みなさん、こんにちは。これから、五回にわたって、人間の死後の世界を、大川隆法総裁先生の書籍「悟りに到る道」の中の、第一章の「天国と地獄」を全文、記載したいと思います。私たちにとって、とても大事な大事な、そして、今まで知らなかった世界の話であるので、ぜひ・是非読んで下さい。お願いします。

 

大川隆法総裁先生 書籍・天国と地獄 参照です。

 

では、死んだ後、魂はどうなるのでしょうか。昔からよく初七日、それから四十九日と言います。                        この初七日の七日間ぐらいは、魂はだいたい自宅の近辺にいるものなのです。そして家の人に話かけようとしたり、いろいろなことをしていることが多く、なかなか家から離れません。それから病院で死んだ方は、病院でまだがんばっている場合もあります。すでに死んでいるのですが、自分の専用ベッドを他の人に使われていると、「誰だ、俺のベッドに侵入したのは」と怒ったり、「僕の点滴取った」とか言っているひとがいます。                      

 

ですから、がん病棟などであまり死にたくないものです。ほんとうに次から次へとお客さん(霊)が来て、うるさいだろうと思います。このように、一週間ぐらいは、死んだ場所を中心としたところで、魂は生活をしております。四十九日と言いますが、死んでから二か月弱の間に何が起るかと言うと、死んだ人がその後、どういう世界に行って、どういう生活をするかということが、ここでだいたい決まるのです。この数十日ぐらいの間に、死後の行き先が決まります。これを、「中陰(ちゅういん)」とか、あるいは、「中有(ちゅ      

これはまだ死後の世界ではなく、この世とあの世の中間あたりにいるということです。ここで、大きく言うとだいたい三通りほどに分かれます。   

 

🌈① 霊界に旅立てない人

 

まず、普通の規定のコースから外れる方ですが、一つは、まったく霊界への旅立ちができない人がいます。要するに、生きているときに、唯物論=物しかない、物質しかない、死んだらあの世など絶対にないということを、単に自分でそう思っているだけでなく、すでに特定の信条や思想にかなり染まっていて、実際にそう信じ込んでいるような方なのです。                       

 

これは、この世的なる身分や地位は全然関係ないのです。たとえば科学者でも、そうした考え方に凝り固まって、「あの世などという迷信はまったく信じられない」などと言い切っているようなタイプの人がいます。そういう方は、哲学者などのなかにもいます。このように、この世的なことで凝り固まっていて、「あの世なんか、どんなことがあっても絶対に信じられない」というタイプの人は、死後の世界を認めませんから、肉体が焼けた後にも自分が存在するということがわからず、よく「地縛霊」というものになります。地縛霊とは、地上にある特定の土地や建物、死んだ場所などに縛られている霊のことです。そのため、霊界への旅立ちができないでいるのです。   

 

そうすると、本人は、「生きている」と思っていますから、身内にいろいろな不幸が起きたりすることがよくあります。不幸が続いたりします。なんとかして自分の存在を知らせようとするのです。そのように、ずっと地縛霊になっている人がいます。                    あるいは、死ぬときに、ものすごい苦しみ、痛みの中、阿鼻叫喚の状態で死んだ人は、精神のほうが何も考えられないような麻痺状態に完全になっていて、自分が死んだということに気がつかないまま、十年、二十年、三十年と経っていることがあります。                     葬式も何も全然わからないのです。死ぬときの、病気の末期の厳しい状態で苦しんでいるだけで、あとは何も考えつかないという方もいます。    

十年も二十年も経っても、その病気のままの心境で苦しんでいる人がいます。こういう人たちは、ほんとうにあの世への旅立ちにまで入れない方なのです。

 

🌈② すぐに地獄に堕ちる人 それから、もう一つ典型的なタイプは、非常に言葉は悪いですが、生きていたときに悪人として生きた方、善悪を分けたら悪人という方、悪い思いばかり出し、悪い行動ばかりしてきたというような方です。                                こうした方で、生きている間に心があの世の地獄霊たちに通じて、四体、五体、あるいはそれ以上の地獄霊に憑依されてしまい、そのままで地上での生命を終えたときに、通常のようなあの世への旅立ちがまったくできずに、そのままストーンと深い地獄に堕ちてゆく方がいます。          

 

こういう人も、今では平均すると十人に一人ぐらいはいるかもしれません。これは、まっさかさまに落ちてゆくという言葉によく似ています。何が何だかわからない状態で、ほんとうにダストシュートのなかや井戸のなかにドーンと落ちてゆくような感じなのです。死んだ直後に真っ暗な井戸のなかをドーンと下がってゆく感じになります。何が何だかさっぱりわからないのですが、深いところに落ちているということだけはよくわかります。                      

 

その落ちる距離は本人にもわかりませんが、地球の中心ぐらいまで落ちたくらいの感じがします。無限に近い深さまで落ちたような感じがします。さらに、その井戸を落ちているときに、真っ暗で何も見えない人と、まわりの世界を見ながら落ちてゆく人の二通りがあります。夢中な人は何も見えませんが、多少なりともまわりを見る余裕があった場合には、途中いろいろな地獄の光景のようなものを見ながら降りてゆきます。

 

最近は外から見えるような透きとおったエレベーターがよくありますが、あのような感じで、まわりのいろいろなもの見ながら落ちてゆき、「ここなら我慢ができる」と思っても、ずっと下の階へ落ちてゆく方や、「このくらいで停まりたい」と思いながら、どんどん落ちていって、「まだかまだか」と思いながら、まだ落ちてゆくという方もいます。             

 

この二通りの場合、もはやほとんど手の施しようがないのです。こういう人をつくらないようにするためには、やはり、生前のうちに幸福の科学の真理に気づいていただく、目覚めていただくことが非常に大事です。まったく知らないと、もうどうしようもありません。ですから、この話を嘘だと思う方もいるかもしれませんが、たまたまでも義理でもかまいませんから、できたら私の本の一冊でも読んでおいていただきたいし、講演やセミナーを一回でも聴いておいていただきたいのです。            

 

そして、心のどこかに、その話を置いておいていただきたいのです。そうすれば、ストーンと堕ちてゆくときに、なぜ堕ちてゆくのかがよくわかります。「ああこれが昔聞いた、あの話か。俺が、いわゆる悪人にあたるわけだ」というのがわかります。                        これは問答無用です。まわりの世界を見れば、言い訳ができません。錯覚ではなく、そのとおり起きてくるのです。                ですから、あとあと対策がたちやすいという意味において、できたら生きているうちに一回くらいは真理の縁に触れておいたほうがよいと思います。 こういう方がある程度いますが、これが、みなさんが伝道していて、通常、大変な困難を感じる方がたなのです。                 

 

その人に伝道しようとして、話をしようとすると、ガーンと岩か何かの塊で頭を打たれたような感じになり、その日一日調子が悪くて、しばらく何もできないという感じを受ける方とお会いになることがあると思います。そういう方が、だいたいこの二種類のどちらかに行くタイプなのです。ですから、そのような方を嫌うのではなく、気の毒な方なのだと思っておいてください。

 

🌈③ 通常の人=「導きの霊」が来る

 

通常の人は、これとはちょっと違います。先ほど述べましたように、普通は、初七日のころは自宅のあたりでうろうろしております。そして自分のいつもしていたように生活をしようとするのです。たとえば、朝になっても目覚まし時計が鳴らず、家の人が寝ていたりすると、「おい、もう朝じゃないか。何をしているんだ。早く起きろ」とか言っていたり、奥さんに、「朝食早くつくらないと、会社に遅れる」とか言っているのです。

 

また、カバンを持って電車に乗ろうとしてみたり、いろいろなことをするのです。習性というのがあって、同じようなことをしたがるのです。そういうことを一週間くらいしています。やがて、一週間ぐらいに、だいたい「導きの霊」が来ます。       導きの霊とは、その人を説得するのにいちばんふさわしい方です。ただ、死に方が悪かった場合には、本人の意識が目覚めるまでに多少の時間がかかるので、なかなか難しいことがあります。一週間以内ぐらいにだいたい導きの霊がきますが、その際やってくるのは、通常の人でしたら、自分より先に亡くなっている友人や知人、いちばん多いのはご両親です。                          

 

ご両親は普通、先に亡くなっておられると思いますが、たいていの場合は、まずご両親が来られます。                      それから、親しかった友人、すでに亡くなっている兄弟が来られます。  ただ、そうした方が地獄に行っている場合は、そこから出てこられないので、迎えに来ることはできません。来られた場合には、一応成仏している方です。             来られなかったら、それは、ご両親がいま息子や娘を迎えに来られない状態にあるということであり、むしろ自分のほうが迎えに来てほしいぐらいであるということです。                         

 

そして、亡くなられた身内や友人の顔を見ていると、どうやら自分が死んだということが、実感としてわかるのです。               話をしているうちに、「自分は錯覚しているのではないか」とか、「だまされているのではないか」とか、そんなことを何度も何度も自問自答するのですが、次第に、「ほんとかな」と思うようになります。そういう迎えが来た後、しばらくしますと、導き専門の本格的な専門職の方が来ます。                             

 

死んだ人の宗教観によって、多少違ったかたちで出ますが、仏教的な人でしたら、お坊さん風の人が来たり、キリスト教系ですと、天使のスタイルをした方がよくおいでになります。そして、「こちらにいっらしゃい」と案内してくれます。        そのときは、まず家の屋根の上のほうに抜けていって、空を飛んでいるような感じになります。                         霊体ですから、ほんとうは自由自在なのですが、人間としての意識がまだ残っていて、空を飛んだりするのは怖い感じがあります。そのため、導きの霊が必ず脇についていて、引っ張っていってくれるのです。

 

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。