大川隆法総裁先生 書籍・悟りの挑戦 上巻
「瞋(じん)」=統制できない怒り
これは、カーッとこみ上げてくる怒り、自分で統制できない怒りです。 短気で、すぐにカーッとしまう人がよくいます。見境がなくなって、そのときだけもう自分を失ってしまって、何を言っているかわからなくなるのです。とにかくすぐにカッとしてしまいます。
頭の回路を通して冷静に考えて、「これは怒るべきことであるから怒らなくてはいけない」と思うのではなくて、何かに触れると瞬間湯沸かし器のようにカッと怒る人です。これが「瞋(じん)」なのです。 これも、昔から心の毒素の一つになっていて、この怒りをだすと、せっかく穏やかに治めていた心の水面が非常に波立ちます。 そして、不愉快で不愉快でしかたがありません。夜も眠れなくなってきます。ですから、人と会うと非常に面白くないし、すぐカッカとする癖があります。
会社に勤めていても、非常によくできた人のように見えるし、頭もいいし、見映えもいいし、ずいぶん立派な人だと思うのに、いまひとつ出世しない人がいます。そういう人の特徴として、この「瞋」、怒りというのを持っていて、すぐカってしまうので、せっかく九十九点取って、あと一点積み上げようとするときに、がらがらと崩れてしまうのです。
「彼を管理職にどうか」という話が出たときに、「あれはすぐカっとなる男なので、何かのときにちょっと信用ができない」「取引先で喧嘩したらどうする」「部下に対していきなり八つ当たりをすることがある」「いきなり上司に食ってかかることがある」「そういうことがいきなり出てくるので、ちょっとどうかな」というようなことを言われて、出世が遅れたりする人がいます。
ですから、能力的には非常に高いのに、どうして出世しないのかというときには、そういう短気を持っていることがよくあるのです。なぜそうなるのかということですが、これもある意味での動物性の一つなのです。動物たちもすぐカッと歯をむきます。 どんな動物でもそうですが、自分の身に危険があったりすると、歯をむいたり、牙をむいたり、爪を立てたり、毛を逆立てたりします。それにちょっと似ていると言えるでしょうか。
あるいは、自分の領域内に何者かが入ってくると、すぐに迎撃するような性格に近いかもしれません。 ヤマアラシのように、周りに対して、猛然と針を立てるのです。やはり動物的な本能の一種かもしれません。 ですから、この怒りのところを抑えると、心は常に穏やかで、修行に適した状態になります。
ただ、これにも例外があるので付け加えておきます。ここで言われる怒りというのは、いわゆる「私憤」です。 私の怒り、憤りを戒めているのです。
これに対して「公憤」というものがあります。公の怒り、憤りです。これは完全になくしてしまってはいけにことなのです。 この公の怒りというものがなくなると、世の中を前進させる力がなくなるのです。
たとえば、非常な圧制、封建制度が続いていて、農民たちももはやがまんならないし、このままでは世の中が立ちいかないというときに、革命のために起ち上がる、明治維新の志士のような人たちがいます。
これは怒りに走っているから間違いと言えば、そうではなく、これは公憤なのです。公の怒りというのは失ってはいけないものです。これは正義とも関わってくることです。
ですから、私憤、公憤を内に秘めたような怒りを、ある意味では持っていなければ、世の中は少しも変わりませんから、これは知っておいてください。宗教改革なども、多くはみな、この公の怒りを内蔵しているものです。現状の宗教では人は救えない、こので起ち上がる―ーそのエネルギーは公の怒りです。これは「瞋」とは違いますので、間違わないでいただきたいと思います。
それから、個人的な領域においても、「怒る」ということを「叱る」ということはまた別のことです。 子どもがいたずらをして言うことを聞かないときに、親としては叱らなくてはいけません。 それを叱らないで甘やかしておくと、いざというときに自分でチェックできない子供が出来あがってきます。 このように、未熟なるものに対して強い指導を与える場合の叱るという行為は、また別の行為です。
この二つの例外があるということは知っておいてください。
💗 最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。💗