パレスチナとエジプトと、パレスチナの支援物資を運ぶエジプトの運転手達 | みなるんのブログ

パレスチナとエジプトと、パレスチナの支援物資を運ぶエジプトの運転手達

 

 

シェアさせてもらった記事からの抜粋です。

29 Apr 2024

 

 

エジプト人は、自国の経済的苦境にもかかわらず、パレスチナ人の苦境に同情的であった。(AFP

 

 

スーダン、イエメン、シリアからの難民を受け入れているにもかかわらず、エジプト政府はパレスチナ人の流入を許可することには慎重である。

 

 

2024426日、ガザ地区南部のエジプトとラファの間にあるフェンスの向こうで、警備に当たるエジプト兵と談笑する避難民の子どもたち。(AFP

 

 

エジプト政府関係者を不安にさせているのは、パレスチナ人の流入による経済的影響だけではない。

この難民の波にはハマスのメンバーも相当数含まれている可能性が高く、彼らはムスリム同胞団への地元の支持を煽ることになるかもしれない。

ハマスとムスリム同胞団はイデオロギー的に強い結びつきがある。

同胞団は2012年から13年にかけて、ムハンマド・ムルスィー大統領の下でエジプトを一時的に支配したが、その後は非合法化されている。

ムルスィー大統領が政権を追われて以来、エジプトはイスラム主義グループの標的となり、シナイ半島のエジプト軍基地への攻撃を開始した。

政府は、こうしたイスラム主義グループが、避難民となったパレスチナ人を勧誘することを懸念している。

しかし、この決定はエジプトの手には負えない可能性がある。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の右派連合政権のメンバーの何人かは、ガザのパレスチナ人を近隣諸国に移住させ、移送することを公に要求している。

イスラエルの財務大臣であるべザレル・スモトリッチ氏は以前、パレスチナ人が立ち去れば、「イスラエル人が砂漠に花を咲かせる」、つまりイスラエルの入植者による土地の再占領の道が開けると述べた。

イタマル・ベングビール(イスラエル安全保障相)も「107日を繰り返したくなければ、故郷に戻り、この土地を支配する必要がある」と述べている。

 

エジプトには最大10万人のパレスチナ人が住んでおり、

その多くは1948年のナクバの生存者とその子孫である。

1954年にガマル・アブデル・ナーセル氏が政権を握り、パレスチナ人の居住と就労が許可されると、その数は着実に増加した。

しかし、1973年のアラブ・イスラエル戦争後、事態は一変した。

パレスチナ人は外国籍となり、国家サービスから排除され、自動的な居住権も認められなくなった。

 

エジプトにたどり着いた人々は、同情的なエジプト人家族に受け入れられているが、

イスラエルがガザへの帰還を許可しなければ、永久に避難生活を強いられることになると恐れている。

戦争で家も生活基盤も失い、経済的に苦しんでいる人々も多い。

ホストファミリーにとって、この慈善行為は、自分たちの厳しい財政にさらなる負担を強いることになる。

「私たちはパレスチナ人に同情していますが、私たちの手は一杯なのです」

と、匿名を希望したカイロのあるエジプト人ホストはアラブニュースに語った。

「私自身、経済的に苦しいのですが、

家族全員を失い、今はたった一人の娘たちと暮らしている男性に家賃を要求する気にはなれません」

 

ラファ検問所のエジプト側では、

援助物資や消費財を積んだトラックが、イスラエル軍が入国を許可し、重要な貨物の流通を許可するのを待つために、何キロにもわたって列をなして待機している。

国境で待機しているエジプト人トラック運転手の多くは、国から給料をもらっている。「私たちは政府から給料をもらい、ここで待っている間、基本的な食料と水を支給してもらっています」

と、ある運転手は匿名を条件にアラブニュースに語った。

 

 

エジプトとガザ地区の国境、ラファのパレスチナ側で入国を待つ人道支援物資を積んだトラック。(AFP

 

 

イスラエルは、戦争が始まって以来、ガザへの援助物資の流入を制限している。

トラックの運転手たち待機を余儀なくされ

その多くは運転席で寝たり間に合わせのベッドを用意したりしている

給料があろうがなかろうが私はこの仕事をする

とトラック運転手は言う。

「彼らは、飢え死にしそうな私たちの兄弟姉妹なんだ」

 

エジプト人ができることは、どんな小さなことでも協力すること、

そしてパレスチナ人が流出することなく戦争がすぐに終わることを願うことだけだと感じている。

 

「大虐殺にさらされている人々から、文字通り

数時間しか離れていないのに、国境からガザに入る命令がまだ出ていないのです」

「恥ずべきことです。

私はここに車を停め、待ち続ける。

この荷を降ろすまでは帰らない

それは今、何よりも道徳的な義務なのです」』