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パレスチナ関連近況~ヨルダン川西岸
その1です。
動画にある概要文の抜粋です。
『イスラエル軍の脅威に晒され続けてきたパレスチナの人たち。
イスラエル軍はガザ地区だけでなく、ヨルダン川西岸各地でも作戦を展開。
今年殺害された住民の数は22日時点で493人と、
子どもも犠牲を免れていません。
大越キャスター:
「ここは国連の機関『UNRWA』が運営するアイーダ難民キャンプの学校です。
日本で言う小中学生の年齢の子どもたちがいる学校だそうです」
学校のすぐ側には、分離壁。
常にイスラエル軍に監視されながら、子どもたちは勉強を続けています。
この2カ月余りの出来事で、生徒にも変化が起きているといいます。
スクールカウンセラー ラナ・ファラルジェさん:
「遅刻する生徒がいるのですが、
夜中のイスラエル軍の急襲で眠れないからです。
精神的な疲労があります。
父親が刑務所にいたり、兄弟が目の前で逮捕されたりするので」
アマルさん(15):
「(Q.楽しくできてますか)
はい。でも困難な時もあって、難民キャンプでは停電も多いし、時々イスラエル軍も来ます」
安全な場所であるべき学校。
その目の前の住宅には“殉教者”として、ある少年の絵が描かれています。
大越キャスター:
「事件は11月に起きたということです。
17歳のムハンマド・アゼイフさんが屋上に上がってきた時に、
監視塔からイスラエル軍の狙撃手が撃った銃弾が胸を貫いて、
彼は亡くなったそうです」
撃たれた後も、しばらくは息があったといいます。
ムハンマドさんの母 アヤット・アゼイフさん(39):
「20分ほど、ムハンマドはうめいていました。
救急車はすぐに来ましたが、軍に移動を阻まれていたのです」
屋上には、大学受験を控えていたムハンマドさんの勉強部屋がありました。
ムハンマドさんの弟 アメル・アゼイフさん(14):
「ここで勉強していました。
ここに銃弾の跡があります。
胸から入って、背中まで貫きました。右胸です。
背中には、こんな穴が開いていました。
(Q.お兄さんとのよい思い出は)
ええ、あります。
すごく可愛がってくれて、サッカーも一緒にしました」
家族にとって殺される理由は何一つありません。
アヤットさん:
「息子は勉強したかっただけなのに殺された。
私たちの気持ち分かりますよね」
ムハンマドさんが撃たれた後、
イスラエル軍が武器を探しにやってきたといいます。
アヤットさん:
「『息子は武器など持っていない。
勉強していただけ』
と夫が言っても
『武器を見たい。家に入りたい』と言い張りました。
『本が置いてある部屋を見ればいい』と言ってやりました。
そうしたら、電話が床に落ちていて、
兵士は私に電話を手渡した後、無言のままでした」
彼らが見つけたのは、ムハンマドさんの携帯電話だけでした。
実家で両親や親族、そして3人の子どもと暮らすファティマ・アル・モハイセンさん(27)。
去年、パレスチナ治安部隊の隊員だった夫が、
イスラエル兵に撃たれて亡くなりました。
美容院で働き、何とか生計を立てていたのですが・・・。
ファティマさん:
「戦争のせいで店は休業中です。
もちろん、子どもたちと生きていくだけでも大変です。
(Q.遺族年金は)
ありますが不十分です。支出を賄えません」
ガザ地区だけでなく、
ヨルダン川西岸でも激化するイスラエル軍の攻撃。
ザキ・ザオウリさん(21)はこの日、イスラエル軍に殺害された、いとこの葬儀に参加していたところ、
右足を撃たれたといいます。
ザキさん:
「葬儀中に45人ほどが負傷した。
そんなことをする理由は何もない。
葬儀に参列するためにいたのだから」
ザキさんの父 タイセール・ザオウリさん(65):
「(Q.イスラエルとの平和共存は難しいか)
彼らはいつも挑発してくる。
いきなり子どもを撃つ必要はないだろう。
私は息子が3人いたが、
1人は殺され、2人は負傷した」』