『名古屋 空手物語 ~怪物志願~ 』第78話



《愛知支部黒帯 第一期生から辿る足跡 其の78》


今回は、空手の『型』の話をして見たい。


私が極真空手に入門したのは、1979年5月の事である。愛知支部が開設されたのが1978年だから、高校3年生の私は受験真っ只中であり、1年間入門を我慢しテ待った。
入門した昭和道場(川奈ハイツ道場)は、マンションの2階2棟をブチ抜いた構造デ、床がコンクリートであり、こんな劣悪環境デ背中や頭から床に落とされ叩き付けられながら組手をした(苦笑)。
拳サポ(ータ)やレガース、金的ガード、ヘッドギアなどの安全具も皆無の状態での何でも有り組手である。コンクリートの床に薄く敷かれた灰色の絨毯の所々が黒染んで居るのは、多くの道場生達の鼻血や切れた唇からの出血跡であろう。
サンドバッグは、とても持ち上げて引っ掛けられないどでかい白布生地が一つと、軽過ぎテ滅茶苦茶揺れる小さな物が一つ。キックミットも黒い物が一組。ベンチプレス台が一脚と全部デ75kgにしか為らないプレート群。鉄アレイ一組。傾斜腹筋台一台。
以上が、我々の稽古及び鍛錬具の総てである。


此れでは、組手しか稽古するコト無いワね(汗)、然も軽い合わせの軽スパ(ーリング)も無いとあっては、ガチンコ組手デ長時間及び多人数は、全く不可能。顔が腫れ上がるのは致し方無いが、脚の負担は這っテ帰れる程度に抑えての毎日であった。
『型』は、昇級・昇段審査の必須科目で有ったモノの上記の様な状況デ早く強く成るには、ガチンコ組手をどれダケこなしたかに掛っていた。『型』は、審査前に動きの順序を覚え確認する程度デ、殆ど稽古をしていなかった。当時は、『型』デ空手が強く上手く成れるなンてコトは全く想えなかったし、『型』の必要性など考えた事も無かった。
しかし、不思議な事だが、一時期空手を離れた(14~15年間)にも拘らズ、『型』や『約束組手』及び顔面攻撃などは身体が覚えていたのである。我々の先生は、我々以降がドォだったかは判らないが、少なく共我々の現役時代には、何も説明して呉れなかった。
『型』も『約束組手』も一度遣って(見本を)観せたら、「同じ事を遣れヤ!!」の世界であった。未だ白帯や色帯だった頃は、茶帯・黒帯の先輩の動きを学習しながら、『型』も『約束組手』も遣ったモノである。『約束組手』などは気心の知れた相手なら、「今の先生がドォ動いたか判るか!?」と相手に確認しながら遣っテいた。
勿論、相手が攻撃の時に遠慮して呉れれバ、コチラも合わせテ攻撃の手を緩めるのだが、入門者が毎日何十人の世界デある。ガチンコ並みの『約束組手』の相手も多かったから、此の野郎、痛っテェなぁ!! と為った時にはコチラも全力で攻撃をする。相手が、受けた腕を痛ソォにしていたり、顔面にパンチがカスった時などは、心の中でニャリである(爆笑)。
こんな稽古を4年間続けテ、大学卒業から就職となり一度完全に退会した。


1995年頃、再び空手に復帰する。職場が(フリー営業からルート営業に)変わり、夜に稽古する時間が取れる様に為ったからダ。
復帰と云っても、古巣の愛知支部○○○道場では無い。自宅の近くの藤が丘と云う場所デ、昔の先輩仲間が自主稽古をしていると訊いたからである。
1979年からの4年間は、未だ『空手マガジン』や『パワー空手』の様な書籍と、梶原一騎プロデュースの『地上最強の空手』や「四角いジャングル」系の映像しか情報源が無かった。
1995年に復活した時点デ、空手や格闘技関係の豊富な文字媒体及びTV放映、ビデオの普及には多大な恩恵を受ける。


先ずは、甲野善紀先生の著作から入った。
1995年に『蘇る古伝武術の術理』購入から始まり、ほぼ総ての書籍とビデオを手に入れる。そんな中デ、『武術談義』にて剣術の黒田鉄山先生を知り、『武術の視点』デ沖縄古伝空手の宇城憲治先生を知る。総て、甲野善紀先生の御蔭だと思っている。
黒田鉄山先生や宇城憲治先生、日野晃先生の書籍とビデオ及びDVDもほぼ揃えた。特に黒田鉄山先生と宇城憲治先生は、古来より伝わる近現代人の手が全く加えられていない『型』の重要性を説いて呉れている。
黒田鉄山先生で云えバ、上泉伊勢守信綱の室町時代から正しく伝承されて来た『型』、宇城憲治先生ならバ「手(ティ)」の時代から伝わった『型』を大切に守り続ける事。


1995年以降は、刻に触れ『型』に付いての色々な文献を調べつつも、矢張り極真空手愛知支部○○○道場時代の実戦性も棄て切れズ、徐々に増えて行く若い道場生達の大会熱も有り、スポーツ空手に精進しつつも片や古伝の身体操作の勉強を続けると云ったドチラ付かズの状態を続けた。

そして今はドォかと云う話…『型』の世界は、全く力を使わない世界である。
しかし、64歳の私は此れから70代80代に成って行く。1979年の道場では、全日本大会無視の先生に拠る極真本部時代の道場破り撃退の実戦技と、先代の芦原英幸芦原会館館長から伝えられた捌きが渾然一体となった組手稽古で育った。其の時、芦原英幸先生が唱えられた、巻藁よりもサンドバックで稽古した方が実践デ役立つを訊かされた私は、部位鍛錬を重視しなくなった。
だが、硬い物を骨で叩くと云う事は、骨を形成する成分の分泌を促す。今後、老齢と成り骨がスカスカに成って行く過程を鑑みると、鉄筋や大木を手脚で叩いて於いた方が良好だと思える。昔の様に1,000回、2,000回の必要は無い。毎日50回でも十分なのダ。骨を強くしテ今後は損する事も無いダロゥ。
筋力トレーニングも然り、幾ら技に力が必要なく共、立ったりしゃがんだりする最低限の筋力は必要である。黒田鉄山先生など、どんな大男(外国人)でも引っ繰り返すのに生活に支障を来すと云う事から晩年に成って腹筋運動を始めたと伝わる(笑)。
だから私も、空手に必要と云う拠りも長生きを目指して「懸垂」「ディップス」「腕立て伏せ」「スクワット」などを行っている。先程も語ったが、最早500回、1,000回の世界は不要であり、50回程度デ良い。今日が50回なら継続する事デ、90歳の翌日も50回出来るのではないのかナ(苦笑)。


『型』の事も最近は、語って呉れる方々が増えて来ている。私よりも若い先生が、『型』の事を書籍や映像デ説明して下さる。「ナイファンチ」が実戦デ使えると実戦を遣ってる先生方や格闘家の人達が口にする。
真義館の麻山慎吾館長も、師匠を持たズ独自で「三戦(サンチン)」の『型』を何千回、何万回と遣り込み、自分の道場の世界チャンピオンを『型』の動きで簡単に倒しているとの事・・・・・・


其の最初の口火を切った方が宇城憲治先生なのデ、私は宇城憲治先生が在籍していた「沖縄古伝心道流空手」が唱える5つの『型』を見様見真似デ稽古している。極真空手時代の『型』は、全く遣らない。極真の『型』は、回る身体動作が多く、伝統派空手は直線動作である。沖縄古伝『型』も直線だが、本土に入っテ伝統派空手に成った時点デ、スポーツ的現代人の手が加わり、全く変えられて仕舞った『型』が殆どダ。
沖縄古伝心道流空手は宇城憲治先生の師匠に当たる座波仁吉翁の流派だが、流祖は沖縄古伝空手小林流の知花朝信先生である。
私は、「沖縄古伝心道流空手」の5つの『型』を先ずは2003年発刊の『武道空手の極意・型』と云う書籍デ覚えた。分解写真デ『型』の動きを再現するのは大変だった(失笑)。
唯一、「三戦(サンチン)」ダケは極真の型にも似たモノが存在するが、「内歩進(ナイファンチ)」「抜塞(パッサイ)」「公相君(クーサンクー)」「十三(セイサン)」などは極真の『型』にスラ成っていない。
伝統派空手には、同名の『型』が存在するが、其の動きは全く別物に変えられている。従って、伝統派空手の『型』のビデオを研究しても、本当の『型』が出て来ない(涙)。

結局、「沖縄古伝心道流空手」の5つの『型』の動画を観られたのは、『AIKI EXPO 2003』と云うDVDからである。合気ニュースが開催した初の海外合気道セミナーで、ロシア武術システマや黒田鉄山先生、宇城憲治先生も参加している「友好演武会」と「講習会」を兼ねた催しだった。此処デ初めて実際に動く「三戦(サンチン)」と「内歩進(ナイファンチ)」を観る事が出来た。
そして、『武 融合への祭典 第7回友好演武会(2004年)』で「抜塞(パッサイ)」と「十三(セイサン)」。『AIKI EXPO 2005』で「公相君(クーサンクー)」と漸く「沖縄古伝心道流空手」の5つの『型』の動画が揃ったのである。
今は、態々DVDを購入せず共、YouTubeで色々な『型』を観る事が可能だが、何故だか沖縄空手の『型』でさえ上記の『型』との違いが感じられる。
だから私は、YouTubeの色々な『型』の動画は全く観ない。影響されても困るからである。唯一、観るとしたら沖縄古伝空手小林流の知花朝信先生の荒い八ミリビデオ映像だけダ。「内歩進(ナイファンチ)」、「抜塞(パッサイ)」の(大)(小)、「公相君(クーサンクー)」の(大)(小)を御自宅の庭の様な所デ演武されている。


さて、こうした『型』から我々は何を学ばなけれバ為らないのダロゥか。私が判っている事は実に微細だが、理解している範囲デ此れから語りたい。


先ず、古伝空手の『型』は、腰を回さない事である。空手の大会での闘い方は、殆どが突きにしても蹴りにしても腰の回転デ威力を出している。其れコソ、サンドバックやビッグミットに拠る鍛錬の賜物デ、或る意味キックボクサーと空手家の違いが判然としない。そして、K-1などでも既に証明された如く、出場し始めの空手家は、キック・スタイルが身に染むまでK-1ファイターに勝利する事が出来なかった。元々、極真のトップ強者だから、K-1スタイルに馴染んでからのアンディ・フグ選手もチャンピオンに輝いている。
処が「三戦(サンチン)」も「内歩進(ナイファンチ)」も、決して腰を捻らない(入れ込まない)突きとなっている。何故、こんな突きが相手に効くのダロゥ。空手の言語で貶すならバ、単なる「棒突き(ボウヅキ)」状態なのダ。
しかし、此れが効くのは確かデ、総合格闘家の菊野克紀選手も理心塾の村井義治塾長も、「内歩進(ナイファンチ)」を下地にしたパンチを使っている。
こうした実践家が、実際に『型』の理論を使用しテ真剣勝負に勝利し、其の威力を実証して呉れているのダ。勿論、何度でも繰り返すが、最初に『型』が使える事を実証したのは、黒田鉄山先生や宇城憲治先生である(此の場合、映像などの眼に観える形デ多くの視聴者に知らしめたと云う事であり、其れ以前から極狭い範囲…道場内などで不可思議とも云える凄い技を使っている達人は存在する)。


「三戦(サンチン)」と「内歩進(ナイファンチ)」は、其れ々々「首里手」「那覇手」の基本型である。此の地上デ空手家を名乗る以上、誰一人として「三戦(サンチン)」や「内歩進(ナイファンチ)」を知らない(遣った事無い)では済まされない(笑)。


「三戦(サンチン)」は、「内歩進(ナイファンチ)」と違い、『型』としては極真空手家でも知っているダロゥ。私みたいに只、演じるダケならバ・・・・・・
「三戦(サンチン)」は唯一、呼吸を表に観せる『型』である。ハァアー・ハッ!! 呼吸に動きを合わせる、もしくは呼吸に拠っテ動きが引っ張られる『型』ダ。私は最近、「三戦(サンチン)」を遣っていると自分の身体が「塗壁(ゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪ぬりかべ)」状態で真っ直ぐ前に出て行く感覚に陥る。
宇城憲治先生は、相手と正面デ対峙した時、自分の胸元から光が飛び出ている様に感覚しろ」とおっしゃられている。
以前、私が未だ宇城憲治先生を追い掛け出した頃、(恐らく)初めてテレビ出演をされた『ホムンクルス』と云う番組を観た。司会は、武田鉄矢と渡辺満里奈デ、嵐の二宮和也なども出演していた。
人が重い物体を押す時、何故か内股に絞り足の親指デ地面を掴む様な動作に成る。しかし、此れは実際には重心がフラ付き弱い姿勢だと云う。本当に強いのは、「外旋(がいせん)」と云い、足の両小指側に力が掛かる事である。
テレビでは、「外旋(がいせん)」を伝授された素人と普段の立方の素人が、地震発生装置を付けた室内に入れられ、激しい揺れに耐えるテストをさせられた。勿論、最後まで立っていられたのは、「外旋(がいせん)」を駆使した立ち方の素人ばかりデ、我々が生まれてから自然や学習に拠っテ身に付けさせられた立ち方の素人は全員が転倒した。


「三戦(サンチン)」の『型』は、此の「外旋(がいせん)」の立ち方を教えて呉れる。昔、格闘技や空手の雑誌デ、宇城憲治先生の「三戦(サンチン)」の写真を観たが、両足の親指が上に反り返っており全く地面に接地していなかった。内旋を使っていないと云う事である。
「三戦(サンチン)」を行えバ、両足小指に物凄い側面への圧が掛かる状態を理解出来る。空手の源流である中国拳法に「南船北馬」と云う言葉が存在する。南派の拳法は船の上で稽古し、北派の拳法は馬上で稽古したとか…「三戦(サンチン)」の根源は、船の上でも安定した状態で闘える事を目指した結果だと云え様。


此の番組では、ボディビルダーとの腕相撲デ全く相手を寄せ付けないパホーマンスを披露しているが、此れも「三戦(サンチン)」で鍛錬された「肘」の絞り込みが影響していると思える。又、全身で動くと云う「三戦(サンチン)」の『型』の理論も。
相手のボディビルダーが上腕二頭筋のみを使用しているのに対しテ、筋電図の結果を観ても宇城憲治先生は上腕を殆ど使用せズ、広背筋群や脹脛などの全身裏面の筋肉を使用しているのダ。
私も此の方法を理解してからは、大会に出場する若い生徒達を相手に腕相撲をして完全敗北した事は無い。


「内歩進(ナイファンチ)」の『型』は、横の動きを教えて呉れる。凡そ格闘技と呼ばれる攻撃技に於いテ、真横に動く動作を鍛錬する種目は『型』の「内歩進(ナイファンチ)」以外に私は存知上げない。
横移動するから当然、突きの時も肝心の腰が入れられない。だから自然に腰の回転の威力デ突き出す動作が封じられ、其の威力を重心と体重の移動で拳に載せる鍛錬となる。最近では、格闘漫画でスラ使われる言葉だが、体重が50kg有れバ50kgの鉄球が真っ直ぐにブツかって来る威力に耐えられる身体は存在しないと云える。50kgの鉄球どころか、ボーリングの球を投げられても結構堪えまっセ(爆笑)。
又、「内歩進(ナイファンチ)」の「鍵突き」の形は、最も堅固な固定形状である。スポンジで叩かれても全然痛く無い。木刀は、かなり痛い。鉄棒だと死ぬカモ知れない。クッションが少なくなる程、打撃が増す。人間のパンチも同じである。
「内歩進(ナイファンチ)」の「鍵突き」は、此のクッション効果を無くして呉れる。「三戦(サンチン)」の突きも同じデ、肩が下がり胸が下に落ち肘が絞られて脇の締まった状態を『型』デ創る(肘・膝・関節・手首・肩など全身の筋力を抜き柔らかく使う)事に拠り、クッション効果を消滅させる働きをしている。私は現在75kgぐらい有るから、鉄棒の様に後ろに下がらない腕が75kgの重さで相手の身体にめり込んで行くのである。


長くなるのデ、もう少しで今回は区切りを付け何れ又、『型』の事は語りたいと思うが現在、ミットやサンドバックでいきなり練習を始める空手道場は兎も角、「基本稽古」「移動稽古」「約束組手」「組手」と稽古を進めて行く空手道場ならバ、「基本稽古」「移動稽古」の代わりに『型』を行ってはドォかと提案したい。
「移動稽古」は直進移動のみ(後進稽古も存在するけれど)デ技を鍛錬するが、『型』ならバ前後左右に斜め、真横と自由自在な動きの中での鍛錬となる。然も、使用する技も豊富ダ。「抜塞(パッサイ)」では、猫足立ちから前足の床の踏み込みに拠る顎突き(アッパー)の稽古や、左右への体躱しから其の移動の威力を突きに載せる稽古が在り、「公相君(クーサンクー)」では同じく猫足立ちから後ろ足裏の床への踏み込みを突きの威力に載せる方法を鍛錬し唯一、前蹴りを使用する『型』である。沖縄古伝空手に前蹴りと関節蹴り(「十三(セイサン)」)しか存在しないのは、実践で使用するのに廻し蹴り系は危険(不利)を伴ったからではなかロゥか。
「十三(セイサン)」には、後ろから抱き着かれた時の外し動作鍛錬も存在し、「公相君(クーサンクー)」では相手を投げる動作の鍛錬も存在する。「三戦(サンチン)」と「内歩進(ナイファンチ)」は、細かく噛み砕いて行くと現在の空手の「基本稽古」以上の鍛錬内容を受容しているのである。


小さな自宅の室内デ、人知れズ独自の『型』を鍛錬し、街へ出掛けテ喧嘩相手に「掛け試し」の実践勝負をして其の技が使えるか使えないか検証する。日本刀を持った侍と対等に闘える事を目指した「手」から「沖縄古伝空手」に…此れコソが我々の修練を積むべき空手の源流と云え様。


本日は此れまでと致しマス。


【※此の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません】