大川隆法総裁先生 書籍・神秘の法 参照です。
なぜ信じる力が必用なのか
信仰とは、この世とあの世の壁を超えるための力であり、この世とあの世の壁を超えるための武器です。信じるということによって、次元の壁が破れるのです。信じる力によって、次元の壁を越え、いろいろなものが行き来するようになるのです。
いろいろなパワーがよみがえってくるのです。この世とあの世が一体化するのです。強い信仰心のなかに活きているとき、みなさんは、三次元世界にいきていながら、多次元世界に生きているのと同じなのです。
強い信仰心のなかにいるときに、みなさんは、如来界、菩薩界、光明界、善人界など、天国の世界にいるのです。また、強い想念の下に、悪しきことをずっと考えつづけている人は、生きながらにして地獄の世界に心が通じています。
そういう人は、心の世界では、地獄の世界に通じていて、地獄とは行き来も自由なのです。そのような悪しき信仰も、現に数多くあります。そのため、いま大切なことは次のようなことです。
この世において、正しいものが成功し、正しさが確認されることは、もちろん大事なことであり、そうなることを望みたいと思います。しかし、それは百パーセント実現するものではないのです。
この世においては、正しいものが敗れ、正しくないものが勝つこともあります。この世は、もともと、そういうものなのです。この世は、正しいものがなかなか分からないような実験場として創られている面があり、試練の場でもあるのです。
したがって、「この世での勝ち負けだけでもって宗教の正邪は決まらない」ということを、片時も忘れてはいけません。信じる力が必用なのは、この世の原理には、あの世の原理とは違っている部分があるからです。
そのため、それを超える力が必要とされるのです。そこに、信仰というものが必要とされるときが来るのです。
信仰を支える「耐え忍ぶ力」
信仰を支えるもの、信仰を支える力は、いったい何であるかというと、それは耐え忍ぶ力です。思いというものは実現します。それは必ず実現してきます。
しかし、その実現までには一定の時間がかかりますし、その手段、方法は、最初に思ったものとは違ったかたちになることがあります。それは受け入れなければなりません。
この世においては、自分が最善と思ったかたちではなく、次善、あるいは、その次と思っていたようなかたちで現れる場合もあります。「協力してくれる」と思った人が協力者にならず、「協力者ではない」と思った人が協力者になることもあります。「敵」だと思っていた人が味方になり、「味方だ」と思っていた人が敵になることもあります。
この世的には、お金も土地も建物も、その他いろいろなものも、必ずしも思うとおりにはなりません。思ったものとは違ったかたちで現れてくることがあります。
しかしながら、強く長く思っていることは、しだいに必ず実現していきます。手段や方法はさまざまですが、やがて実現していくのです。そのときに、信じている側の者にとって、いちばん大切なことは、耐え忍ぶ力です。
耐え忍ばなければならないのです。耐え忍びの力によって、思いは実現していきます。そして、「信仰というものは、最後は、この世において完結しなくともよいものなのだ」ということを知らねばなりません。
「この世において信仰が完結しなければしないほど、その人は、深く、強い、はるかなる信仰を持っている」と言うこともできるのです。この世においては、「目先の成功が実現しなければ信じられない」と言うことは簡単なことです。
しかしながら、何百年後、何千年後の成功を夢見て生きている人もいるのです。それが狂気であるか、それとも正気であるかは、時代が証明するのみです。
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(私文: 映画 ”chef" が好きで、何度も観ています。)
私は過去に、寿司屋の商売を三度もしました。千葉の市川・ロサンゼルス・熊本 でやりましたが、どれも成功はしませんでした。その不完全燃焼した気持ちが、この映画 ”chef” のフード・トラックの物語を観ると、気持ちが解消されます。そして、もう一度、チャレンジしてみたいと、いつも思ってしまいます。商売も、英語も、スパニッシュも、私にとっては、懐かしい、懐かしい思い出の一つです。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。