大川隆法総裁先生 書籍・無限の愛とは何か 参照です。

 

たしかに、天国・地獄と言われる世界はあります。私はこの目で見ました。                                  今も知ることができます。天国という世界に行っている人と話をすることもあります。                          地獄と言う世界に行っている人と話をすることもあります。厳然としてある世界です。                                      百パーセントあります。疑いを入れないものがあります。

 

しかしながら、その天国・地獄を分けているものは、ほかならぬその人自身の心であって、他の人の責任では決してないのです。                          あなた方は、ともすれば、自分の幸福は自分自身の力によるのだと思い、自分の不幸は他人や環境のせいだと思いがちです。                           

しかし、私が見てきた世界は決してそのような言い訳を許すような世界ではありませんでした。                                        

 

いかなる環境下に置かれようとも、いかなる人びとのなかに置かれようとも、すべては、そのなかであなたがどう生きたかという、この一点にかかっておりました。                                         その心にかかっておりました。厳しい環境であったことは理解しよう。                             難しい環境に生きたということは認めよう。しかし、その難しい環境の中で、あなたの心はどうであったのか。それをどうとらえたか。マイナスにとらえたか、プラスにとらえたか。

 

単に他人のせいだけして生きてはいないかーー。それをこそ問われているのです。                                    天国・地獄は、目に見えない世界だけではありません。                                 現在ただいまの、みなさんの心のなかにあります。自らの心を振り返ってみて、まだ不幸だと思っている人は多いでしょう。  不幸だと思っているからこそ、何とかして幸福へのきっかけをつかみたいと、この本を手に取られた人もいると思います。

 

けれども言っておきましょう。自らを不幸にしているのは、自らの心なのです。                         自らを幸福にするのも、自らの心なのです。自らの心の神秘性を知り、自らをいかなる環境下においても幸福ならしめた人は、必ず天国という世界に行くのです。                               

それは特殊な世界ではありません。みなさんが見ていて、すばらしいと思う人たち、心清しと思われる人たち、こういう人たちとつきあってみたいと思われるような人たちが、残らず行っている世界なのです。                                       普通の世界なのです。そうした普通の世界に普通に還ることは、簡単なことです。

 

にもかかわらず、その簡単なことができない人が数多くいるのです。今という時代においては、半分以上の人がそのような状態です。これは、霊的に見たら、半分以上の人が精神異常になっているのと同じなのです。                                                 自分の心ひとつ統御できないのか。                                           それで何ゆえ現代文明を誇ることができるのか。                                    何ゆえに、進歩したと言うのか。

 

あなたは、二千年前の人びとと比べて、どれほど自分が進歩したと言うのか。                                                    三千年前はどうだ。一万年前と比べてどうだ。本当に向上しているのか。本当に素晴しくなっているか。                                  

古来より、偉人と言われる人たち、聖賢と言われる人たちは、ひとつのことを教え続けてきました。                                              「心こそがすべてである」ということを、「心こそがみなさんの実体である」というこの一点を、何度も何度も、何千年、何万年と説きつづけてきたのです。

                                                  

いま、心のコントロールということを述べましたが、そう聞くと急に不安になり、難しいことのように思われる人も数多くいることでしょう。しかし、このことだけは、もう一度くり返して言っておきたいのです。この世を去った世界に、みなさんを応援している人たちがいるということを知らねばならない。

 

「その心の持ち方ではだめだ。こちらに来い。このような心の持ち方をせよ。こういうふうに生きなさい」と、声を嗄らして言っている人たちが数多くいるのです。                                               それだけの応援があるのに、その声になぜ耳を傾けない。その声が聞こえないというのですか。                                       

 

ならば言いましょう。その声を聞くことはできるのです。その声を聞くにはどうしたらよいかーー。                                      

それは、自らの心を澄ましてみることです。自らの行った過ちを反省して、みることです。過去数十年の人生を振り返って、間違った思いがあれば、その思いを修正し、間違った行いをしたとするならば、その結果苦しめた人たちに対して心から詫び、二度とそういう行為をしないと、神に詫びることです。そうすることによって、みなさんの心は澄んできます。

 

その時に、涙が流れるでしょう。その涙が流れる理由こそが、みなさんが神の子であることの証明なのです。なぜ、涙が流れるか。それは間違った行為をしてはいられないからです。そのように創られているのです。正しい生き方をするようにと創られているのです。それゆえに、教えられなくとも、深く深く胸の奥から涙がこみあげてきて止まらないのです。

 

間違った思いや行いのなかに生きている人たちは、こうした瞬間を必ず持っていただきたいのです。その時に、あなた方は温かいものを必ず感じるはずです。自らを包み込むところの温かいものを感じるようになるでしょう。そして、ある時には、明確な指針が降ろされてくることもあるでしょう。

 

また、ある時には、自らの前を堰していたものが取り除かれ、奔流のごとく人生が開けてゆくこともあるでしょう。扉が開くこともあるでしょう。一つの扉が閉まって、他の扉が開いてゆくこともあるでしょう。そうしたことを感じるようになります。心を精妙にし、澄みきり、そして目に見えぬ世界からの応援というものを感じて感謝する時に、そうした現象は数限りなく現われてくることでしょう。

 

驚くほど簡単なことなのです。当然と言えば当然のことなのです。人間として当然しなければならないこと、経験せねばならないことなのです。その当然のことができない人間が、どれほど多くなったか。教えてくれるところがないからです。教わることがないからです。

 

そして逆に、その真実の教えを嘲笑する者が跡を絶たないからです。人間は、少しばかり知識がついてくると、軽蔑の気持ち、「幼稚だ」という気持ちでもって、すぐ他人の考え方や生き方を批判するようになってきます。けれども、考えてもごらんなさい。心清く生きている人と、何千巻、何万巻の書物の知識を頭に詰め込んだだけの人と、この両者を比べて、いったいどちらを神様が喜ばれると思うかを。

 

答えは明らかなのです。真実のものを真実のものとし、素直に受け止めて、素直に生きてゆかんとする人のほうを喜ばれるのです。それが本当の姿だからです。その本来の姿に立ち返るということを、なぜそれほど難しいものと考えるのでしょうか。それは、間違った知識を相当してきたからです。そして、間違った意志によってねじ曲げているからです。

 

みなさんの価値観をよく点検してください。他人の価値観で動かされているでしょう。こういうところに就職すれば尊敬されるとか、こういう学校に入ればどう評価されるとか、こうした誘惑から逃れることはできなかったでしょう。いたるところにそうした誘惑は満ち満ちています。そして、私たちの心は、日々に染め上げられつつあるのです。

 

これに断固抵抗することです。真実の心を取り戻さなければ、何ら意味がないということを知らねばなれません。その基盤がしっかりしていなければ、その地盤がまともでなければ、その上にいくら建物を建てたとて、その建物は倒れてしまいます。これを「砂上の楼閣」と言います。砂の上には建たないのです。根本の人生観が大事です。

 

これがあってこその立身出世であり、これがあってこその自己実現なのです。また、これがあってこその名声でもあるのです。素晴らしい人生観を持ち、真実の世界を知っている人が、多くの人びとへの愛のために自己実現をし、自己拡張してゆくことはすばらしいことです。

 

ただ、その出発点を間違ってはいけないと言っているのです。勉強しても結構です。いくら知識を集めても結構です。しかし、根本を間違ってはならない。根本が腐ってしまったら、そんなものは何の役にも立たない。こういうことが言いたいのです。みなさんには、多少酷な言い方に聞こえるかもしれません。けれども、はっきり言ってこの最初の関門を通過しないかぎり、幸福などというものはあり得ません。

 

もし、この世的にいろいろな成功法則があって、それで自らの思いが遂げられたとしても、地上を去った後に待っているものが何であるかは、保証の限りではないのです。

 

私は、くり返しくり返し言っています。この地上を去って持って還れるものは、心しかないのです。みなさんの心しかないのです。財産も何も持って還れない、名刺も持って還れない、心しか持って還れないならば、その心をよくする以外に何の方法がありますか。どんな幸福感がありますか。それしかないのです。こんな簡単なことなのです。

 

今日ただいまより、自らの心というものを、どれほど明るく、透明感に溢れ、多くの人びとへの愛の思いに満ちたものにしてゆくか。これが人生を日々勝利してゆくための方法なのです。

 

長くなってしまいました。最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。