人は好む好まざるに関わらず「肩書き」または事前情報による先入観によって認知されます。

例えば皆様の私に対しての認識も、

 

「空手家」「空手師範」「本を出したことがある人」

 

等の肩書きや情報によって全く捉え方が変わるでしょう。

また私自身も第三者を認識する際に、何らかの肩書きや情報によって、その人を認識します。

これは良いとか悪いとかの話ではありません。

誰しも肩書きや情報に左右されずに、機械的に人を認識は出来ないのです。

 

以前私は極真空手に所属し、その道場の指導員をしていました。

つまり「極真空手の指導員」という肩書きがあった訳です。

そこから道場の閉鎖に伴って独立し、肩書きが、

「極真ではない空手師範」

となりました。

 

しかし私が常設道場を創設した際…

時系列から言って極真指導員時代よりも、常設道場創設時の方が、技術も強さも指導力も向上している筈です。

ところが生徒数は極真の道場よりも大幅に少ない状態でした。

以前、交流のある先生から聞いた話ですが、極真の名前の有無で集客力が3倍違うらしいのです。

もっともその情報は今から約10年前の話なので、今ではどうなのかはわかりませんが。

 

また他道場の先生と交流する中でも、

「以前極真空手に所属していた」

という部分で信頼やシンパシーを感じてもらうこともあります。

20代の若かりし頃の私は、正直なところ「極真」というフィルターで自分を判断されることに反発心がありました。

せっかく自分なりの理念があって独立したのですから「劣化極真」だと思われないよう、空手や武術の追及を人一倍していたからです。

 

なのに人は「極真」というフィルターで自分を見る。

「その他の空手<元極真<極真」

という価値観をひしひしと感じていました。

 

今にして思うに

「極真というフィルターで自分を判断される」

ことへの反発心から、独自理論の本出版に繋がったのかも知れません。

そんな意識による行動が身を結んでか否か、今では私に対して「元極真指導員」ではなく

 

「本を出した人ですよね」

 

と認識されることが多くなりました。

そんな私の経験から言えるのは、

 

「肩書きの影響力は大きい」

 

ということです。

他者のみならず自分自身にも影響をもたらします。

「俺に肩書きはいらない」

と自分で思ったところで、人は人に対してタンパク質と水分の塊だとは認識しないのです。

 

ちなみに、上記の文章を読んだ方の中には、私がまるで極真を嫌っているかに思われるかも知れませんが、全くそんなことはありません。

私には極真空手家の仲間は何人かいます。

そしてその極真空手家の仲間は、

 

「極真空手の名に恥じないよう努力している」

 

人たちです。

本当に極一部でしょうが、

 

「極真空手は強い=俺強い=俺偉い」

 

と勘違いをしている人と、過去何人か会ったことがありますが、肩書きがマイナスに働いている悪い例でしょう。

同じ極真空手に所属していながらも、意識の違いで強さも人格も大きく変わってくる例です。

 

肩書きそのものは善でも悪でもありません。

個々の意識一つでプラスにもマイナスにも働きます。

 

自分にある肩書きによって成長するか?堕落するか?

肩書きに準じて生きるか?肩書きを変えるか?

いずれも自分自身の気持ち一つで変わってゆくと思います。


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