私の二階の窓から見える畑が、今年は、お米の田植えをまだ始めていません。どうしたんだろうと毎日思っています。毎年必ずやっているお米の畑は、今年はまだ水も苗も植えていません。どうしてしまったんだろう。まわりの畑はもう田植えを終えているのに?病気でもしてしまったんだろうかと、心配しています。

 

大川隆法総裁先生 書籍・生命の法 参照です。                                              

 

まざまに述べてきましたが、結局、「自分の生命というものを、どのように捉えるか」という、生命観の問題になるでしょう。

人は、自分自身のことを「独立した個人」と思い、それぞれの一生を生きていますが、この世における人生は、言ってみれば、「大きな木の枝から出ている一枚の葉っぱ」のようなものなのです。みなさんは、その一枚の葉っぱの部分を自分自身だと思い、「一つの独立した存在」という意識を持っていることでしょう。

 

そして、時期が来ると、その葉は枯れ、はらりと木から落ちて、人生が終わるように見えます。しかし、よくよく見ると、同じ木の枝から葉っぱが何枚も出ています。これらの葉っぱが、いわば魂の兄弟のような存在なのです。

 

この世に生まれるときには、あなたの魂グループ全体が生まれてくるのではなく、その一部分が生まれてきます。それ以外に、魂の兄弟という存在が、あの世に残っており、地上に生まれた魂の守護霊をしたりしているのです。

これは、この世から見たら分かりにくいことかもしれません。これを分かりやすくたとえるならば、「木の枝の先に葉っぱが六枚ついている、そのなかの、いちばん先っぽの一枚が自分なのだ」ということです。

 

若芽として出た葉っぱは、太陽エネルギーをたくさん浴びると、炭酸同化して、どんどん成長し、葉の緑が濃くなっていきます。葉っぱは、陽の光を浴びるときには、「うれしいな、うれしいな」と感じ、幸福感でいっぱいです。

やがて、秋になると、緑色だった葉っぱが、赤色や黄色へ、さらに茶色へと変色していきます。これは、人間で言えば、「人生の盛りを過ぎ、だんだん年を取ってきた」という段階に相当するでしょう。

 

「このごろ、何だか元気がなくなってきた。体は痩せ、腰は曲がり、皺も増え、髪の毛が抜けてきた。病気をすることも多くなった」と感じ、だんだん、茶色い枯れ葉のようになってきます。もちろん、枯れ葉になる前の段階で、虫に食われて葉っぱに穴が空くこともあります。

 

そして、「この葉っぱは、もうすぐ落ちるだろう。いつ落ちるだろうか」と、周りから見られるころになると、ある日、北風がヒュッと吹いたときに、はらりと落ちて、人生が終わるわけです。

 

ただ、葉っぱは、はらりと地面に落ちたあとは、やがて分解され土の養分となります。その養分は、翌年になると、かつて葉っぱの生えていた木に吸収され、幹から枝へと上がり、新たな若葉が出てくるための素になります。それが転生輪廻にあたるでしょう

 

「ソウルメイト」は、いつも一緒に修行する仲間

 

「一本の枝の先に生えている数枚の葉っぱが、あなたと、あなたの魂の兄弟、魂のグループに当たる」と述べましたが、さらに、よく見ると、その枝の近くには、ほかにも何本もの枝が生えていることが分かります。

 

これと同じように、あなたの魂に近い魂、昔、枝分かれした魂があります。あなたの魂と同じころに創られ、あなたと関係のある魂が存在するのです。これを、英語圏では、よく、「ソウルメイト」と呼んでいます。魂の兄弟とは別に、いつも一緒のグループで魂修行をしている人々がいるのです。

 

魂的に縁のある人々は、 ”同期生” として、転生輪廻のたびに、だいたい同時代に生まれます。時代が変わっても、たいていは、親しい仲間が、ある程度グループになって、同じようなときに生まれ、家族や親戚になったり、仲のよい友達になったり、職場でいつも顔を合わせる同僚になったりするのです。

 

たとえば、自分の親や兄弟姉妹、祖父母、子供、孫、親戚、などといった身内の人々が、それに当たります。また、深い縁のある友達や、なぜか気の合う仕事上の協力者や、とても協力的な取引先の人なども、縁の深い魂かもしれません。このように、何か縁のある魂たちが、何十人ものグループとなって、この世に生まれるのが普通であり、一人だけでポツンと生まれることはありません。

 

木の枝の先に、生えている六枚の葉っぱが自分自身と魂の兄弟だとしたら、その近くに生えている小さな枝の葉っぱたちが、ソウルメイト、魂の友達に当たるのです。

 

魂は「生命の大樹」とつながっている

 

さらに、その枝を手繰っていくと、もっと太い枝となります。そして、一本の「生命の幹」が現れてきます。魂が地上に出てくるときに幹となっている部分があるのです。

 

たとえば、日本人として繰り返し生まれている魂のなかには、九州地方や関西地方など、ある特定の地域に磁場を持っていて、その辺りを中心に何度も生まれている人がいます。何か縁があるところに一本の幹があって、それにかかわる人たちが、集合的に、グループとして、たくさん枝を出しているのです。また、社会のレベルや国のレベルで集合した魂のグループもあります。

 

すなわち、魂には、魂の兄弟というグループがあり、さらに、ソウルメイトのグループがあり、それがまた、いろいろなところにつながりながら、一本の大きな木につながっているのです。そういう大きな木の幹から出ている枝のなかの、小さな枝の先の葉っぱの、一枚として、あなたは生きています。

 

魂は、個人として独立していると同時に、実は、大きな大きな「生命の大樹」ともつながっています。

そういう仕組みのなかで、転生輪廻を、繰り返し何度も行っているのが、人間の姿なのです。

 

今回の人生を意味あるものとせよ

 

自分の人生を客観的に見つめようとするときは、前節で述べた「葉っぱのたとえ」を思い浮かべてみてください。

そして、「大きな木の一枚の葉っぱが自分自身である」と想像していただきたいのです。木の芽が出て、若葉となり、緑したたる姿になり、やがて、赤くなり、黄色くなり、枯れ葉になって落ちていく姿、そしてまた、繰り返し何度も生命が輪廻している姿、このような姿を想像してください。

 

仏教でいう「生」「老」「病」「死」、すなわち、生まれてくること、年を取ること、病気になること、死ぬことは、とても悲しく不幸なことのように思うかもしれません。

 

しかし、大きなリズムのなかで生滅を繰り返している大自然の姿、その輪のなかを集団の一人として生きている自分の姿を知り、それを受け入れるならば、みなさんは、たとえ、どのような時代に生まれたとしても、人生を生き切ることはできるはずです。

 

そのような大きなシステム、仕組みのなかで、「生き通しの生命」を生きている自分であることを悟っていただきたいのです。

どのような苦難・困難があっても、「それは自分自身の経験になるのだ」と考え、その問題と闘うことによって、よき経験を身につけ、今回の人生を意味のあるものとしていただきたいと思います。

 

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。