※心の世界とは本当に不思議です。一人一人が100%分かり合えることなんか出来ません。だから、誤解・先走り・噂・噓・悪口が生まれてしまいます。でも、でも、相手ことを少しでも理解出来ることがあれば、自分の顔が変わり、その顔を見ている相手の態度も変わってしまいます。同じ職場の人間関係で、私は何度もそうしたことを経験したことがあります。職場の人間関係は本当に難しいです。これも修行と考えていかねばならない事かもしれませんね。※

 

短気を起こして我を忘れる人は、阿修羅霊に取り憑かれる        

 

あとで我に返ったら、いったい自分は何をしていたか、何のために怒っていたのかが分からない。このような方が大勢います。 そして、それを「自分は短気だからだ」とだけ説明をつけているかもしれません。        

しかし、それは、それだけでは済まないものなのです。必ず反作用を受けるのです。その怒りの炎が、その心が、他の人を傷つけ、また、自分自身の仏の本質をも傷つけているのです。この怒りの炎を収めるためには、やはり平らかな心が大事です。鏡のような、水面、湖面のような、そういう心が大事です。

 

その怒りを収めるためには、反省行や瞑想行が大切です。これをしないと大変なことになります。心の怒りの炎を抑えるということは、どれほど大事であるか。怒りの炎が、どれほど自分自身の仏性(仏の子としての性質)や他人の仏性を穢すか。

それを考えると、怒りというものは、何としてでも抑えなければなりません。労働組合でもそうです。怪気炎をあげて、よく労使の闘争をやっています。それが正当な権利の行使ならば問題はないでしょうが、単なる闘争のための闘争、破壊のための破壊をやっていると、心が乱れてきて、阿修羅霊に取り憑かれていくようになります。

 

「阿修羅」というのは、アスラというインドの言葉から来ています。アスラは恐ろしい、戦の神です。それも、特に悪い戦いをする霊人たちです。「阿弥陀」を「弥陀」と言うことがあると同様に、阿修羅の「阿」の字を落として、「修羅」と言うこともあります。ですから、阿修羅界を「修羅界」とも言います。これは、血みどろの恐ろしい世界です。                                          

 

人の言葉に傷ついて心に曇りをつくるタイプが危ない        

 

人間は切磋琢磨をしてお互いを磨いているときには、その心は天国の心なのです。しかし、お互いを磨くという心を忘れて、傷つけ合うほうに行った場合には、この修羅の世界に行ってしまいます。

その際に、この修羅、阿修羅の心を持っている人の特徴は、「正聴」と「正語」ができないということです。正聴とは、人の言葉を正しく聴くことです。これが出来ないのです。正しく聴くときに、肝心なことは、他人の言葉をどのように受け止めるかということです。

 

人は、他人の言葉を聞くことによって、心に曇りや傷をつくり、怒りを覚えるものです。他人の言葉というのは、自分に厳しいことがあったり、不本意なことがあったりします。しかし、そのときに、その言葉をどのように受け止めるかと言うことが大事なことなのです。

 

この聴き方に三通りあります。                                            まず、字を岩に刻むように聴く方がいます。                                      砂に書いた字は、二、三日はそのまま残っています。                                  しかし、やがて、風が吹くと崩れ、その字は消えていくでしょう。                              それから、水に字を書くように聴く方がいます。                                    

 

ちょうど、サラサラと流れてくる小川の上に字を書いても、それが一瞬ののちに流れ去り、また元の綺麗な水面となっていくように、こだわらない心、引っ掛からない心で聴く方です。                                                 

他の人が自分に対して厳しいことを言ってくださることがありますが、それが、自分にとっては本当に思い当たる節があるなら、それを素直に受け入れて、反省をすることです。                                              

 

そして、忠告をしてくれた人に対して、感謝をすることです。そうすれば、心の波立ちは何もありません。                                     このように、その言葉が辛辣で、自分に対して害意をもったものであったとしても、そのときに、岩に刻むような聴き方、砂に書くような聴き方、水に書くような聴き方の三通りがある、ということを知っておいていただきたいのです。                                                     

 

水の上に字を書いても流れ去っていくように、こだわらない心があれば、それは流れていきます。                                                                 そのときに、みなさんの心には怒りが起きてこないです。                         

 

怒りが起きてこなければ、相手を怒鳴りつけたりすることもなければ、相手を傷つける言葉や、相手の仏性を穢す言葉も出てこないはずです。

 

最後まで、読んでいただき、本当にありがとうございました。