『名古屋 空手物語 ~怪物志願~ 』第74話

 

《愛知支部黒帯 第一期生から辿る足跡 其の㉒》


何時もより早いお目見えで失礼致しマス。
どうも、Windows7のパソコンなのデ、はっきり云って何時まデ此の環境で使用出来るのかが不安な為、ゴールデンウィーク最期の休みを利用し更に一本分をアップさせて戴きマス(苦笑)。


長いゴールデンウィークも早くも終わロゥとしている。
流石に普段とは違い時間が有ったのデ、『前略おふくろ様Ⅱ』のDVD-BOX全24話を一気観して仕舞った。


『前略おふくろ様』第1シリーズは1975年10月17日~1976年4月9日、『前略おふくろ様Ⅱ』第2シリーズは1976年10月15日~1977年4月1日だから、調度、私が中学生から高校生の間ぐらいに放映されている。
因みに同じく金曜日21:00~21:54には、2クール置いテ『祭ばやしが聞こえる』1977年10月7日~1978年3月31日が放映される。皆、ショーケン(萩原健一)が主演のテレビドラマである。


ショーケン(萩原健一)をテレビで知ったのは、『傷だらけの天使』1974年10月5日~1975年3月29日毎週土曜日22:00~22:55日本テレビ系放送からデ、『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事役は知らない。勿論、ザ・テンプターズでボーカルを勉めて居た時代もダ。
今の人達は、当時のショーケン(萩原健一)の凄まじいカリスマ性を御存知無いダロゥ。あのダウンタウンの浜田が、番組出演者のボス(丹波哲郎)や文太兄ィ(菅原文太)に対しても頭を叩いていたのに、ショーケン(萩原健一)の時には頬を紅に染めて見惚れるダケだったのだから(爆笑)。
中学生に成ると、何かが変わった。小学生の時と明らかに違って来る。女の子は、セーラー服に身を包み出す。特に白色の夏服は、思春期の男の子には眼の毒デ…私は一体何を云うとるのか知らん(苦笑)。
私も中学1年生の時は丸坊主の学ラン姿だったが、2年生から頭髪が自由に成ると『傷だらけの天使』の木暮修の髪型(ポマード中分け)を真似したし、高校生の時は冬にオヤジのトレンチコートとマフラーで着飾った(ショーケンの衣装は、タケオ・キクチの「ビギ」)。


『傷だらけの天使』では、突っ張りのチンピラ風若者だったショーケン(萩原健一)が、『前略おふくろ様』では一転、スポーツ刈りに内気デ真面目なはにかみ屋に変身する。
両眉をへの字に寄せ、ボソボソと吃音者の様に喋るショーケン(萩原健一)も又、格好良かった。高倉健さんとかは、どんな役でも「健さん」である。しかし、ショーケン(萩原健一)は役柄がガラリと変わっテ、姿形や話し方は異なっても其れ々々に魅力的なのダ。


さて、『前略おふくろ様Ⅱ』だが、『前略おふくろ様』の時よりも記憶に薄い。配役の変更は余り無く、料亭が「分田上」から「川波」に変わった程度だから、少々飽きが来て余り真面目に観なかったからカモ知れない。
今回、DVD-BOX全24話を観返しテ、安藤昇さんや未だ若い岩城滉一さんが出て居る(共に1話ずつダケ)のを知ったぐらいダ。


元々は、ショーケン(萩原健一)がシングル歌手としテ出した初のソロアルバム『惚れた』の中の一曲だった「前略おふくろ」を好きデ訊いていた脚本家の倉本聰さんが、現実の自分の母親の病状と照らし合わせテ『前略おふくろ様』の脚本を書いた時、板前役での主演に誘ったとの事。


しかし、2023年現在、主役のショーケン(萩原健一)は勿論の事、当時の俳優さんの殆どが鬼籍に入られてますナァ・・・・・・
坂口良子さんや辰兄ィ(梅宮辰夫)に拓ボン(川谷拓三)、室田日出男さん、小松の親分さん(小松政夫)、志賀勝さん…未だ御存命なのは、桃井かおりさんと木之内みどりさんぐらいか!?


未だ大部屋俳優の悪役専門だった拓ボン(川谷拓三)を一躍有名にしたのが、『前略おふくろ様』シリーズでしタ。
共演するまでの出会いは、ショーケン(萩原健一)側と拓ボン(川谷拓三)側の言い分が少し異なっていテ、拓ボン(川谷拓三)側は飲み屋に入って『傷だらけの天使』のショーケン(萩原健一)と水谷豊さんが居るのを見付けたが、此のスター達に声も掛けられズ一人で呑ンでいると店の接客係が、「ショーケン(萩原健一)さんが御一緒にと誘われて居られますが」と伝えに来てオドオドしながら席に向かった処、「映画『県警対組織暴力』、素晴らしかったですネ。何時か共演して何か遣りたいですネ」と誘われたと自身の著作で語っていた。
一方のショーケン(萩原健一)側は、『傷だらけの天使』の岸田森さんと飲みに行ったら赤ジャンバー姿の拓ボン(川谷拓三)が一人カウンターで呑んで居て、「あの川谷さんですか、私あなたのファンなンです。『県警対組織暴力』のチンピラ役素晴らしかったですネ。今、倉本聰さんが脚本を書いているンですケド、共演出来ませんか!?」と云う感じである。
以来拓ボン(川谷拓三)は、1976年公開の映画『河内のオッサンの唄』の主役を張り、歌も唄い、山城新伍さんとの「どん兵衛」のCMにも抜擢される程の人気を博す。
私くし毎デ恐縮だが、拓ボン(川谷拓三)を観ていると昨年他界した空手同期の(秦野)空自衛隊タコ野郎を思い出してしまう(微笑)。


拓ボン(川谷拓三)が一人で出演するのは心細いと東映の仲間としテ誘いを掛けたのが、室田日出男さんダ。此の頃辺りから、志賀勝さんも交えて「ピラニア軍団」の名称が拡がって行く。
室田日出男さんは、東映ニューフェイスの第4期生だから、5期生の辰兄ィ(梅宮辰夫)よりも先輩である。サニー(千葉真一)の著作デ、室田日出男さんがサニー(千葉真一)の先輩だとは知っていたが、辰兄ィ(梅宮辰夫)よりも先輩だとは知らなかった。
入社順を辿れバ、拓ボン(川谷拓三)が一番古いみたいだが、主役級の東映ニューフェイスの室田日出男さんや辰兄ィ(梅宮辰夫)と大部屋の拓ボン(川谷拓三)を並べる訳にはいかない。
『悪魔くん』のメフィスト、『河童の三平 妖怪大作戦』のいたち男、『仮面ライダー』の地獄大使役デ名優の潮健児さんは、東映では高倉健さんより先輩デ、高倉健さん自身も「先輩」と呼ンでいるけれど、東映での上座に座れるのは矢張り高倉健さんなのダ。
空手の縦社会と同じく俳優の厳しい縦社会は、年功序列以上に大相撲の番付次第なのである。


室田日出男さん、折角の東映ニューフェイスの第4期生としテ、主演男優を務める筈だった程の男前だが、酒を浴びては喧嘩を繰り返す内に脇役(悪役)向きの顔に変形して仕舞ったらしい(爆笑)。
志賀勝さんも相当の顔だが、松田優作さんや岩城滉一さんと3人共演のアウトロー映画を観た覚えが有る。
昔、ある方の新築建て替え祝いに招待されテ出掛けたが、凄い人相の方達ばかりがお客さんデ、司会者が「其処の志賀勝みたいな方…」とか叫ンでいたっケ(爆笑)。


其れでは、何故今回『前略おふくろ様Ⅱ』を話題にしたのかと云うと、ブログの紹介欄に「ブログを開始したキッカケは、親父を亡くした事。映画『フィールド・オブ・ドリーム』ではないが、親父にも10代、20代の青春があった事が書類を整理していてよく判った。私も既に60(間も無く63)歳だ。文章を綴るのは好きだしパソコンも扱える。自分の青春時代をブログに残そうと思う」と記した事を思い出したからダ。
能く考えて観たら、映画『フィールド・オブ・ドリーム』よりも前に『前略おふくろ様』シリーズが原典に有った。
以下に著るソォ。


「譬えバ、俺とカスミちゃんが万一一緒に成ったとする。二人の間に何人か子供が出来る。子供達は大きくなる。一人前になる。彼らは街へ出て働き始める。俺達は歳を取り、俺が先に死ンでカスミちゃんが残る。そんな時、子供達はカスミちゃんを唯の皺だらけのおふくろとしか観ない。昔、分田上で働いていた頃の二十歳過ぎたばかりのカスミちゃんを知らない。そんな母親を知ろうともしない。昔、カスミちゃんが若かった事、母親にも青春があったと云う事。そんな時を子供は知ろうともしない。其の時を考えると涙が出マス。前略おふくろ様、俺はあなたの青春を知りません。ピチピチと若く可愛く恋をした。そうしたあなたの青春を俺は知ろうともしなかった訳デ…親父と知り合い愛し合い…そして…其れからの俺が全部始まったあなたのそう云う日の事を」


カスミちゃんコト坂口良子さんは、2013年に57歳でお亡くなりになられました。晩年は、娘の杏里さんとのバラエティ共演も多く、未だ御綺麗でサブちゃん(ショーケン)が心配した晩年で無くテ良かったデス(微笑)。
今年、2023年の母の日は、5月14日。


長くなりましたのデ、最期に一話。
15年以上も前に為りマスか知らん。高校生の時の器械体操部の前後20年間ぐらいを挟ンだOB同窓会が開催されましタ。
私くしの高校の器械体操部は、OBが遊びに来る事も多く又、男女同じ部室を共有しテ居た事も有り、しょっちゅうOBと現役男女デ旅行に出掛けて居りました。


其処の会場デ、既に結婚して年頃の娘を持つ私くしとは4歳離れた女性(当時は、私が大学1年生の時の高校1年生)が、海水浴上野間旅行での写真を娘に観せたと話し出したのデス。
海岸の砂浜に海パン姿の大学1年生の私と水着に薄い上着を羽織り腕を組ンで写真に笑顔する高校1年生の彼女。
私は、器械体操で付けた筋肉に大学の極真空手で付けたウエイト・トレーニングの筋肉を上乗せした未だ腹筋が6瘤割れの肉体。彼女も、何十年と経過しているにも拘らズ、当時の可愛さとほぼ変わらないと私には思えましたけれど、矢張り16、7歳の頃の若さ弾ける美姿。


「エエッ、娘に其の写真観せたの!? そんなの能く持ってたネ…普通、結婚したらソゥ云う写真は捨てると思ってたケド・・・」
私は、恥ずかしくテ照れ隠しの様に返事をしましたが、娘が同じ年頃の若き母親を観てドォ感じたのダロゥか知らん…此のお兄ちゃんは、何者だと思われたのダロゥかと面映くも擽ったい時間でしたワ。


私くしの祖母は、私くしが幼少の頃は60歳代でしたけれど、矢張り思い出すと完全なお婆ちゃんでしたネ。母親も、私の幼少の頃の写真を観ると、前掛けをして未だ20歳代ダロゥけれど、矢張り小母さんに観えマス(苦笑)。
私が60歳代だから、今の60歳の女性が十分綺麗に観えるのでしょうか!?  其れ共、本当に現在の年配女性は、昔と違い「美魔女」なのカモ・・・・・・空手のお話しが全く出て来ずに今回は申し訳御座いませんでしタ(汗!!!)。
 



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