ミャンマーの上座部仏教の僧侶、

ウー・ジョーティカさんの書いた

 

『ゆるす 読むだけで心が晴れる仏教法話

 

という本を借りてきました本

 

「ゆるし」のテーマは何度でも訪れます。

 

私は以前の職場がとても苦しく、

そこから離れてもしばらくは

感情的なフラッシュバックがありました。

 

その時につくった感情的なカルマが

ふとした拍子に浮上する感じです。

 

感情の浄化をするのに

働いた年月と同じ2年の歳月が

かかりました。

 

もう、そこの部分のしこりは

ほとんど日常に浮上しなくなりました。

燃やし尽くしたかな……

 

いまは他者に対する強い感情は

あまり浮上しないのですが、

根強いのは自分自身を責め苛むという

「自分自身のゆるし」の問題ですねショボーン

 

 

本の中に、

「ゆるさない」ということは、

ひとつの自傷行為である。

という内容がありまして、

ほんとうにそうだなと感じ入りました。

 

他者を罰することも、

結局は自分自身を罰すること。

 

ゆるさないでいることは、

誰かを不幸の責任者にします。

ゆるさないでいる限り

その人に人生を支配されるのです。

 

それはつまり、

自分自身の幸/不幸の責任を

他人に握られている状態です。

 

 

『鬼滅の刃』で富岡さんが炭治郎に言う、

こんな名台詞がありましたね。

 

「生殺与奪の権を他人に握らせるな」

 

あれは、他人に自分の命を任せるな

と言っているのですが、

富岡さんの言っていることは

「ゆるし」というテーマにも関連する気がします。

 

他者をゆるすことは、

自分を愛することにつながっているし、

 

自分の人生の責任を負うことにも

つながっているのだなと感じます。

 

自分を罰することで

安心感を得ている部分があるうちは、

まだ自分の生き方の責任を負うことを

回避しているのかもしれません。

 

終わりなき、浄化の道。