私の信仰の原点は何かと考えてみると、1992年に起きた、「ロサンゼルス暴動」でした。私は実際に見ました。ロドニーキングという黒人が白人の警官に殺されたことが暴動の原因です。私の住んでいた町の隣のワッツという黒人街があって、その町から暴動が起り、隣の私たちが住んでいるところに黒人がやってくるぞ!という事件があり、大変な騒動がありました。スーパーマーケットの窓は壊され、みんなが、子供までもスーパーの商品を奪っていったり、黒人と韓国人の銃撃戦があったり、街にはアメリカ軍の州兵が出て鎮圧しようとしましたが、その暴動は全アメリカ中に広がって、ワシントンDCのあの広い大きな広場が黒人で一杯になりました。壇上には黒人の牧師達が立ち、叫んでいました。「こんなことはよくない、家に帰りなさい。そして、どんな宗教でも良いから、教会に行きなさい。そして、精神的な教えを学びなさい」こんな内容の話をしていたと思います。通常の価値観が壊れてしまって、何が善で何が悪なのか分からなくなってしまったのです。私は、そのときには、すでに「幸福の科学」に入信していましたが、この事件が、とても大きなきっかけになったことは事実です。
大川隆法総裁先生 書籍・伝道論 参照です。
みなさんがこの地上に生まれてくることは、大気圏に突入した隕石が、燃えながら落ちてくる姿に似ています。
地表に落ちた隕石は、どの世界から来たものか、外見からは分かりません。熱は冷め、ただの石ころもようにも見えます。しかし、その出自は、その生まれは、はるかなる宇宙にあります。
はるかなる宇宙から、この地球を目指してやってきた隕石が、大気圏に突入して炎に包まれ、高温のなかを生き残り、あるいは海面に、あるいは地表に激突して、現在の姿となっているのです。
大気圏を通るとき、高熱で隕石が姿を変えるように、みなさんは、はるかなる実在界から地上に降りてくるとき、昔の記憶を忘れ、小さな存在となります。
しかし、みなさんは、はるかなる宇宙から落ちてきた隕石であり、もともとは星の一部なのです。小さな星なのです。そして、人間として目覚めていく過程で、「夜空にきらめいている大宇宙の星こそ、みずからの元なる姿なのだ」ということに気がつくのです。
「夜空を見上げてみよ。神秘の闇の中に、きらきらと光っているのもがあるだろう。あれがおまえたちの元なる姿なのだ。あの星のひとかけらが、この地に落ちたのだ。今は自分のことを、醜くただれ、黒く焦げた岩石のかけらのように思うかもしれないが、元なる存在は、大空に輝く星だったのだ。いま、そのような姿になり、人間として生きているとしても、みずからの本来の存在は何であるかを知り、無限の向上を目指して努力していけば、やがて、来世に必ず星となることができるのだ」
この言葉を信じることが信仰なのです。みなさんは、「はるかなる世界から地表に降りてきた隕石が、やがてまた大宇宙空間に旅立って、きらきらと光る星に戻っていく」という思想を信じることが出来るでしょうか。
これを信じることが出来る人は、美しい物語を理解する素養のある人です。ロマンを解する心のある人です。そして、理想を胸に秘めているはずです。信仰には、美とロマンと理想が必要なのです。
「来世に必ず星となる」ということを信じることができますか。まるで絵本に描かれたような世界を信じることができますか。そのような、あどけない心になることができますか。幼子のようになることができますか。
信仰とは、それができることなのです。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。