大川隆法総裁先生 書籍・あなたの知らない地獄の話 参照です。

 

今、心が地獄なら、死後も地獄へ行く

 

悟りの原点として大事なことの第二点は、「天国と地獄があるけれども霊的な人生を生きる当たっても、天国的なる生き方と地獄的なる生き方の二つがある。

 

『天国へ行くか、地獄へ行くか』ということには、この世での心のあり方がそのままつながる」ということです。これは非常に仏教的な考え方です。キリスト教とは少し違いますが、仏教とはこういうものなのです。

心のあり方とは、「悟りの段階」のことであり、「その人の思っていること、心のあり方、悟りの段階が、そのまま、『死んだらどこに行くか』を決める」と言えます。

 

「今、心が地獄なら、死ねば地獄へ堕ちる。今、心が天国なら、死後、天国に行く。菩薩の心を持っている人なら、菩薩の世界に還るだろう」ということです。そのように、「今、生きている自分の心のあり方と、死後に行く所とは同じ」であり、この世とあの世を貫いて一貫しているのです。

 

幸福の科学は、これについて、「この世とあの世を貫く幸福を目指せ」ということをよく教えています。これは仏教の理論そのものです。ずばり、そうなのです。そういう意味で、常々、「善なる生き方、正しい生き方をしなさい」ということを教えています。

 

なぜ、悪霊は生きている人に取り憑くのか               

 

その「善か悪か」を教えるに当たっては、悪魔や悪霊、悪霊(あくりょう)、怨霊など、悪い霊的な存在の話が出てきますが、これらは現実に存在し、数多く目撃され、体験されています。

「天使と会って話をした」という人の数はわりに少ないのですが、悪霊体験のほうは、調べてみると、実はけっこうあるようです。地獄界はこの世に非常に近い世界なので、「この世に生きている人」は、気持ち的には地獄界に非常に近く、地獄界に通じやすいわけです。

 

私に霊的現象が起き、霊たちと話ができるようになって、いちばんショックであったことは何かと言うと、悪霊の存在です。「これがもとは人間だったのか。もとは人間だったのに、死後、このようになってしまうのか」と驚きました。あまりにも惨めな姿であり、「哀れ」としか言いようがありません。

 

彼らのなかには、この世で生きていたときには、それぞれ立派な姿をしていて、お金があったり学歴があったりし、会社では「部長だ」「社長だ」と言っていた方が大勢います。しかし、死んだらどうなっているかというと、苦しいので、「自分を助けてほしい」ということ以外に考えつかないのです。

 

これはちょうど、池で溺れていて、「助けてくれ」と言っているのと同じ状態です。要するに、「自分が助かりたい」ということ以外に何も考えることができず、何でもよいから取り憑いて、「とにかく助かりたい」と思っているのです。

映画「タイタニック」(1997年公開/パラマウント映画)では、救命ボートの数が足りず、乗客や乗員の半分ぐらいしか乗れなかったため、残りの人たちは海に投げ出され、凍りつく海のなかを泳いでいるうちに、だんだん死んでいきました。一等船客の多くはボートに乗って逃げたのですが、彼らは海に投げ出された人たちを助けに戻ることに反対し、戻ったのは一隻だけだったと思います。

 

戻ったら、何人もがボートに取りついてくるでしょうから、その結果、ボートごと沈んでしまうかもしれません。そうなると、助かっている人までもが沈んでしまうため、戻ることを怖がり、「戻れない」と言っていたのです。

死んで地獄に堕ち、亡者となっている人たちの状態は、それによく似ています。とにかく自分が助かることばかり考えているので、生きている人に取り憑いてきます。

 

要するに、ボートに乗って生存している人たちに取り憑くので、ボートごと引っ繰り返り、全員が沈んでしまうようなことが起きてしまうのです。これが、一家にいろいろな悪いことが起きる理由です

 

よい宗教は「地獄から抜け出す方法」を教えている           

 

この説法をした当時、ある宗教というか、某疑似宗教が、「地獄に堕ちるぞ」と脅して人々からお金を巻き上げていたため、経済産業省から行政処分を受けました。実際、やり方自体に問題があったところもあるのだろうと思います。ただ、「天国・地獄がある」ということを、「地獄へ堕ちたら大変なことになる」ということ自体は嘘でもなく何でもなく、本当のことであり、これは宗教的には護らなければいけない一線です。

 

もし地獄がないのであれば、人間には罪はなく、救済する必要もないので、宗教的な行為はまったく必要がないことになります。しかし、現実には、先ほど述べたとおり、海で溺れているような状況の人がたくさんいるわけです。

生きていたときに、唯物論者だった人や宗教をあざ笑っていた人が、死後、突如、霊的存在となって、真っ黒なところや阿鼻叫喚地獄、炎のなかなど、いろいろな苦しい責め苦のなかに置かれたら、「何とか助かりたい」ということ以外に何も考えられません。宗教的な知識がないため、「どうやったら助かるか」が分からないのです。

 

もちろん、だたしい宗教を知っていれば、そこから抜け出す方法は頭の中に入っています。したがって、生前に、教会やお寺などで教えを聴き、導きを受けておくことが必要です。また、死後には宗教家や遺族などが供養を通して、故人に救いのための ”ロープ” をなげてやったりもしています。

 

宗教はそういうことをしているから必要なのであり、人類史上、宗教がなくなったことはありません。たとえ共産主義で唯物論の国であっても、地下活動がなくなったことはないのです。なくならない理由は、「それが真実だから」であり、「真実の世界を意味しているから」です。

 

この世の人間が頭で考え、理屈で「こうだ」「ああだ」と言っても、真実は真実、事実は事実であり、ずっと昔からそうなのですから、変えられないのです。

先ほど述べた通り、悟りの原点の第一点は、「人間は霊的存在である」ということを自覚することであり、

第二点は、「天国と地獄があることを知り、魂の生き方としての善悪を知る」ということです。

 

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。