![](https://i.ytimg.com/vi/0fQ7Kz3OmG4/hqdefault.jpg)
パレスチナ関連近況
動画にあった概要文の抜粋です。
『人質4人が救出された奪還作戦。
それはガザの人々にあまりに大きな犠牲を強いるものでした。
イスラエル軍の人質奪還作戦が始まったのは8日午前11時。
空爆は人々が外を行き交う時間帯を襲いました。
夜ではなく、ハマスの隙をついた奇襲作戦。
人質が拘束されていた建物の模型をもとに事前訓練も行われていたといいます。
みなるん注:この映像は実際の破壊されたデイル・アル・バラのヌセイラットだと思いますが、事前の訓練でも模型はこのように破壊されたのでしょうか?
百歩譲って、限られた人数での襲撃作戦だったのでハマスの反撃に苦しんだ部隊もあったから、シュミレーションの1つにあったかもしれない、ハマスの反撃をくらった時【イスラエル兵士や人質に当たらないように】空爆や戦車の攻撃を要請することを実行させたのかもしれませんが、
中にはドローンもあったという情報の記事も見つけたので、
イスラエルは軍隊、警察、シン・ベトの工作員からなる特殊部隊を送り込み、人質を救出するために2つのビルに同時に突入した。
目撃者によれば、イスラエル軍の急襲と撤退は、激しい空爆とドローンや戦車による砲撃に覆われていたという。
もしハマスの戦闘員と交戦していたのがほんとうだとしたら、もっとピンポイントでハマスの戦闘員を殺せなかったのかとも思うんですが・・・。
男性
「私たちの頭上を20機以上の軍用機が飛んでいた。
様子が変だと感じていた。
高い建物が攻撃を受けて崩壊した。
ビラなどの警告もなかった」
みなるん注:空爆の方は、イスラエルの報告では襲撃作戦でハマスに囲まれた部隊の方が空爆や戦車などのカバーを要請したことによるとありましたが、もしそうならビラの警告は出来なかったでしょうし、
カバー以前にも20機以上の軍用機の攻撃があったとしても、「奇襲作戦」だけになおのことパレスチナの民間の人達のために警告はしなかったでしょうね。
ネタニヤフは与えられた役割を忠実にこなしているだけのような気がするんですが、
ロスチャイルド・シオニスト達は、こんな反感を食らうのは目に見えてることを言わせることによって何を仕掛けたいのでしょう?
ベングビールやスモトリッチの影響力が既に増しているアピールでもしているのか?
【6月11日 AFP】
パレスチナ赤新月社(PRCS)は10日、
イスラエル軍が8日にパレスチナ自治区ガザ地区中部ヌセイラトの避難民キャンプで実施した人質4人の救出作戦で、
人道支援物資輸送用のトラックを利用したと非難した。
PRCSは、
イスラエル軍が避難民キャンプに侵入するために支援車両を使うことの危険性を警告。
「占領軍(イスラエル軍)は、深刻な食糧不足にあえぐ人々が渇望する人道支援を装い、人々を欺いた」
「これは支援隊の安全を脅かす」
と非難した。
PRCSの広報を担当するネバル・ファルサフ氏はAFPに対し、
こうした前例のために、人道支援要員が今後疑いの目で見られる可能性が高まったと指摘した。
(みなるん注:もし今回イスラエル軍が支援トラックで侵入したことがほんとうで、しかもそのことによって「人道援助活動家が将来疑惑の目で見られる可能性を高める」ことになるとしたら、イスラエルは最初からそれも計画の内でやったのでしょうか?)
イスラエル軍は本件に関するAFPの取材に対し、アビチャイ・アドレー 報道官の8日のX(旧ツイッター)の投稿を確認するよう回答した。
アドレー氏はその投稿で、イスラエル軍が支援車両でヌセイラトに入ったとの主張は「うそ」だと否定していた』
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
『2024年6月11日
住民が大勢集まるヌセイラト難民キャンプの通りは、近くの市場で買い物をする人々でにぎわっていた。
攻撃を目撃したイサアム・ジャミール・アロウキさんはBBCに対し、イスラエル兵が家具を満載したトラックでやってきたと話した。
「突然、トラックから特殊部隊が出てきて銃を撃ち始めた」
と、アロウキさんは話した。
病院から取材に応じたアロウキさんは、
自分も胸と腹を3カ所撃たれたという。
マットレスを載せた2台目のトラックが到着し、そこから二つ目の分隊が現れ、はしごを使い、ひとつの住宅棟に入ったようだという情報もある。
IDFは、2軒目の住宅から救出しようとした。
しかしこの時点ではすでにハマス側も、何が起きているかを把握したため、奇襲は成立せず、困難な作戦になったと説明している。
人権団体「ヨーロッパ・地中海人権モニター」のラミー・アブドゥ代表によると、イスラエルの特殊部隊ははしごを使って、アフメド・アル・ジャマル医師の家族宅に侵入したことが、早い段階の証拠で分かっている。
ジャマル医師の息子アブドゥラ・アル・ジャマル氏(36)は、かつてフリーランスのジャーナリストで、ハマスの広報担当だったこともある。
アブドゥ代表によると、特殊部隊はジャマル医師とアブドゥラ氏のほか、家族の何人かを殺害した。
しかしその後、男性3人をガザ地区から脱出させようという段階で、この作戦は窮地に陥る。
IDFは今のところ、作戦に参加した部隊がパレスチナの戦闘員に激しく銃撃されたと説明している。
現場離脱に使っていた車両の少なくとも1台が、故障したとも報じられている。
イスラエル軍は援軍を送ることを決定し、
空と海、そして地上から、激しく攻撃した。
携帯電話で撮影された現場の映像には、
人々がミサイルから逃げようと転がったり、銃声が鳴り響いたりする様子が映っている。
また、通りに遺体が転がっている映像もある。
多くのパレスチナ人が殺されたのは、この時だったとみられている。
モハメド・マフムード・ハメドさんはBBCに、
「大勢が殺された。
あまりに大勢で、近寄ることもできなかった。
助けることも、遺体を回収することもできなかった。
特に、負傷者を助けられなかった。
銃撃も爆撃もあまりに激しくて、恐怖から誰も助けに行けなかった」
イスラエル軍は、戦闘機は「作戦成功のために数十カ所の軍事目標を攻撃した」としている。
ガザ地区中部デイル・アル・バラフのアル・アクサ病院と、
ヌセイラト難民キャンプ内のアル・アワダ病院は、
すでに極限状態にあったが、そこに血まみれの被害者が次々に運び込まれた。
被害者には子供も多く、廊下は死傷者でいっぱいになった。
モハメド・アル・アサルさんは、アル・アワダ病院で、頭に包帯を巻いた幼い娘のベッドの横に座っていた。
「娘のうち2人は殺され、残りもけがをした」
と、アル・アサルさんは話した。
「妻と娘のラガド、リーム、ミンナ、ジャンナ、全員がけがをして、他の2人は殉教した」
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のサム・ローズ計画主任は、ヌセイラト難民キャンプにいた多くの職員が、この攻撃に巻き込まれたと語った。
「地上部隊が周辺で激しく交戦する中、多くの職員が
ヘリコプターや戦車、砲弾から逃れるため、
文字通り何時間も階段の下に隠れていた」』