イスラエルの警察官に殺害される、エチオピア系イスラエル人達の現実
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
機械訳なので、ちょっとわかりづらいかなと思った箇所は自分なりに補正しました。
その1です。
『「彼らは私たちの兄弟を殺している」:
イスラエルが1日閉鎖された理由
2019年7月3日
彼らはメディアに怒り、体制への信頼を失い、これまでの他のエチオピア系イスラエル人と同じように、自分たちも肌の色のために代償を払う可能性があることを知っている。
昨日テルアビブで抗議活動を行ったデモ参加者は「アナーキスト」ではなかった。
権力を奪われることを怖れ、まだ失っていないことを示したいと訴える、若い女性や男性達だった。
2019年7月3日、ソロモン・テカさんが殺害された事件を受け、エチオピア人コミュニティが警察の残虐行為に抗議する中、警察官と対峙するエチオピア系イスラエル人女性。(オーレン・ジブ/Activestils.org)
週末に19歳のエチオピア系イスラエル人ソロモン・テカさんが警察に殺害されたことを受け、
エチオピア人コミュニティはこれ以上黙っていられないと決意し、抗議活動のため街頭に出て3日目を迎えた。
火曜日夜のデモはイスラエル全土で行われ、
それによってイスラエルの主要幹線道路や他の道路はほぼ停止状態に陥ったことにより
メディアには「暴力的」「無政府的」とのレッテルを貼られた。
しかし、火曜日の夜、数百人もの人々がイスラエルの交通の中心地の一つであるアヤロン・ハイウェイを封鎖したテルアビブ中心部で目撃したことは、悲しみと当惑だけだった。
自分達の周りで何が起こっているのか理解できず、自分達の将来を恐れ、誰かが耳を傾けて、白人のイスラエル人が彼らに加わってくれることを望んでいる若いエチオピア系イスラエル人。
これらの抗議活動参加者の中には、
2015年にエチオピア系イスラエル人ヨセフ・サラムサさんが警察の取り調べ後に死亡しているのが発見された当時や、
2015年にダマス・パカダさんが警察官に殴打される様子が撮影された当時、
まだ10歳だった人もいた。
彼らは、兄達がどのようにして逮捕され、屈辱を与えられ、暴力や差別を終わらせるという政府の約束が、どれも実を結ばなかったことを目の当たりにしました。
「今回の抗議活動は、これまでの抗議活動とは違う」
18歳のYさんは、火曜日の夜に語った。
「前回、私たちは両親の足跡をたどりました。
耳を傾け、敬意を示すために。
私たちはこの道では上手くいかないことを理解していたので、武力行使に踏み切ったのです」
身元を守るために名前を明かさないように求め、アヤロンの抗議活動中に逮捕されたYさんは、
エチオピアの若者が街頭に繰り出しているのは、
警察を捜査するはずの制度を信頼していないからだ、と説明した。
殺害を行っているにもかかわらず、関与した警察官を起訴していない。
「彼らは事件の捜査を打ち切ってしまい、何もしません。
警官は、常に無罪放免です。
この抗議活動は続くと思うが、終わるまでには時間がかかるだろう」
「家を出て、手当たり次第に家宅捜索を受けるということがどういうことなのか、人々は理解していないと思います」
とYさんは続けた。
「もしそうなら、私たちの抗議活動がもっと静かになった時に彼らは気づいたでしょう。
しかし、効果がなかったので武力行使を試みます。
私たちには、失うものは何もありません」
2019年7月2日、ソロモン・テカさんが警察に射殺された事件を受け、アヤロン・ハイウェイでのデモに参加したエチオピア系イスラエル人をイスラエル警察が排除。(オーレン・ジブ/Activestills.org)
全国のデモ参加者のほとんどは、高校生か兵士だった。
エチオピアの兵士達はソーシャルメディア上で、国に恩返しする理由が見当たらないという現状を公表し、
「今日はソロモン・テカだ、明日は私だ」
と兵士の一人は書いた。
Yさんは、イスラエル社会の人種差別を理由に軍隊に入らないことに決めたと語った。
「私は国家に仕えたくありません。
私は、私の兄弟やアラブ人を殺す国家に仕えたくありません」
「人種差別は人種差別だ。
これはエチオピアの抗議ではなく、
(みなるん注:機械訳どおりに明記しましたが、もしかしたら「エチオピア人だけの抗議であってはならない」という表現の方があってるでしょうか?)
すべての人の抗議であるべきです」
半年前、テルアビブ南部の郊外で
24歳のイェフダ・ビアドガさんが警察官に殺害された事件の後、
抗議活動はエチオピア人コミュニティのより著名な指導者達によって主導された。
当時、デモ参加者はアヤロン・ハイウェイを封鎖し、徹夜明けのラビン広場まで行進したが、
この決定は多くの若い世代を落胆させた。
徹夜明けに、何百人ものエチオピアの若者が
テルアビブ中心部で警察と衝突することになった。
あれから半年が経ち、今では若い世代が抗議活動の先頭に立っています。
火曜日、彼らはテルアビブ中心部の主要な交差点を何時間も封鎖し、小さな抗議グループに分かれ、警察の暴力に反対する声を上げ、この国の最も重要な経済拠点の一つで交通を止めた。
午後8時ごろ、数人のデモ参加者がゴミ箱に火を放つなど、怒りは明白となった。
踊り始めたり、警察に反対するスローガンを唱え始めたりする者もいた。
一方、数十人の機動隊は群衆からウォーターボトルが投げられるのを眺めていた』