パレスチナの子供達の現状 | みなるんのブログ

パレスチナの子供達の現状

 

 

動画にあった概要文の抜粋です。

『パレスチナ子どものキャンペーン ハリールさん

「提携団体とラマダン中の夜明け前の食事の準備をしています」

 

 

小さな袋が1世帯7人、

1週間分の食料だといいます。

ガザ地区南部ラファで、

わずかに手に入る食料を市民に配り続けている

日本の支援団体の現地スタッフのハリールさんとオンラインでつなぎ、話を聞きました。

 

ハリールさん

「私たちは世界中の人たちに悲しんでもらいたいわけではない。

この戦争を止めて状況を解決する。

それが私たちに必要なことなのです」

ハリールさん自身もガザ市民の声を世界に配信しています。

 

炊き出しを受けた女の子

「(Q.何人でこの炊き出しを食べますか?)

家族6人です。

 

 

兄弟がいたのですが、戦争で亡くなってしまいました」

 

 

 

 


 

 

 

シェアさせてもらった記事からの抜粋です。

07 Apr 2024

 

ガザ地区南部のラファにあるパレスチナ人難民キャンプの仮設教室で、生徒たちに話しかける教師。(AFP=時事通信)

 

 

戦争が勃発すると、学校は直ちに授業を停止し、

大半は空爆から逃れる家族のための避難所となった。

ユニセフによれば、今回の戦争で、

ガザにある563棟の校舎のうち、少なくとも53棟が破壊されたという。

ユニセフを含む援助機関が、衛星画像と現地からの報告をもとにまとめた報告書によると、10校中8校以上が被害を受け、67%が直撃を受けている。

 

「ここに一番長くいる同僚は、

以前の紛争で学校が攻撃されたことを覚えている」

とパレスチナ難民救済機関(UNRWA)のジュリエット・トーマ広報官は語った。

 

領土の人口の半分が避難している南部の都市ラファでは、テントの中にその場しのぎの学校が設置されている。

あるテントでは、

ヒバ・ハラウェさんが30人の子どもたちに、初めて言葉の読み方を教えていた。

「教科書とペン 」すら不足しているが、この教師は「子どもたちは、授業の再開を喜んでいる」と語った。

 

ハマスが運営する教育省は、このような仮設学校を25000校計画している。

世界の他の国々でも、戦争を生き抜いた子どもたちの多くが学校に戻ることはない』

 

 

 

 

 

『パレスチナの少女】

母がいないと本当に大変です。

私たちには何もありません。

 

私は11歳。

母は2歳半のこの子を残して戦争で死んでしまいました。

この子の全ての責任を負うには、私はまだ小さ過ぎます。

最低限のことも、私は若すぎて、お母さんのようにできません。

この子に毛布にかけてあげる毛布もないし、必要なものも手に入らないのです。

母がいない生活は本当に大変です。

私たちは何も持っていませんでしたから。

 

優しい母でした。

私たちに優しく助言してくれました。

母とは、愛です・・・鼓動です。

母がいない生活なんて想像もできませんでした。

 

こんな小さい子の面倒を見るには、私は若すぎます。

ここには何もありません。

ここには、

私がこの子の面倒を見られるようにフォローしてくれるものが何もありません。

この子の面倒を見て、欲しがっているものを与えるけれど、母のようにはできません。

だって、私はまだこんなに小さいんですもの』


 

 

 

 

 

 

シェアさせてもらった記事からの抜粋です。

イスラム教の断食月「ラマダン」明けの祝祭「イード・アル・フィトル」が始まったパレスチナ自治区ガザ地区中部デイルアルバラフで、遊具で遊ぶ子どもら(2024410日撮影)。(c)AFP

 

 

 

イスラム教の断食月「ラマダン」明けの祝祭「イード・アル・フィトル」が始まったパレスチナ自治区ガザ地区中部デイルアルバラフで、遊具で遊ぶ子どもら(2024410日撮影)。(c)AFP

 

 

411 AFP

イスラム教の断食月「ラマダン」明けの祝祭「イード・アル・フィトル」が始まった。

パレスチナ自治区ガザ地区中部デイルアルバラフでは10日、

子どもたちのために遊具が用意された。

人力の回転ブランコやすべり台、車や汽車を模した乗り物を楽しむ子どもたちには明るい笑顔が見られた』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『イスラエルの戦争で生まれ、

イスラエルの戦争で死亡。

ガザでのイスラエルによる無差別爆撃で殺害された

生後6ヶ月のパレスチナ人の子ども』