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レバノン関連近況
シェアさせてもらった記事からの抜粋です。
『02 May 2024
半年以上にわたって、レバノン南部のイスラエルとの国境沿いで宣言されていない戦争が続いており、
約92,000人のレバノン市民が避難し、
家屋、企業、農業が破壊されている。
ヒズボラとイスラエル軍によるこの紛争の最前線は、国連が監視するブルーラインの一部を含む約850kmに及び、
双方から発射されたミサイルはそれぞれの領土内15kmに達する。
イスラエル軍の攻撃によって民間人が死亡し、
家屋やインフラ、農地が損壊・破壊され、
森林火災が発生している。
国境の両側の市民が避難している。
「私たちの町は国境に面しており、現在住民1000人のうち100人しかいません。
残りは代替の生計手段を確保できない人たちです」
と、ティレ地区のキリスト教徒が多い村、アルマ・アル・シャーブのジャン・ガフリ村長はアラブニュースに語った。
「これまでのところ、
砲撃によって94軒の家屋が破壊され、
オリーブ畑、マンゴー、アボカドの果樹園、ブドウ園、オリーブ、カロブの木の60%が焼かれてしまいました。
焼かれたオリーブの木の中には樹齢300年のものもあります」
国境地帯の人々のほとんどはシーア派。
残りはスンニ派、ドルーズ派、キリスト教徒で、
数十世帯のシリア難民、
UNIFIL(国連レバノン暫定軍)の部隊約1万人、数千人のレバノン兵がいる。
レバノン南部のスルタニエ村の民家をイスラエル軍が空爆した後、瓦礫を撤去するブルドーザー。(AFP=時事)
アルダヒラも、紛争が始まって以来、毎日のように激しい砲撃を受けている町だ。
ヒズボラが10月8日に軍事攻撃を開始したのは、その近くの国境からだった。
アブドゥラーブ町長は、
「完全に破壊された家屋は17軒、
砲撃のために住めなくなった家屋は数十軒に上ります」と述べた。
彼は続けて
「ラディヤ・アッタ・スウィードさん(75歳)という女性一人だけが、自分の家に留まり離れまいとしました。
彼女は2006年の戦争中も家にいましたが、家に一緒にいた兄の妻が殺され、彼女はそこに残ったのです」
イスラエルとの国境から目と鼻の先にある村、クファルケラのハッサン・シェイト村長も、破壊と移住について同じような状況を報告した。
「物質的な損失は大きい。
ここは夏も冬も人々が暮らす町ですが、6,000人の住民のうち7%しか残っていません」とシェイト村長はアラブニュースに語った。
「村からの移住により、人々はホームレスとなり、
親戚の家や賃貸アパートで暮らし、
市民社会やヒズボラからの援助(金銭的援助と現物援助がある)に頼って生活しています」
イスラエル軍の空爆後、国境の村ブルジ・アル・マムルーク近くの畑で炎が上がる。(ロイター/ファイル)
「イスラエル軍の砲撃によって、この町は15人の殉教者(亡くなった人)をみました。
今日、この町で起きていることは、2006年の戦争で起きたことの比ではありません」
最初の応酬が始まるとすぐに、レバノン南部の町や村から何千もの家族が逃げ出した。
これらのコミュニティの多くは、
住民の約90%を失い、今ではゴーストタウンとなっている。
避難民のほとんどは女性と子どもで、国境から離れた町、
たとえばティレ、ナバティエ、ザハラニ、シドン、ジェズィーヌ、さらにはベイルート南郊の地域に移り住み、
そこで賃貸住宅を借りたり、親戚の家に滞在したりしている。
自活する手段を持たない人々は、地元当局が設置した避難所に住むことを余儀なくされている。
これらのシェルターは、そのほとんどが学校の校舎を利用したもので、彼らの町や村から簡単に行ける距離にあるティレ市に集中している。
この長期にわたる避難生活は、2019年後半にレバノンを襲った金融危機がもたらした経済的苦境に重なっている。
さらに悪いことに、多くの南レバノン人は、移住の結果、生計を失っている。
アルマ・アル・シャーブのガフリ町長によると、
何人かの避難民が、ベイルートでの出費は村でのそれとは違うと言っていたという。
ある人は、「市民団体や国際機関、裕福な外国人からの現物支給を除いては、働いていないので収入はない」と語った。
「アルマ・アル・シャーブには政党も武装勢力もなく、
住民はみなレバノン国家を支持し、自分たちの町が戦場になることを拒んでいます。
人々は自分たちの将来を心配しており、私はこの立場をヒズボラに伝えようとしている」
当初、家賃の減額や免除の恩恵を受けていた人々は、
現在、もっと支払うか、引っ越すかを求められている。
一部のアパートの家賃は月100ドルから1,000ドルに跳ね上がり、
家計の貯蓄や収入に大きな負担をかけていると報じられている。
メディアの報道によると、
ヒズボラは避難世帯の支援に介入し、
南部とベイルート南部郊外のアパートオーナーに家賃の上限を設定するよう呼びかけ、
家族に経済的援助を提供している。
地元メディアの取材に応じた家族によると、
ヒズボラは四半期ごとに1000ドルの支払いを3ヶ月間行い、
その後、月平均300ドルに減額し、約15000世帯の避難民をカバーしたという。
他の避難民と同様、アル・ダヒラの人々も「お金がなくなり、親族が自分たちの存在を不快に思っている」と訴えている、と同町のグライブ町長は語った。
「2日前、私たちは亡くなった人を弔問するために町を訪れました。
私たちは急いで町に入り、すぐに家々を調べましたが、生計と財産を失った男たちが泣いているのを見ました」
「アル・ダヒラの人々は
タバコ、オリーブ、穀物の栽培で生計を立てていましたが、
(前シーズンの)作物が焼けてしまい、今は土地が火の海です」
「問題は、状況が日に日に悪化していることです。
人々の生活は一変しています。
戦争が長引けば、土地は死んでしまう。
イスラエルは意図的にこの土地を焦土にしようとしているのです」
否定できないのは、
農村全体が移住させられたことで、多くの地域で、かつては豊かだった農業経済が崩壊の危機に瀕していることだ。
「アイタロウンの人々は
農業、特にタバコ栽培で生計を立てており、今日の損失は大きい」
と、南東部の国境の町のサリム・ムラド町長はアラブニュースに語った。
「40軒の乳牛農家があり、約500頭の牛を飼い、チーズや乳製品を製造する工場が2軒ありました。
避難によって生産が止まり、
避難民は牛を売るか屠殺した可能性が高い」
「この地域は牧草地が豊富で変化に富んでいるため、
国境沿いに2,200の蜂の巣が分布していましたが、
これらの蜂の巣は完全に失われ、
農家はオリーブの季節を失い、
これらの果樹園は将来の耕作適地を失ってしまいました」』