと思います。

 

しかし、それは、現代においては、なかなか難しくなっています。仕事の関係でうまくいかないこともありますし、マンション族は、住まいが小さくて、親と一緒に住めないことも多いのです。また、小さなところでいると、ストレスも多くなります。

 

決定的なのは、やはり女性の問題です。いまは、奥さんのほうに、「子育ても苦手だし、家事も苦手だ。ましてや、老人の面倒を見るなんて無理だ。とてもできない。」という人が増えています。

 

その原因は、学校教育が男女平等化していて、女性に対する教育も、基本的に、「会社の事務職に就くか、何か技術的なものを身につける」という点に主眼が置かれていることにあります。そのため、他の人の世話をすることの苦手なタイプの女性が多くなっているのです。

 

もし、「息子夫婦、娘夫婦が一緒に住んでくれて、世話もしてくれ、孫と豊かな晩年が過ごせる」という人がいたならば、それは非常に恵まれた人なのです。そういう女性を息子の嫁にもらえた人は、その嫁を、「観音様だ。観世音菩薩だ」と思って拝んだほうがよいでしょう。

 

そういう女性は、いまどき、めったにいるものではないのです。ただ、息子や娘と一緒に住めるようになって喜んでも、それは束の間の喜びであり、年を取って体が不自由になってくると、邪魔者扱いをされることも多くあります。

 

虐待には、子供に対する虐待もありますが、いまは老人に対する虐待も多いのです。老人が、邪魔者扱いをされ、虐待されて、殴られたり蹴られたりすることも、ずいぶんあるのですが、ぼけたりすると、それがもっと激しくなります。年を取って、ぼけると、外を徘徊する「徘徊運動」を行い、家族がショックを受けることもあります。

 

また、排便をして、その便を弄ぶ「弄弁」を行う人もいます。便を弄び、壁に塗ったりする人も出てくるのです。そうなると、実の子供も嫁も、みなショックを受けるようです。

 

そして、一緒に住めなくなり、「老人ホーム行き」となることが多いのです。お年寄りのする行動には何か理由があることもあるので、一見、おかしく見えても、その行動の理由を尋ねてあげるとよいのです。徘徊をする場合でも、何か一定の理由があって、そうしていることもあります。

 

弄弁も、実は、「下の始末は自分でやりたい」という意思表示であることもあります。そういうことがあったりするため、老後は、いろいろと難しい問題を抱えているのですが、年を取ると、だんだん幼児化していき、昔に返っていきます。赤ちゃんは、「首が据わる」「這い這いをする」「坐る」「立つ」「歩く」という順序で成長します。

 

しかし、年を取ると、「まず、歩けなくなる。次に、立てなくなる。そして、座れなくなり寝たきりになる。最後は、首が据わらなくなる」という順序で、赤ちゃんとは正反対の方向に動いていくのです。これは辛いことです。体は不自由であり、家族からは邪魔者扱いをされます。

 

子供たちと一緒に住めて幸福になるのもよいですが、邪魔になったり、嫌われたりするのであれば、お金を払って老人ホームに入ることも一つの方法だと思います。

 

あの世に還るための心の準備をする

 

それから、死後の世界は確実にあるので安心してください。年を取ると、幼児化していき、自分のからだが思うようになりませんが、「体が不自由だ」ということは、魂が肉体を脱ぎ捨てるために必要なことなのです。

 

体があまりにも自由自在だと、あの世に行きたくなくなります。体が不自由になり、「嫌だな。もう死にたいな」と思えるような予兆現象が出てこないと、心の準備ができないのです。あの世に行くことは、赤ちゃん、新生児になって生まれ変わるようなものです。

年を取って体が不自由になることは、あの世への移行においては、しかたがないことというより、むしろ、ありがたいことなのです。年を取ったならば、誰であろうと、死ななくてはなりません。お年寄りが死ぬことによって、新しい生命が生まれてきます。

 

次の生命、魂が、赤ちゃんになって、次々と生まれてくるのです。「赤ちゃんが生まれてくる」「孫が生まれてくる」ということは「お年寄りが死んでいく」ということであり、入れ替わりなのです。そう思わなくてはいけません。

 

人間は、死んで、あの世に還り、また、この世に生まれて変わってきます。「赤ちゃんが生まれてくる」ということと、「お年寄りは、あの世に還らなくてはいけない」ということを、「これは宇宙の理法なのだ」と思って、受け入れなければいけません。

 

そうしたことを考えた上で、やはり、老いの理想は「ピンピンコロリ」です。「できるだけピンピンしていて、最後はコロリと逝けるように」と願っておいたほうがよいし、そのための準備を早めに始めておいたほうがよいでしょう。

 

老後についての法は、今後、しだいに充実させていく予定です。できるだけ長生きして、その法を学んでいただきたいと思います。

 

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(私文:上の写真は、有明海上空を何も見ないで夜空を撮った写真です。)

何も上も向かずに、ただ夜空を撮ったらこんなものが撮れていました。UFOの写真ではないかと思っています。ガラケーの携帯だったので、”性能が悪いので、UFOさん、そちらが合わせて撮らせてください!” と思って撮った写真です。気持ちが通じたのかもしれません。一機ではなくて、編隊を組んで撮れています。何か不思議な写真なので、大事にしています。

 

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。