「安倍たたきは社是」
「安倍の葬式はうちで出す」
でおなじみの、元朝日新聞主筆、若宮啓文が死亡しました。
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若宮啓文・元朝日新聞主筆が死去
2016年4月28日23時19分
朝日新聞社で論説主幹や主筆を歴任した
ジャーナリストの若宮啓文(わかみや・よしぶみ)さんが
28日、訪問先の北京市内のホテルで
亡くなっているのが見つかった。
68歳だった。
シニアフェローを務めている
公益財団法人・日本国際交流センターから家族に連絡があった。
現地の警察当局によると、外傷はなく、病死とみられる。
北京で28、29両日に開かれる
日中韓3カ国のシンポジウムに出席するため滞在していた。
27日、ソウルから北京入り。
同センターのスタッフと北京で合流したが、
同日夜から体の不調を訴えていたという。
28日昼過ぎ、電話をしても
応答がないことを不審に思ったスタッフが
ホテルの従業員と部屋を確認したところ、浴室で倒れていた。
1970年に朝日新聞に入社。
長野支局時代に、部落差別の現状を伝える連載キャンペーンを展開。
加筆して著書「ルポ現代の被差別部落」を刊行した。
75年に配属された政治部では、宮沢喜一氏らの宏池会などを担当した。
2002年に論説主幹に就くと、
「闘う社説」を掲げる一方、
国際社会の中で日本がとるべき針路を改めて問うた。
07年の憲法記念日に
21本の社説を一挙に掲載した「提言・日本の新戦略――社説21」を主導。
憲法9条は堅持しつつも、
新しい平和安全保障基本法で
自衛隊の役割を位置づけるべきだと主張した。
小泉純一郎首相の靖国神社参拝では、
読売新聞の渡辺恒雄主筆と雑誌「論座」で対談。
両紙を代表する2人が足並みをそろえて「参拝反対」を訴えた。
12年3月には、大統領復帰直前の
ロシアのプーチン首相と海外主要紙幹部とともに会見。
日ロ間の領土問題について、プーチン氏から
「引き分け」で解決しようとの発言を引き出した。
朝日新聞退社後も追い続けたのは、日本の保守政治の「アジア観」だった。
日韓国交正常化50年の昨年、
旧著に加筆して「戦後70年 保守のアジア観」を出版。
昨年度の石橋湛山賞を受賞した。
日中韓を中心とする国際交流に尽くし、
韓国の大手紙・東亜日報にもコラムを書いていた。
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↓
http://www.asahi.com/articles/ASJ4X6CTHJ4XUHBI022.html
から引用。
朝日新聞デジタルの記事なので、
ジャーナリストとして、輝かしい事績であるように書かれていますが、
冒頭で述べたように、若宮は反日売国奴です。
この男がどういう思想をもっているか、
読むとヘドが出ると思いますが、
同じ朝日新聞デジタルから引用します。
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竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想
(2005/03/27)
それは、嵐の中に飛び込むようなものだった。
島根県が「竹島の日」条例を定めて間もない18日、
日本批判が燃えさかる韓国を訪れたのだ。
大先輩にあたる
韓国のジャーナリスト・権五ギ(クォン・オギ)さんとの対談で作った
『韓国と日本国』(朝日新聞社刊)が
韓国語になって出版され、この日にソウルで記念の催しが行われた。
そこに降ってわいたのがこの問題だった。
日の丸が焼かれる。
抗議のために指を詰める。
「日本人お断り」のゴルフ場が現れる。
「竹島の日」に対抗して
「対馬の日」を定めようとの自治体まで出てくる。
韓国政府は「断固対処」の対日新原則を発表し、
やがて盧武鉉大統領は「外交戦争」と言い出す。
出版会こそ無事に終わったものの、私の心は晴れないままだ。
◇
いつか見た光景が目にだぶる。
日本の高校の歴史教科書が
「歪曲(わいきょく)」だと問題になり、
「反日」旋風が吹き荒れたのは、
私がソウルで留学生活を送っていた82年のことだ。
新聞もテレビも「日本はけしからん」で明け暮れ、
韓国政府は強硬姿勢を譲らない。「
克日」の言葉が生まれ、国民の募金で独立記念館ができた。
だが、あれから23年。
サッカーW杯の共催を経て、空前の韓流ブームの中にいる。
今年は「日韓友情年」と呼ばれ、
NHKの「のど自慢」も6月にソウルで開かれる。
『韓国と日本国』では
権さんと率直な自国批判を語りあったが、
大きな時代の変化を実感すればこそだった。
それなのに、これは一体どういうことか。
私も大きな戸惑いを禁じ得ない。
韓国が独島と呼ぶこの島に、こだわりが強いのは知っていた。
だが、これほどの熱狂を招くとは。
いささかあきれながらも、
今回思い知ったのは島に寄せる彼らの深い情念だった。
明治政府が竹島を日本のものとして
島根県に編入したのは1905年2月。
その秋に韓国が日本に強要されて保護国となり、
5年後に併合されてしまう。
だから、韓国にとって竹島編入は
植民地支配への第一歩と映るのだが、
裏を返せば、
戦後に韓国が強行した竹島占拠は、植民地解放の象徴ということになる。
いや、日本が自国領と主張する島の岩肌に
「韓国領」と大書し、
40人の警備隊員が
これ見よがしに駐留する姿を見ると、
ひょっとして、どこかで植民地支配への報復気分を味わっているのかもしれない。
日本が独立運動を容赦なく弾圧したように、
彼らも「竹島奪還」の動きには過敏に鉄槌(てっつい)を加える。
それが今度の騒ぎだといえば、意地が悪すぎようか。
◇
それにしても、にわかに広がった日韓の深い溝は、
両国の関係にとどまらない深刻さをはらんでいる。
まず、北朝鮮との関係だ。
核と拉致で「日朝」が最悪になっている折、
「日韓」の好転ぶりが救いだと思っていたのに、
これでは下手をすると民族と民族の対立になりかねない。
朝鮮戦争を仕掛けられ、
悲惨なテロの犠牲にもなってきたはずの韓国なのに、
いまは北朝鮮に寛大だ。
むしろ、拉致問題で強硬論があふれる日本に対して
「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければ」
と盧大統領が注文をつけるのは、
南北を超えて同じ血が流れているからに違いない。
これでは北朝鮮への包囲網どころではない。
韓国にも冷静に考えてほしいところだが、
日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。
それが韓国を刺激し、竹島条例への誤解まであおるという不幸な構図だ。
さらに目を広げれば、日本は周辺国と摩擦ばかりを抱えている。
中国との間では
首相の靖国神社参拝がノドに刺さったトゲだし、
尖閣諸島や排他的経済水域の争いも厄介だ。
領土争いなら、北方四島がロシアに奪われたまま交渉は一向に進まない。
そこに竹島だ。
あっちもこっちも、何とまあ「戦線」の広いことか。
そこで思うのは、せめて日韓をがっちり固められないかということだ。
例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。
ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。
見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。
周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、
ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。
FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける――。
島を放棄と言えば「国賊」批判が目に浮かぶが、
いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。
もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。
元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。
やがて「併合100年」の節目がくる。
ここで仰天の度量を見せ、損して得をとる策はないものか。
いやいや、そんな芸当のできる国でなし、だからこれは夢想に過ぎないのである。
※権五ギ(クォン・オギ)の「ギ」は王へんに奇
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↓
http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200503270067.html
から引用。
>島を取り返せる見込みはない
などと言っていますが、
自衛隊は、何度も竹島奪還シミュレーションをやっています。
結果は、いつも同じ。
ごく短時間で奪還完了、というものです。
なぜ奪還作戦をしないのか、というと、
韓国に多数の日本人が在留しているからです。
彼らが人質に取られることは目に見えていますし、
そうなると、実に厄介なのです。
正直いって、人質を取られたら、打つ手はないでしょう。
若宮は、韓国との友好のためなら、島を譲ってしまえ、と言っていますが、
韓国との友好は必要ない、という前提に立てば、
在韓日本人を強制的に引き揚げさせて、
奪還作戦を発動する、
ということが可能なのです。
竹島奪還は簡単にできるのに、それを困難にしているのは、
韓国との友好は必要だ、という前提なのです。
友好は必要だから、日本から企業が進出し、多数の日本人が在留しているのです。
友好なんか必要ない、という前提に立てば、
企業を引き揚げさせ、在留邦人も引き揚げさせることができるのです。
在留邦人がいなくなり、人質を取られる心配がなくなれば、
自衛隊は、心置きなく、奪還作戦をやれるのです。
友好のためなら、領土を譲ってしまえ、
これが、いかに間違った考えであるか、
以前の記事でも紹介した
冒頓単于(ぼくとつぜんう)の逸話を再び紹介します。
冒頓単于は、漢王朝の始祖、劉邦と同時代の人物です。
単于というのは、匈奴の王を表す称号です。
紀元前209年、冒頓は単于に即位します。
その直後、隣国の東胡の王が使者を送ってきました。
冒頓がもっている千里の馬という名馬をよこせというのです。

匈奴、東胡、漢の位置関係(勢力範囲は正確ではありません)
http://wsh1420.blog.fc2.com/blog-entry-61.htmlより転載
①

②

③

馬の次に東胡王が求めてきたのは、冒頓の后でした。
④

⑤

⑥

⑦

次に東胡王は、土地をよこせと言ってきました。
⑧

⑨

⑩

①~⑩は、横山光輝『史記』より転載
それまで、東胡王の求めに、唯々諾々と従っていた冒頓ですが、
土地に関しては、断固として、要求をはねつけたのです。
若宮の、友好のためなら、領土を譲ってしまえ、
というのとは、180度違います。
冒頓は、土地割譲に賛成した部下を斬った直後、東胡侵攻を開始しました。
冒頓を完全に甘く見ていた東胡は、滅ぼされました。
小さな勢力だった匈奴は、東胡を滅ぼしたあと、
どんどん勢力を伸ばし、大帝国を築き上げました。

紀元前2世紀の匈奴の版図
ウィキペディアより転載
土地は国の根本、領土問題は絶対に譲ってはならない、
正しいのは、冒頓の考え方のほうです。
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匈奴という国家は、武帝が即位するまで前漢帝国の主人であった。
漢王朝の創祖、劉邦が、匈奴の始祖の冒頓に敗れて以来、
ほぼ半世紀間、漢は匈奴の属国として貢物と公主をさしだし、平和をあがなってきた。
この点を認めたがらない中国史研究者もいるが、客観状況はそれ以外にない。
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↓
『遊牧民から見た世界史』杉山正明 日経ビジネス人文庫 から抜粋して引用。
公主というのは、皇帝の娘のことです。
紀元前200年の白登山の戦いで、漢は匈奴に敗れ、
公主を歴代の単于にさしだし、毎年貢物を贈るという条件で、
存続を許されたのです。
漢は、完全に匈奴の属国になった、としか言いようがありません。
匈奴が、そこまで強大な国になったのは、
冒頓がすぐれた指導者だったからです。
司馬遷も『史記』の中でそのように書いています。
若宮のように、友好のためなら、領土を譲ってしまえ、
というのは、冒頓とは正反対で、国を滅亡に導く考え方です。
最後に、若宮の訃報に対して、
http://jiyusoku.jp/archives/13103
にあったコメントを引用します。
>安倍の葬式出す前にお前が葬式出されてどうするんだよ(笑)
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