大川隆法総裁先生 書籍・永遠の生命の世界 参照です。
この世は、かりそめの世界
この世が仮で世であることの証明
永遠の生命について、お話したいと思います。 私は、さまざまな書物や法話のなかで、この永遠の生命について、くり返し述べてきましたが、みなさんは、その真実を、いったい、どれだけ心に刻んでいるでしょうか。それを再確認したいと思うのです。
人間の真実の生命は、有限のものではありません。そして、この世の人生と思っているものは、実は、真実のものではなく、かりそめのものにすぎません。この世の週十年の人生が真実のものでない証拠は、「生老病死」という言葉に象徴される「四苦」の存在にあります。
なぜ、人は、生まれるに際して、苦しみのなかを通過してくるのでしょうか。なぜ、母親のおなかのなかに宿り、長い長い時間、暗闇のなかで、じっと耐えているのでしょうか。そして、なぜ、泣きながら生まれてくるのでしょうか。
本来の世界の自由自在さを忘れ、不自由な世界に生まれんとする苦しみは、「生」の苦しみです。それは、「また一から出直さなければならない」という、手探りの人生、無明の人生の始まりでもあります。しかし、そのような生まれ方をしても、十年、二十年、三十年の歳月を過ごすうちに、人は、この世に愛着を覚え、この世の人生に執着するようになります。
みずからが、いとおしく思われ、この世の人間関係が、いとおしく思われ、「この世の世界の、ありとしあらゆるものを、自分の手に取りたい」と思うようになります。そして、青春を謳歌し、人生の盛りを迎えると、やがて、「老」、老いが襲ってきます。体の痛み、顔の皺、白髪、そして、何よりも、精神に張りがなくなり、未来が不透明となり、夢がなくっていきます。過去を思い返しては、取り戻すことのできない青春の日の思いでに執着するようになります。老いは男性にも女性にも厳しく迫ってきて、それから逃れようとしても、結局は追いつかれてしまいます。
また、「病」、病の苦しみがあります。人はみな、「五体満足で、健康に一生を全うしたい」と思うものですが、残念ながら、人生の過程において、病のときを得ます。それは、同時に失意のときであり、「本来、肉体は自分自身のものではなく、仮のものである」ということを感じさせるときでもあります。「自分のものだ」と思っている肉体でさえ、自分のものではありません。その証拠に、自分の自由にならないのです。これは、特に病のときに象徴的に感じることです。「健康になりたくても、なれない」、あるいは、「病になりたくなくても、なってしまう」、それが、肉体が借り物であることの証拠なのです。
さらに、「死」の苦しみです。これは人間にとって最大の苦しみでしょう。いまピンピンしている自分も必ず死を迎えます今から百年前には、現在、生きている人のほとんどが、この地上には存在しませんでした。また、いまから百年以上先には、今生きている人は、おそらく、ほとんど存在しなくなっているでしょう。このような不安のなかを生きていくのは大変なことです。
死の恐怖から逃れるために、この世のみに関心を持ち、享楽のなかを過ごしていても、やがて、老いという苦しみが鞭打ち、死が現実になります。 年を取るにつれて、ちょうど木の葉が落ちていくように、身の回りで次々と人が死んでいきます。
こういう「生老病死」の四苦の苦しみを見るにつけ、「真実とは、いったい何であるのか。真理とは、いったい何であるのか」ということを問う哲学的衝動から自由でいられる人は、まれでしょう。
人生における、さまざまな苦悩
四苦に加えて、この世には、さらに幾つかの苦しみがあります。 まず、「怨憎会苦」があります。嫌な人、嫌いな人と出会う苦しみです。「この人に出会わなければ、幸福だったのに」と思うような人と、どうしても出会わなければならない巡り合わせがあります。それは、職場のひとであったり、家族であったり、親族であったり、身近にいる人であったりします。
また、愛する人と別れる苦しみ「愛別離苦」も必ずやってきます。「この人だけは別れたくない。離れたくない」という、友人、妻、夫、子供たちなどがいても、死は、無情にも、そういう人間関係を打ち砕き、波が貝殻をさらっていくように、人を連れ去っていきます。
さらに、「求不得苦」があります。求めても得られない苦しみです。これは万人が感じるものです。誰もが、この世に生まれるときは、泣きながら生まれてきたのに、数十年の人生を生きていくうちに、この世が住みよくなり、この世にあるものを、「あれも、これも」と手に入れたくなります。そして、いつしか、自分が執着だらけの人生を生きていることを感じます。その執着は、人生の折り返し点を過ぎてのち、ますます激しいものとなっていきます。四十歳、五十歳、六十歳となって、地位を捨てられる人、名誉を捨てられる人、金銭を捨てられる人、あるいは人間関係を捨てられる人は、まれです。
執着は、年齢と共に増えていくものです。そして、求める気持ちも、さらに強まっていきます。強く強く求めつづける心は、実は、この世に生きていかんとする意志であり、この世のなかで自己実現を遂げようとする気持でもあります。しかし、「求めても得られない」という苦しみがあります。これもまた、この世が真実の世界ではないことを表しています。
そして、「五陰盛苦」があります。五官煩悩が燃え盛る苦しみです。「肉体を持って生きる」ということは、「五官煩悩が炎のように燃え盛りながら生きる」ということを意味しています。五官煩悩には、食欲や性欲、睡眠欲など、肉体を持つことに伴う、さまざまな苦しみがあります。肉体は、まるで自分のなかに動物を飼っているような、貪欲の苦しみをもたらします。
人は、燃え盛る五官煩悩の炎を消すことができず、それが暴れ馬のように暴れてしまい、魂が自分自身の主人公であることを忘れさせられてしまいます。
これが、数十年のうちに大部分の人が味わう、人生の苦悩です。人は、こういう四苦八苦の人生を生きていますが、「人生は、まさしく四苦八苦である」という事実をみつめることこそが、実は、この世が仮の世であり、真実の世界ではないことを証明するのです。
真実の世界ではないからこそ、そのような苦しみが現れてくるのです。真実の世界でないものに、こだわり、手に入れようとし、執着するからこそ、苦しいのです。
魂を鍛え、光らせるために
生まれてくる前の世界に、そして、死んで後に還る世界に、思いを馳せてみてください。そこに真実の人生があったのです。この世というものは仮の世です。永遠の生命を生きている者同士が、同時代に、この物質世界において、肉体に宿り、人間的生活を送ることによって、共に切磋琢磨しているのです。
そして、盲目の人生を生きている人が数多くいるからこそ、偉大な光たちも、次々にこの世に舞い降りて、衆生の救済にいそしんでいます。ある者は男の肉体に宿り、また、ある者は女の肉体に宿って、地上の人びとを教化し、救済することに、命を懸けております。
以前、私の著書『永遠の法』(幸福の科学出版刊)がミリオンセラーになりました。「この世とあの世の仕組み」と「転生輪廻の法則」を述べた、この真実の本は、すべての人が、死ぬ前に一度は読んだ方がよいと思います。
生きているうちに読んでこそ、その人生は光り、また、死後の人生も光ります。人は必ず死を迎えます。それが、いつであるかは分かりません。きょうか、あすか、あるいは一年後か、二十年後か、それは分かりませんが、死は百パーセント必ずやってきます。
「その後に来る人生こそが真実の人生である」ということを、また、「今世というものは、その後の、真実の人生を生ききるためにこそ、意味を持っている。魂を鍛え、光らせるために、大いなる意味を持っている」ということを、『永遠の法』は示しているのです。
真実の価値観に基づいた仏国土を
この三次元の現象界における人生は、一種の学校であり、魂にとって、学びの場にほかなりません。ところが、大部分の人々は、この仮の世界を、本当の世界だと思い、真実の世界、本当の世界のことを、忘れ去り、嘲笑しています。
真実に立脚していない人生は、もろく、はかなく、崩れやすいものです。真実の人生に目覚め、真実の自己のに目覚めたならば、その身は金剛不壊です。ダイヤモンドのように固く、光つづける存在となります。
いま、すべての人々に真実を知ってもらうための革命が、日本を中心にして、全世界に向けて発信されています。
私の願いは一つです。真実の価値観に基づいた仏国土を、この世において成就すること、そして、その仏国土が、永遠の生命に永遠の進化を約束するものであること、それを願っています。
どうか、一人でも多くの人に、永遠の生命の世界について語って下さい。それは真実であるがゆえに、みなさんは勇気を持たねばなりません。真実の側に立っている者は、真なる勇気を持たねばなりません。真実は強く、敗れないものです。断固として、それを押し広げていくことです。みなさんの使命は、真実を悟り、その真実を押し広げていくことにあります。また伝道を続けていかねばなりません。
縁ある衆生を、数限りなく救っていかねばなりません。今後も、そのための努力を続けていきたいと思います。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。