自分の信条で堂々と拒否する、イスラエル兵役拒否者からの手紙
その2です。
シェアさせてもらった本からの抜粋です。
『拒否を公表したのは六名で、その後彼らも含めた総計六二名による連名宣言があったとのこと。
まず、これらの若者たちとテルアビブで会った。
ハイファから来てくれた、イガール・ローゼンバーグ君。
全面拒否を遂行するとのこと。
長髪ブロンドのハガイ・マタール君。
その自分は
「兵役拒否をする。だが代わりに、ソーシャルワーカーになることがゆるされれば」
彼は、現在服役中である。
ここにはいなかったが後日取材で会った数名中の一人、タリ・レーナ―さんの場合は
「私の兵役拒否は入隊時でなく、後に始まります。
パレスチナ側にも行きます。
その理由は、
そこで非合法的行為をする兵士たちを告発すること、
無実なパレスチナ人がこれら兵士によって危険にさらされたとき、自分の身をもって彼らを守るのです。
事実、イスラエル軍法の中には非合法行為を目撃した兵士はその当事者を告発しなければならない義務があると書かれています」
もう一人のアミール・マレンキイ君は「合法的手段」で兵役拒否を訴えるとしている。
彼いわく、
「問題は軍が我々の拒否そのものの存在を認めずにいることにあります。
僕はこの軍を相手取っての裁判をして兵役拒否を合法化させたい」。
その通り、彼は逃げ回る軍を法廷にひきずり出してニュースになったが、結果は今日現在(みなるん注:少なくとも、2003年当時)も出されていない。
我々の取材対象となった高校生グループが集団的「兵役拒否」(徴兵拒否)の若者たちであり、
その後起こったのが予備役兵士たちによる集団的「軍務拒否」である。
六二名連名で始まった前者は、
一年後の二〇〇二年一一月現在二五〇余名にふくれあがっている。
我々がヤイール君とその家族に焦点を合わせた理由は、ここで、イスラエルの社会と家族の断層が見られたからであった。
六〇歳代にしては若い父さん、モニは、
シリアで生まれ、一九五〇年代、祖父母に連れられてイスラエルに着いた。
当時アラブ諸国で起こったユダヤ人迫害の難をのがれるためである。
しかし、貧困にくれる家族は親せきをたよってメキシコに渡るが、ここでもうまくゆかず再びイスラエルに戻った。
そのときすでに一九歳になっていた彼は「祖国のため!」と最も危険な落下傘降下部隊に志願する。
そして一九六七年に勃発した第三次中東戦争ではエジプト戦線、そしてエルサレム解放戦に参加した。
さらに一九七三年に勃発した第四次中東戦争においても、予備役兵士として活躍した。
典型的イスラエル国民である。
ところで我々の運転手でパレスチナ系アラブ人のムサ君が、
ヤイール君の家の姓が「ヒロ」と聞いて、「彼らはユダヤ人のふりをしているアラブ人だ!」と叫ぶ。
実に、「ヒロ」とはアラブ語姓で「甘くおいしい」という意なのだ。
これは、当時アラブ諸国に住んでいたユダヤ人たちが、自らの姓名を自主的にアラブ語名に近くしたのだ、
とムサ君に説明しても首をかしげるばかり。
それをヤイール君に伝えると
「そうなんだよ。それで【お前はアラブ人だろ】とポリ公に捕まったこともあるんだ。
でも、今我々に弾圧されているパレスチナ人の姓名をもって光栄!」
と笑っていた。
彼らアラブ系ユダヤ人たちは、ここに先来し、建国を為したヨーロッパ系ユダヤ人たちから「プリミティブ」と見下げられてきた。
その彼らが平等と尊厳を自力で勝ち得る場所が一つあった。イスラエル軍だった。
だからこそ軍への思いが深いお父さんモニにとって、年増して生まれた長男ヤイール君には自分を継ぐ戦士となることを願う一方、
そのようなことがない平和がくることを願うという、一見矛盾した生活を送ってきた。
彼の妻アリザといえば、仕事先の国防省のコンピューター・センターから家に戻ると、「どうしたらいいの・・・?」と一人つぶやきながら台所に立つ。
「・・・でも、こんな危険時に入隊して【万が一】がなくなるんだから〖お母さん〗としてはホッとでは?」
と聞くと、
「そりゃそうよ。
でも、あの子、兵役しなくちゃ将来がないのよ。
家が欲しくなってもローンはダメ、大学へ行くといっても奨学金もダメ。どこでもドアが閉められてしまう。
ほかの家のおぼっちゃんたちは遊びで兵役拒否ができるわ。
でも、この家ではそんな余裕はないの・・・
あの子はそれがわかってないの」
と言うと、オーブンからヤイール君の大好物のポテト・パイを引き出しながら、
「・・・だから話してみて?気持ちを変えさせて?」と、あわてる私にすがりついてきた。
お父さん、お母さんからの「気持ちを変えろ」両面攻撃が出頭日に近づくほど高まるなか、自分の部屋へ撤退した本人ヤイール君は食事以外ほとんど出てこず我々も困ったが、毎日のニュースにもうとい。
「きのう近くの町でテロがあったぞ」と言っても、「フーン」で終わる。
お母さんでさえ「もう見てられないわ」とテレビを消しながら、「どこか遠くへ家族して逃げたい気持ち・・・でも行く所なんかないの」とつぶやいた』