大川隆法総裁先生 書籍・秘密の法 参照です。
死後、畜生道に堕ちて動物の姿になってしまう人たち
この世を去ったあの世の世界においては、人間以外の動物たちも霊として存在します。 また、現代人にとっては理解しにくいこととは思いますが、芥川龍之介の小説「杜子春」に出てくる両親のように、畜生道に堕ち、牛馬のごとく変身している者もいます。
動物はそれぞれ、いろいろな特色を持っていますが、生前、その人が生きていたときの生き方が、ある動物の特色に似た性質あるいは傾向性を持っていた場合、死後、地獄に堕ちて「畜生道」と云われる所に行き、その動物の姿と似たかたちになってしまうことがよくあるのです。
そして、あまりに長くそうした姿でいると、そもそも人間であったことを忘れ、自分の姿を見て、「これが自分自身だ」と思うようになってくることもあります。これは悲しいことではありますが、後代の仏教の中では「一念三千」と言うように、「人の心は一念三千。念いには三千通りの現れ方がある」ということと同じなのです。
これは、別に仏教だけが説いているわけではありません。プラトンが筆記した「国家」という本のなかに、彼の師のソクラテスが語った内容として、「人間の魂は、いろいろな動物の姿にもなっていく」ということが書かれています。
また、「潔癖であることを示すために白鳥の姿になる者もいる。あの世へ行くと、入っていく穴が違っていて、入る穴によってそのように変わる」というようなことを書いているものもあり、西洋の哲学でも言われていることなのです。 このように、深い霊能者であれば分かることもあると思います。
狐や蛇などの動物の性質を身につけていないか
死後、魂になってから動物の姿になる場合、それぞれの姿には、何か「魂の表象」があるはずです。
例えば、ライオンは勇気を象徴してます。 人を騙したり、たぶらかしたり、嘘をついたり、ごまかしたりする傾向が強い者は、狐のようになっていきます。 あるいは、人を避けてコソコソと逃げ隠れする傾向がとても強い者であれば、ネズミのような姿に変っていきます。 近寄ると、必ず、”針で刺してくる”ようなタイプであれば、ヤマアラシのような動物の姿になっていきます。
なかには、死骸に群れて死肉を食らうハイエナのような性格の人もいるでしょう。 嫌なものですが、動物や人が死ぬと、どこからともなくハイエナやハゲタカが必ず集まってきます。 一匹あるいは一羽やって来ると、ほかの仲間も集まってきて死肉を食べるのです。
このように、腐敗臭に非常に敏感な動物もいます。 それから、憑依でよく見られるのは、蛇の霊です。 動物としての蛇は、現在でもまだ自然界にたくさんいて健在です。ただ、人間でも、畜生道に堕ちて蛇のような容姿になっている者もかなりいます。蛇の特徴は、見て分かるように、獰猛性、執念深さ、色情欲の強さ、恨み、猜疑心です。 こうしたものが強くなってくると、死後、蛇になりやすいのです。男女関係においても、三角関係など、いろいろともつれたりし始めると、その人が蛇の姿に見えてくることもあるし、蛇の霊を引き寄せることもあります。
もちろん、その他の動物も可能性としてはあります。 貪欲を象徴するような動物もいることはいますし、いろいろなものがいます。
したがって、自己を反省し、「自分は霊障になっていないか」ということを見るときには、動物園に行っても良いし、動物図鑑を見ても結構ですが、「自分の性格は、何かの動物に似ていないか」ということも少し考えていただきたいと思います。
平和な動物もいますが、嫌なところがある動物も存在します。「そういう動物の性質を身につけていないかどうか」を考えていただきたいのです。
先ほど述べた蛇の場合、憑依されると、リュウマチ等の病気になる人もいます。 「下半身が冷える」「足が痛い」「足が動かない」などと言っている人を霊視したり、その人に神仏の光を実際に当ててみたりすると、蛇の霊が取り憑いているケースもあるのです。
また、狐の霊が取り憑くこともあります。「四十肩、五十肩かな」と思っているかもしれませんが、肩に取り憑いたり、後頭部に取り憑いたりしていて、そのような症状が出てくる場合もあります。
最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。