幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:愛することと愛されること 参照です。

 

🍓 本当の幸せをつかみたい あなたへ

 

ただ、私などは若いうちから ”俗世にまみれながら俗世の外側にいた人間” ですので、若干違ったふうに感じているもののほうが多かったのです。実はすでにたくさん与えられているにもかかわらず、多くの人はそのことに気がついていないでいて、足りないことばかりに目が向くのです。

 


自分の足りないもの、不足しているものにばかり目が向いて、「その不足の部分を埋めてくれたら、やっと一人前の人間になれて、満足できる。人前に出れる。人様と肩を並べて堂々と生きられる」ーそんなふうになることを、みんなが求めているように、私には見えたことが多かったのです。

 


『太陽の法』(幸福の科学出版刊)にも書いてありますが、「スズメたちの話(愛の神秘 P141)」とかで出てくる話ですけれども、朝起きて太陽が毎日昇ってくれることを「神様が自分たちを愛してくれている」というふうに思う人は、世界八十億人近い人口のなかで何人いるかなと思います。

 


太陽がー実際は地球が太陽の周りを自転しながら回っているので、二十四時間のうち、太陽が出ているときと出ていない時があるわけですけれどもーそれが「ありがたいこと」だということは、当たり前すぎて考えられないでいるのです。

 


太陽が出るからこそ、昼間、光の世界のなかを生きることができるし、色彩も感知できて、「いろいろな人が、あるいはいろいろな動物や生き物が生きている」ということを知ることができます。太陽があるからこそ、穀物もあれば、花も咲き、いろいろな営みができるようになります。

 


だから、ありがたいことなのですが、朝、それに感謝して起きる人はーごく一部の、信仰などでそういうことをするところぐらいでは、あるかもしれませんがー普通はいないでしょう。

 


あるいは、水があることもそうです。水がないと、人は一週間も生きることはできなくなります。食べ物はなくても一週間ぐらい生きていることはありますが、水だと一週間ないともたないでしょう。しかし、たいていの人間は、水があることの幸福を考えはしません。

 


あえて言えば、砂漠のなかを旅行していて、水がなくなったようなときは、それは、渇望するような飢えを感じるでしょうし、昔から言うように、砂漠のなかにオアシスを見つけたら、泉が湧いていたら、おそらくもうそれは、値段の付けようがないほどの幸福でしょう。

 


自分にもラクダにも、それは ”天国” でしょう。「水が湧いているだけで天国」というのは、もう全世界標準で見れえば、すごく ”チープな天国” です。「飲める水があるだけで幸福だ」というのだったら、それは大変でしょう。

 


今は、海水を真水に変える技術もありますけれども、長い間、水を求めていろいろな悩みや苦しみもあったので、実は「きれいな真水が手に入る」ということだけでも大変なことなのです。

 


釈迦の時代でも、水の利権争いなどで、川の両岸の住人が戦ったりすることが毎年のように起きたりしていました。「川の水を自分の田んぼなどに引いていこうとするから争いが起きる」というようなことで、悩みは尽きませんでした。

 


近現代では公害などが起きるようになりましたが、水を飲んで病気になったり、生き物も死んでいくような事態になってきたら、初めて、きれいな水というのに値打ちがあることがよく分かるようになります。

 


今現在は、横浜の岸壁の近くにクルーズ船が止まっていて、「コロナウィルス感染の患者が出ているので、上陸は認めない」ということで、三千七百人ぐらいの定員ですけれども、なかなか船から降ろしてもらえないでいます。(説法当時)。

 


幸いなことにこの船は、海水を真水に変える装置を持っているらしくて、ときどき、港からちょっと沖に出て、きれいな海水があるほうに行って、海水を吸い上げて真水に変えたりはしているようだから、水には困らないようではありますが、いろいろなことには事欠いているようです。

 


人間は、一生の夢として、「退職したら、退職金を使って、一生に一回、豪華クルーズ船で世界一周してみたいなあ。退職金の一千万円を投入して、世界一周旅行をしてみたら、どんなに楽しいだろう。幸福だろう」と、普通は思うものです。


 

ところが、こんなウィルス感染などで、どこの国からも嫌がられて、寄港も断られたりし始めると、 ”天国” であったクルーズ船が、今度は ”地獄” になってしまった。 ”出られない地獄” です。どこからも好かれない、「来てくれ」と言われない、出してくれない。地獄にはそういうところがいっぱいありますが、そうした、 ”地獄” になるわけです。

 


同じような ”入れ物” のなかで生活していても、そういうことはあります。「食料や医療品ぐらいの供給はあるけれども、自由がないということは、こんなに不幸なことなのか」と。退職して自由になったと思ってクルーズ船に乗って、世界の港をあちこち回っていたのに、クルーズ船に乗って不自由になってしまったということです。

 


「こんなことなら、風邪をひいた人がゴホゴホ言っていても、マスクをかけて駅を歩いて通勤していたほうが、よほど幸福だったかなあ」と思うこともありましょう。

 


だいたい、世の中において、「自分が満たされているかいないか、あるいは自分が不幸であるか不幸でないか」を考える人、あるいは、自分のその不幸感覚、満たされていない感覚を、満たしてくれるものによって「愛を与えられた」と感じて、そういう「ゲットする愛」を本物の愛だと思っているような人にとっては、とにかく「足りないもの」「不足しているもの」を考えがち、見がちであるので、なかなか幸福にはなれないのです。

 


一つのことが満たされても、次が出てくるのです。 

 

🌈 自分にとっての「幸福の基準」を見直す・・・・・

 

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(私文:なかなか気がつかない幸福)

 

幸福を感じていくためには、ここのところはとても大事だと思います。良いところを見ていく癖は当たり前だと思いますが、悪いところばかりを見る癖がついているのが私たちではないでしょうか。

 

 

私の好きな瞑想曲があります。「今ある幸福」という題なのですが、ほんとうに、今ある幸福をじっと見ることが大事で、一つひとつ今ある幸福を考えていくと、ほんとうに幸福を感じることができるのです。

 

 

不幸感覚をなくすには、気がついていない幸福を一つひとつ、見つめていく習慣が必要なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

💗 最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございました。💗

 

是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・愛すること愛されること を読んでください。

 

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