全日本空手道連盟系列の多くの形(型)試合は、純粋な技術の優劣を競う事の他に、
・形の名前を叫ぶ
・表情を作る
・道着の音を出す
・過剰に力む
等の演出的要素が入ります。
しかしこれら演出的要素は、
「形の技術を使えるようにする」
という観点から見ると、不要どころか、マイナスに作用する事があります。
この点について、ある程度空手を真面目に修行した人からすると、違和感を感じるのは致し方ありません。
しかし私は空手がスポーツ化するには、こういった変化はどうしても出てくるものであり、仕方がないものだと思っています。
一つ断っておきたい事は、
「形の選手は、試合で優勝する為には、日々絶え間ない練習を積み重ねた結果として、あのような動きが出来るようになった」
のであって「凄い」のです。
ただ、私が目指す動きとは凄さの方向性が異なると言うことです。
さて・・・
人様(他流派)の空手がどうであろうと、自分が信じる空手を行えば良い話なのではありますが、人間はどうしても、大勢の人間の価値観に影響されるように出来ています。
唐手(沖縄空手)は沖縄から本土に伝わり、空手としてスポーツ化することで広まっていきました。
よって、
「空手の源流である沖縄空手はスポーツ化されていない」
「沖縄空手は武術性が高い」
という論法になり、いわゆるスポーツ空手には無い、特別な身体操作を沖縄空手に求めることがあります。
多分に漏れず、私自身もそうでした。
しかし、一口に沖縄空手と言っても、個人や流派によって、身体操作に差異があります。
思いっきり大雑把に分けると沖縄空手には、
「本土空手の影響を受けた沖縄空手」
「本土空手の影響を受けていない本来の沖縄空手」
の2パターンがあるように感じます。
例えば沖縄空手の形(型)であるにもかかわらず、動きの質が、
「全日本空手道連盟(伝統派)の形の極め」
と、殆ど同じ場合が多々あります。
考えられる事は以下の通りです。
・全日本空手道連盟の大会で結果を出す事がステイタスである為
・多くの一般大衆、空手経験者ですらも、全日本空手道連盟の形の極めが良いと感じる為
発展普及という要素が加わると、どうしても時代に迎合せざるを得なくなり、
形(フォームや順番)は沖縄空手
動きの質は本土空手
という現象が起きてしまったと私は感じています。
私個人の考えは、全日本空手道連盟の形が、大衆の価値観に準じた方向性で競ってゆくのは、それはそれで一つのスタイルだと尊重します。
しかし、武術性、実用性に準じて型に取り組むのであれば、大衆の価値観に影響されないよう、注意が必要だと感じています。
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