大川隆法総裁先生 書籍・ヒーリングパワー 参照です。
『奇跡のガン克服法』(前掲)やほかの書籍にも書きましたが、人間の体というのは、頭の毛から、頭蓋骨、内臓、爪の先まで、だいたい一年以内には、ほとんど全部がつくり変えられます。
実際には一年もかからず、半年ぐらいで変わるものも多いようですが、こうしたことは、ちょっと考えられないでしょう。どうやって骨が入れ替わるのか、こちらが訊きたいぐらいです。決して、古い骨を取り出して、新しい骨を入れるわけではありません。
最近では、建物についても、リフォームやリメイクなどには、いろいろと新しい技術が進んできており、例えば、ホテルでも、「営業しながら、一部を直していく」とか、学校でも、「授業をしながら、部分的に直していく」とかいうことが行われています。
普通であれば、学校を壊してしまい、どこかにトタンの仮校舎を建てて授業をしなければいけないところですが、最近では、授業をしながら、部分的に直していく技術が進んできつつあるわけです。
そのように、人間の体も、普通の活動をしながら、一年ぐらいで、全部、機能が入れ替わり、何もかも変わっているわけです。したがって、ある種の病気を病んでいる内臓があると、一年以上にわたって病気があるならば、わざわざ病気をつくり続けていることになります。
つまり、「それをつくる設計図に当たるものが、そこにある」ということを意味しており、霊的には、そのようにつくろうとする設計図が出来上がっていると言えるのです。いずれにせよ、人の体は、諸行無常のたとえどおり、どんどんどんどん変わっていきます。
たとえて言えば、川の流れのようなもので、「○○川」といっても同じ川が流れているように見えて、流れている水は決して同じではありません。常に動いているため、同じ川であることは二度とないのです。
それと同じように、「身体というものも、基本的に、流れているものだ」ということを、まず認識してください。
肉体を設計している「幽体」とは何か
体の各部分は、基本的に、自分の想念、「自分とは、こういうものだ」という思いによって設計されているものを、つくっていこうとします。また、もともと、病気の部分までは設計されていないのですが、「病気の設計図」が、人生の途中で割り込んでくる場合があるのです。
この設計図に当たるものが、実は、体にすっぽり入っている「幽体」という部分です。これは、人間の肉体とほとんど同じ形をしており、死んで、焼き場で焼かれたあと、体から抜け出しますが、爪の一つひとつまで生えています。
幽体は、霊体のいちばん外側の部分であり、髪の毛や爪の一つひとつ、さらに、爪の切り残しまで、きちんとそのまま表れてくるのです。爪の三日月の部分(爪半月)も、全部付いていて、そこまで確認可能です。
幽体は、不思議なほど肉体とそっくりであり、その内臓も動いています。死んだあとも、心臓を触れば動いていますし、他の臓器も動いていて、肺も動いて呼吸しているのです。
それは、自分が、まだ生きているつもりでいるからで、「死んだ」ということを熟知できるまでは、地上の生活と同じ生活を続けているのです。実は、この幽体の部分が、たんぱく質や骨など、いろいろな成分によって、肉体を組み立てています。
そのため、病気になる場合は、まず幽体の部分に病巣部分が現れてくるのです。幽体という部分のなかに何か悪いもの、つまり、黒い想念とか、病んだ部分とかとかが出てき始め、次に、肉体面で悪いものが現象化してきます。
これが現実です。幽体部分に、そういう悪いものが出てくる場合、たいてい表面意識、すなわち、普段考えている心から、常に繰り返し破壊的な思いが出ているか、あるいは、自己処罰的な考え方が生まれているかしています。
もしくは、他の人に対する強い攻撃念を発して、怒ったり、不満をぶつけたりしているのだけれども、実は、相手の心がピカピカで、その念波が跳ね返って、自分のほうに当たっている場合もあります。
相手が弱い場合には相手のほうが病気になりますが、相手が弱くない場合もあって、「あの人が気に食わない」と思って念波を発信していても、相手の心がピカピカであれば、その念波が跳ね返ってきて自分のほうに命中しているわけです。要するに、ほかの人を責めている念波が、実は、自分自身に跳ね返ってきて、痛んでいる場合があるということです。
そのようなことが霊的な原因としてあって、霊視すると、まず幽体部分に何らかの病変が現れてきます。そのあと、それが、肉体上にかたちとして現れ、実に不思議な病気がたくさんできてくるのです。それに対して、医学的には、外から、つまり、肉体の側から治療をかけていくのでしょうけれども、宗教的には、内部から治療をかけていくスタイルになります。
すなわち、病変が現れてくるもとになるものを押さえて、そちらのほうから治していこうとしているわけです。したがって、病気になっているならば、その人の本来あるべき姿ではない、何らかの「心の持ち方」が近年に発生しているはずです。
それは、ある意味での「執着」ですが、その心の執着として固まってきているものが何かある場合、一定のかたちの病変になって現れてくるものなのです。
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(私文:私が仏法真理から感じる、💓のビート)
私は幸福の科学に入信してから、早、33年を過ぎました。書籍・講演会・テープ・楽曲・公案研修・祈願等、すべてをしてきました。これはやっぱし間違いはない・本物だと確信したもののなかに、💓のビート(ポップスの気に入った音楽を聴いて、グッとくるところの感じと同じです) があります。大川隆法総裁先生の本の内容にも感動しますが、読んでいるときに感じる、言葉の羅列から出てくる波長のようなものを感じます。これがたまらなくて、同じところを何度も読んでしまいます。それがいろんなところ出でてくるので、私は大大好きです。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。