〜③からのつづき〜


木曽川流域をさかのぼった。

長良川とは少し違う風景に出会った。

そこには国境を越えて、

生命をつなげる物語が2つあった。


ひとつ

⭐️『千の畝、千の田、千の道』⭐️




ルーツは八百津町。

杉原千畝記念館があった。


東洋のシンドラー。

ユダヤ人を救った人。

そんな雑把な程度しか知らなかった

杉原千畝の生き様に

飛び込んでみた。


学生時代の突飛さに

同類というべきか、

多数ではない生き方に

親近感をおぼえ

彼に焦点をあて描くことを決めた。


🍕🍕🍕🍕🍕


〜千畝さんの一生を読んで

見えてきた構図と着想〜


まず、ユダヤ人を救うために、

自身の決心で、ビザを発給し、

彼らの国境越えの脱出を手助けしたの

だけど、それまでの千畝さん自身が、

あらゆる困難を乗り越えて、

いくつもの国境を超えてきたことが

ココロに留まった。

その時々の出来事が、

あのいのちのビザに通じてる。


⇒その生い立ちを表現したい。


どうやって?


彼の母方のふるさとが八百津町界隈。

彼の名前の由来といわれてる

千の畝が広がってるような景色が

原点とするなら…八百津上代田の棚田…

そこから描こう。


🍕🍕🍕🍕🍕


石垣がりっぱな田んぼの棚をひとつの
人生ひとコマの舞台にした。🔽

1段目右は、学生時代。

医師を熱望した父親の反対を押し切るため、

ソウルの医療系大学の試験を白紙答案。

その後、牛乳バイトなどしながら、

早稲田大学で英語を学ぶ。

その時の様子を千畝さん本人が

「破れた紋付羽織にノート2.3冊を

懐にねじ込んで、ペンを帽子に挟んで

豪傑然と肩で風を切って歩くのが

何より愉快」と手記で語っていたので、

このエピソードを描いた。


ボク自身も、親の意向ではない

専門学校に通い、日々バイトして

つないでた。それに実家が

牛乳屋やったからリアルにわかる。

あと共通してるのが引っ越し多いこと。

大学までに、

美濃⇒越前⇒四日市⇒中津川⇒桑名

⇒名古屋と転々としている。


左は、大学中退後に見つけた

官費留学生募集にのって、

中華民国(満州)ハルビン学院での

ロシア語教師の熱弁ぶりの様子。


🍕🍕🍕🍕🍕


2段目

彼の、2度の女性との出会いを描いた。🔽




左は、満州国建国あとに結婚した

白ロシア人女性との場面。

その時、正教会からの洗礼を受けたので、

それもあらわした。

時節は次第に戦時下に変わってゆく。

満州関東軍の横暴に厭気がさし、

軍からの官吏要請を断り、離婚に

追い込まれ、無一文となり帰国。


そして、弟の協力を得て

池袋の下宿で暮らし始めたころ、

知人の妹である菊池幸子と結婚。

外務省に復帰するも赤貧状態。

右は、その様子だ。


事態は世界大戦へ


1937年

ヘルシンキ在フィンランド日本大使館赴任。

1939年

リトアニア在カウナス日本領事館

領事代理。

直後、ドイツ軍のポーランド侵攻により

第二次世界大戦に突入。

その様子を3段目左に描いた🔼


ナチスドイツの棄民政策により、

ユダヤ系難民は増え、避難先を

求めて各国の領事館になだれ込む。

しかし、次々と閉館し、開いていた

カウナス日本領事館に

人々が殺到した。


3段目の右の様子🔼
千畝さんが語る。

「忘れもしない1940年7月18日の
 早朝のことであった。」

「6時少し前。表通りに面した領事公邸の
 寝室の窓際が突然人だかりの喧しい
 話し声で騒がしくなり、意味がわからぬ
 喚き声は、人だかりの人数が増える
 ためか、次第に高く激しくなってゆく。

 で、私は急ぎ、カーテンの端の隙間から
 外を窺うに、なんとこれはヨレヨレの
 服装をした老若男女で、色々の人相の
 人々が、ざっと100人も公邸の鉄柵に
 寄りかかって、こちらに向かって
 何かを訴えている光景が眼に映った。」
 
🍕🍕🍕🍕🍕

4段目〜いのちのビザ発給〜の様子🔼

そして千畝さんは、
「人道上、どうしても拒否できない。」と
いう理由で、受給ビザ要件に
満たない者に対しても通過査証を
発給しつづけた。
それは、夫人に対する問いかけ

「領事の権限でビザを出すことにする。
 いいだろう?」
エレミアの哀歌を思い出した彼女は、
「あとで、私たちはどうなるか
 わかりませんけど、
 そうして上げてください。」
と、こたえた。

彼は列車がカウナスの駅を出発する
ギリギリの時までビザを書きつづけた。
2139枚のビザを書いた、と記録にはある。

カウナスからドイツへの
途につく際のこと。
汽車が走り出そうとしていた。
もうこれ以上はビザを書けないことに、
「許してください。私にはもう書けない。
 みなさんのご無事を祈っています。」と
駅にのこった人々に頭を下げると、
「スギハァラ。私たちはあなたを
 忘れません。もう一度、
 あなたに会いますよ。」という
叫び声かあがった。

🍕🍕🍕🍕🍕
そのあと、シベリア鉄道ルートを
経て、日本にも一時滞在し、
たくさんの人々が各地へ避難していった。

5段目〜
母のふるさと八百津町にある
「人道の丘公園」のモニュメントを
描いた🔼

パイプオルガンを模した160本が
天に向かう。なんだろう。 
まだ、実物を見たわけではないけど
人道を超えて天道かもしんない。

祈りと願いは違う。
でも千畝さんの道のりは
共にあったように思う。

必ずや一度、千の畝
その原風景を訪ねよう。


🍕🍕🍕🍕🍕


木曽川の流れる
もうひとつの町、中津川にも
国境、人境、心境を越えて
つながりあう生命の物語がある。

ひとつ
⭐️「🎵大きな胞衣の樹の下で」⭐️

中津川ってどんなところだろう。
何が名産なんだろう。
そう、名産。
名物ではなく名産。
その風土だからこそ産み出されたもの
…栗きんとん。

数ある地域の銘菓名店の中で
着目したのは、恵那川上屋だった。
他店もふくめて何度も
調べ探索ダイブする中で、
2つのことが描く題材を絞らしてくれた。
一つは屋号に土地の名前があること。
その土地と生きてゆく、
という宣言やと思う。
身土不二の息吹を大切にしてそうだ。

そしてもう一つは、
おばあちゃんのエピソード。

鎌田のおばあちゃんが店先で
栗きんとんを配ってた。
その人とのつながりひろがりの
姿勢に真心を感じたから、
描く構想を、
複数店ではなく単店にさせてくれた
くらいのインパクトやった。

では描いてみよう。

大きな栗の木の下で〜の🎵メロディに
のせながら、恵那川上屋が
つむぎだし、越えてつながる世界を
その胞衣(栗の品種)の木の園のまわりに
🎵仲良くあそびましょ〜って
描いてみた。🔽


恵那山も描きたかったから、一思案。
栗きんとん、なんども見てたら
山に見えてきたから、いっそ
栗きんとんにした。
ちょうど、恵那山の古語の呼び名
「胞衣」の栗の品種もあるしね。

大きな胞衣山と
大きな胞衣栗の木の麓に集う、
つながりひろがりの和を
描いた。

🌰🌰🌰🌰🌰

〜スペイン・ガルシア地方と
スイス・リヨンとのつながり🔽



🌰栗の産地つながり
スペイン・ガルシア地方との
共同開発で産まれた
「栗山」というモンブラン。

🌼スイスを拠点に創作活動をされてる
横井照子さんとのつながりで
産まれた、彼女が描く
雛芥子や栗の絵柄のパッケージ。

それを祝して
ルア・デ・コステイラのワインで
彌栄〜!!

🌰🌰🌰🌰🌰


〜栗の恵みを育む
 風土とのつながり🔽

恵那山麓にある栗農園の作業風景。
作業する仲間がかぶるのは
栗きんとん帽。

かたや、信州伊那谷飯島では
市田柿の作業風景。

ボク自身、伊那谷で暮らしたことあるから、
あの雄大さは、手に取るようにわかる。
どちらも栗さんにとって
快適な環境だ。

葉を落とす樹木にとっては
冬場の適度な冷え込みは
大切やと思う。
栗の産地はたいてい、
標高が高い内陸部だ。

栗は栗が好む場所で育てるのが
好ましいことを考えると、
栗は風土産業の要だ。

🌰🌰🌰🌰🌰

〜和菓子屋さんが、あらたにつながる
 あらかると🔽

和菓子に欠かせない砂糖との
つながりを自ら生産の場所である
薩摩種子島に持っている。
そのサトウキビの作業風景。

🌰

あるようでないーって
コンセプトは日本風土ならではが
醸す陰陽調和の十八番やと思う。

パティシエのミュが醸す
生マンゴーとのコラボレーションが
セレブレーション。

クラシカルラジカルって感じ?な
マンゴープリン。

マンゴーといえば
昨年初海外で行ったタンザニアだ。
町あちこち村あちこち
マンゴーの木だらけ。
よく生マンゴージュースを
飲んだな。一杯150円やったかな。

🌰横井照子の描く世界を
 趣き深い校倉造りの古民家を
 活かして、美術館を併設している。

特に中庭におられる
しだれ梅の木さんが氣になる木。

🌰もうひとつ
スペースをつくって追加して描こう。
中山道のにぎやかな宿場町と栗。
そう思わせてくれたのは…
彼らのルーツに触れたから。

「私たちのふるさと岐阜東濃地方では、
 古くから木ノ実や果物を使った
 野趣あふれる
 自然菓子文化が発展してきました。」

🌰最後に結ぼう。
〜クリとエナからのメッセージ〜
・「エナ」…ギリシア語で「1」
                     日本語では「胞衣」
     胎児を包むものの総称。
言霊としては、
「移りゆく重要なもの」と
 いう要素を宿す。

・「クリ」…寺院の台所。石材。
     能の謡曲の構成要素の1つ。
     そして、女性の大切な場所。
言霊としては、
「引き寄せて離れる」という要素を宿す。

・エナとクリ⇒
エナジーをクリエイションする。

恵那川上屋さんを眺めてるに、
それを実践してはるように見える。
ただ、エナの持つ抱合する力を
大切にすること、これから今は
重要になる氣がした。

この2つの、越えてつなげてゆく
いのちの物語。きしくも
この東濃木曽川の流域の
流れのなかにある。

あ〜あ〜川の流れのように
かろやかに、
この身を任せていたい〜

今回長編でしたが、
東濃風土に
ありがとうございました!

たぶん、三河の地へ
〜⑤につづく〜
2025年7月2日記

日本風土絵巡礼
〜伊勢湾還流域の恵み編
きっかけを話しています
https://ameblo.jp/karibuyoon/entry-12912743242.html