パレスチナとマウリの人々 | みなるんのブログ

パレスチナとマウリの人々

 

 

『ニュージーランドのマオリの人々は、

ハカと呼ばれる儀式的なダンスを通じてパレスチナ人との連帯を表明している。

 

マオリの活動家によれば、

1970年代以降の彼らの抵抗運動は

パレスチナ人からインスピレーションを得たものだという』

 

 

 

 

 

 

 

 


https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/77003/gbkp_2019_c2_073.pdf

 

シェアさせてもらった記事からの抜粋です。

『このような永遠に途上の存在としてのパレスチナ人の境遇は、サイードのエッセイのタイトルのもとになったパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュの詩'The Earth Is Closing on Us' に描かれている。

 

 

オセアニアのマオリ神話では

母なる大地(パパツーアーヌク)と父なる天空(ランギ)がしっかり抱擁し合っており、

その間に生まれた子供たちが息を吸おうと天と地を押し分けてこの世界ができる。

この詩はまるでその創世神話の行程が逆になって大地がすべてを呑み込んでしまうかのようだが、

そこには故郷の村がイスラエル軍によってまるごと消し去られたというダルウィーシュの体験の凄まじさが感じとれる。

 

 

「世界がだんだんとじてゆく (The Earth is Closing on US)」 (詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳:イルコモンズ)

 

世界がすみっこの方からだんだんとじてきて

ぼくらをいよいよ最後の小道へ追いつめてゆく

ぼくらはなんとかそこを通りぬけようとして

自分の手足までもぎとったというのに

それでも大地はぼくらを押しつぶそうとする

 

いっそのことぼくらが麦だったらよかったのに

そしたら死んでもまた生きかえることができるから

でなければ、大地がぼくらの母さんだったらよかったのに

そしたらきっとやさしくしてくれるだろうから

あるいは、ぼくらが岩に描かれた絵だったら

鏡に映して夢のなかへ運んでゆけるのに

 

ぼくらは泣いた

子どもたちの祭りの日のことを思い出して

 

ぼくらは見た

最後に残された土地のひらいた窓から

子どもたちを外にほうりなげた者たちの顔を

ぼくらの星はその顔に鏡をつきつけるだろう

 

ぼくらが世界の果てにたどりついたとき

その先ぼくらはどこへ行けばよいのだろう?

そして最後の空がつきはてたとき

鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?

草木が最後の息を吐ききったとき

どこで眠りにつけばよいのだろう?

 

僕らはそのわずかな血で

僕らの名前を記すだろう

僕らはその翼をもぎとり

僕らの肉がさえずる歌をききながら

その命を終えるだろう

 

最後に残されたこの小道の上で

そう ここで この土地で

僕らが流した血のうえに

ここからもそこからも

オリーブの樹がなるだろう

 

弟が生まれたよ!

 

 

大地が狭まり、その産道から押し出されるように、腕や足をもぎとられ、どこか向こうの空間へ生み出されるという痛ましい通過 の体験のなかで、

母なる大地に身を埋めて死に

新たな生命を得る麦粒になりたい、

我々の血がパレスチナのオリーブを実らせるようにと願う、

パレスチナヘのこの上もない愛国心(国を持たないのだが)の表明である。

 

「この狭まる最後の空間の窓から(命を救うために)親に投げ出された子供たち」

は、その投げ出された向こうの空間で新たに逞しく生きて行かなくてはならない。

「最後の大地が消えたとき、我々はどこへ行けばよいのか?

最後の空が消えたとき、鳥はどこへ飛ぶのか?

最後の大気が消えたとき、植物はどこに眠るのか?」』