東伏見に住んでいる知り合いに、

「ほら、あれが茨木のり子さんの邸宅」

と教えてもらったことがあります。

 

茨木のり子さん、そう、詩人のです。

2006年に、この東伏見の家で逝去されました。

 

その人はわざわざそれを私に教えたくて、

自転車で回り道をして茨木のり子邸の前を通ってくれたのでした。

 

図書館でいつか、『茨木のり子の家』という本を見たことがあって、

シンプルだけれど、美しくて丁寧な暮らしが感じられました。

その本には、家の内部、調度品などの写真が並んでいたのです。

 

ああ、あの感じの良い住まいは、この邸宅の中にあるのだなあ。

そう思いました。

 

▼茨木のり子さんを特集した雑誌。

 

武蔵野の文学をいくつか挙げてきましたが、

女性の言葉にも触れたいなと思い、

茨木のり子さんの『青梅街道』を味わいたいと思います。

 

武蔵野の自然を詠っているわけではないけれど、

高度経済成長で様変わりする青梅街道を、

独特の視点で切り取ってくれています。

 

 青梅街道
 
           茨木のり子

内藤新宿より青梅まで

直として通ずるならむ青梅街道
馬糞のかわりに排気ガス
いきもきらずに連なれり
刻を争い血走りしてハンドル握る者たちは
けさつかた がばと跳起顔洗いたるや
ぐずぐず絆創膏はがすごとくに床離れたるや


  くるみ洋半紙
  東洋合板
  北の誉
  丸井クレジット 
  竹春生コン
  あけぼのパン


街道の一点にバス待つと佇めば
あまたの中小企業名
にわかに新鮮に眼底を擦過
必死の紋どころ
はたしていくとせののちにまで
保ちうるやを危ぶみつ
さつきついたち鯉のぼり
あっけらかんと風を呑み
欅の新芽は 梢に泡だち
清涼の抹茶 天に喫するは誰(た)ぞ
かつて幕末に生きし者 誰一人として現存せず
たったいま産声をあげたる者も
八十年ののちには引潮のごとくに連れ去られむ
さればこそ
今を生きて脈うつ者
不意にいとおし 声たてて


  鉄砲寿司
  柿沼商事
  アロベビー
  佐々木ガラス
  宇田川木材
  一声舎
  ファーマシイグループ定期便
  月島発条
  えとせとら

 

誰かが茨木さんの詩を「清冽」という言葉で表しましたが、

時代に翻弄される人間存在への眼差しが、

澄んだ鋭敏な言葉の中に見て取れます。

 

羅列される中小企業の名前。

とてもリアルな具体性を持ったそれらの言葉は、

数多の広告看板の中のひとつであって、

目にする情報のワン・オブ・ゼムとして、

日常の光景の中に埋没しているものかもしれない。

 

けれど、その言葉の向こうには人間の労働があり、

おのおのの人間の生活があり、繰り広げるドラマがある。

 

都市の生活の中に埋没してゆく、

多くの広告看板の文字情報は、

それぞれに人の注目を引こうと必死だけれど、

長い年月に耐えうるもののいかに少ないことか。

 

人のいとなみの哀れみといとしさが、

青梅街道でバスを待つ詩人の眼差しを通して、

胸に迫ってくるようです。

 

▼若き日の茨木のり子さん。

Wikipediaより。