ルポ「ヘブロン~第二次インティファーダから20年(第2回)」~土井敏邦
その2です。
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
『2020/10/14
「沈黙を破る」のヘブロン・ツアーをガイドするイドは、
参加者たちをシュハダ通りにあるユダヤ人入植地の前に導いた。
ヘブライ語と英語で書かれた広報看板の前に立つと、イドは、こう説明した。
「これは入植者が作ったものです。
英語とヘブライ語です。
ここを通るのはイスラエル人と外国人だけだからです。
この看板で、“西岸でパレスチナ人最大の街なのに、なぜこの中心街がパレスチナ人に放棄されたか““なぜパレスチナ人が全くいないのか”を説明しています。
“アラブ人がオスロ戦争(注・第二次インティファーダ)を始めたため、セキュリティー(安全保障)の理由で”“2000年9月の第二次インティファーダで、ユダヤ人がこの道路で攻撃されたため”と書いてあります。
入植者たちの“神”を信じない世俗派のユダヤ人や非ユダヤ人に対して、“神が命じたから”というのでは説得できないことを彼らは知っています。
だからもっと世俗的な言語を使って説得しなければなりません。
人びとが一番、理解できる言葉は“セキュリティー”なのです。
入植者が主張するのは“我われが望んで店を全部閉鎖したんじゃない。我われは西岸最大の街の主要なマーケットを閉鎖したくはないのだ。第二次インティファーダ、つまりパレスチナ人の暴力のために閉鎖を強いられているんだ。パレスチナ人が我われを殺そうとするから、防衛のために店を閉鎖しなければならないんだ』と言うのです。
この建物の向こう側は肉屋の市場でした。
肉屋市場が閉鎖されたのは、
1994年のゴールドシュテイン虐殺以後であり、
2000年の第二次インティファーダ以後ではありません。
店が閉鎖され、この地区が無人化されたのは、
第二次インティファーダの前からだとわかっています。
つまりゴールドシュテイン虐殺というイスラエル人によるテロの後であって、パレスチナ人のテロのためではないんです。
入植者は“セキュリティー“を入植地の拡張のために利用しています。
私自身の兵役体験の実例をあげましょう。
私が兵役でイスラエル北部のレバノン国境にいたとき、基地の中に大きな看板がありました。
“君たちの主要な任務はイスラエル北部の国境を防衛することだ”と書いてありました。
しかしここ西岸で兵役についたとき、基地の看板には
“主要な任務は入植地とそこに出入りする人たちを守ること”と書かれていました。
つまり兵士たちは国境を守ることではなく、入植者を守ることが任務だったのです」
イドはさらに参加者たちを
シュハダ通りと旧市街のスークをつなぐ、
現在は封鎖された道路の前に案内して説明を続けた。
「この通りは、かつては人々や車が行き交う主要な中継道路でした。
しかし今は封鎖され、もう中継道路ではなくなり、パレスチナ人は通れません。
だから店を開く経済的な理由はなくなり、
沿道のほとんどの住民は“H1”(パレスチナ人地区)に移りました。
つまり旧市街の人口の半分は、もうここに住んでいません。
ヘブロンの入植地は3%でパレスチナ人側は97%なのに、なぜそんなに怖れるのかという意見があります。
ここは、それが半分は嘘であることを示すいい場所です。
たしかに入植地はヘブロン全体の3%です。
しかし実質的な損害を考えると、パレスチナ人は3%以上の地域で損害を被っています。イスラエル人が入ることができないH1の中にです。
800人の入植者を600人の兵士と警察が守っています。
だから入植者1人あたり、1人の兵士と警官が守っていることになります。
旧市街スークには、あなたたち外国人は入れますが、
私のようなイスラエル人は入れません。
しかし入植者は入れるのです。
彼らはそこで旧市街ツアーができます。
大きな政治力を持っているからです。
とても興味深い、兵士の証言があります。
イスラエル人が入れないはずの地区で、
入植者がどのようにツアーをやるかの証言です。
入植者は休日、特に“仮庵祭”や“過ぎ越しの祭り”などユダヤ教の祭日の時にツアーをやります。
そのために厳重な兵士の警護が必要です。
一例をあげましょう。
ゲートを開け、入植者を旧市街に入れる前に、兵士たちがその地区を立入り禁止にします。
両側の通路を塞ぎ、車の通行を禁止します。
そしてツアー予定地の周辺で、怪しそうなパレスチナ人を検査します。
さらに2〜3人の兵士がパレスチナ人の家の屋上に上り、狙撃の場所を確保します。
何かが起これば、狙撃兵がすぐに反応できるようにするためです。
その後に入植者が入り、それを兵士たちが輪を作って入植者たちを囲み守ります。
そのように入植者は兵士に守られ、
旧市街やH1地区に入ります。
想像してみてください、
入植者が兵士の輪で守られ、パレスチナ人地区を歩く様子を。
自分たちの存在を誇示し、誰がこの地区の“オーナー”かを示すのです。
このツアーが入植者とパレスチナ人との軋轢を生み出していることは軍もわかっています。
それが入植者や兵士たちの安全を脅かすとわかっていても、実行しなければならない。
実際、パレスチナ人が入植者や兵士を攻撃したことがあります。
入植者の旧市街ツアーを警備するイスラエル兵。
そのツアーは誰が最も“政治力”を持つかを示すためのものです。
入植者は、旧市街でのツアーを決断する政治力があることを示すのです。
それは、軍と密接に関連しています。
イスラエル軍ヘブロン地区の司令官や軍の高官たち、西岸の軍のトップには、二つの選択肢があります。
イスラエルの最高裁判所に従うか、
入植者の意思に従うかです。
どちらを選ぶかの決断です。
彼らは入植者を選びます。
最高裁判所が、道路の通行制限を解放するように軍に命じてもです。
法によれば、最高裁判所の判断は最も権威があるはずです。
もちろん、それは入植者の推薦よりも優先されるべきです。
入植者の提案は、私の提案と違いはないはずです。
しかし実際は違うのです。
つまり入植者は強大な“政治力”を持っているのです。
ヘブロンや西岸の軍司令官はそれを理解しています。
彼らは馬鹿ではありません。
最高司令官など軍での昇進を目指すなら、最高裁判所より、入植者に従った方が有利なのです」』