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遠藤真希という生活保護を受ける母子家庭で育つ少女は、働かない母親のもとで高校を一ヶ月で中退させられ、母と暮らす家の家事をする日々を送っていました。そこで受験の神様と呼ばれるカリスマ塾講師、五十嵐透という男との出会いによって真希の運命は動き出します。

五十嵐もまた、受験の神様と呼ばれ、塾の成功から金の亡者になってしまっていたところに、末期がんによる余命一年半という宣告を東大生時代の医学部の同級生の医師から言い渡されます。がんを宣告された五十嵐にとっても真希の力になることが生涯最後の仕事としてふさわしく思え、なにより自分の作品(情熱を注ぐ生徒)とすることで、若き頃の熱き想いを甦らせることになります。

もともと五十嵐が塾の講師を始めたのも、真希のような貧しい家庭環境の子供たちを東大受験に合格させることで人生を逆転させてやりたいという思いからでした。決して金持ちと言える家でなくごく一般的な家庭に育った五十嵐自身が学生時代の金持ちのクラスメイトたちに対して感じていた劣等感がそうさせていたようです。というストーリー。

この本は日本の社会の中で、一度はみんなが経験するであろう受験(そしてそこに多くの時間を費やす)というのを題材にした、と同時に教育格差、学力低下などの問題についての作者の訴えを、映画「受験のシンデレラ」や、映像だけでは伝えきれなかった部分としての小説「受験のシンデレラ」として表現されたそうです。実は受験経験のない私にとってもこの物語りの真希に10代の頃の自分を重ねてみることができました。

私は中学3年からモデルの仕事をはじめたことで、中学3年は学校へは半分くらいしか行っていません。福井と東京を大復する日々で、一週間東京に出てくると、次の翌週は福井で学校へ行き、そしてまた次の週は東京で一人で過ごす、その繰り返しでした。
保育園のときからなりたかったモデルという職業につけたことで人生がバラ色になっていて、学校の授業も体育以外特に好きなものもなかったので、学校を休めることが何よりもうれしくて、中学卒業とともに一人上京は決まっていましたが、まったく中3は勉強していない(教科書が新しいまま)ことも重なり、親の反対を押し切って高校へは進学せずに社会人の道へ進むことを決めました。そのときの私の言い分は「学校を逃げ道(モデルの仕事の)にしたくないの」でした。(苦笑)

私のデビューした1994年はまだまだバブル直後で景気が良い時代で、そして学歴よりも早くに社会人になったという選択も私にとってはとても良かったと思っています。人と違う経験も実際に好きですし、なにより若いうちから働きだしたことで一人目の出産もモデルとして10年くらい仕事を続けてきた頃のことでしたし、もし学生を続けていたら、25歳という年齢ではきっと出産はできていなかったと思います。

そんな学生生活とはとてもかけ離れた私の人生ですが真希にとても共感したのは、同じように10代でありながらも、家庭の事情で学業という道を捨てていた、教育格差の下の方から、希望を胸に一生懸命に努力していく姿です。
私がこの本を読むきっかけになったのは、本書を紹介してくださった経済学者の田中秀臣先生に、もっと勉強がしたいから学校へ行ってみようかと思うのですが、私は受験をしたことも受験勉強をしたこともない、とそんなことを相談したところからでした。だから、受験のシンデレラは小説なんだけれども、私は真希にとても勇気づけられました。そしてシンデレラに憧れ目をキラキラさせている小さな女の子の気持ちになって読みました。

私が今、勉強したいなと思うようになったのは、教えてくださる周りの先生方との出会いで学ぶことの楽しさや、いくつか持っている栄養学の資格など知識や学びが世界を大きく広げてくれるからなんです。この物語りは、真希のはじまりの人生とそして五十嵐の残り僅かな人生を希望というテーマで繋いだ、読むものに大きな勇気を与えるそんな作品でした。