醍醐寺展を訪れた時に、心を動かされた絵がありました。

それは、訶梨帝母(かりていも)を描いたとても美しい絵でした。

 

片方の手に吉祥花(ここではザクロ)を持ち、もう一方の手で子供を抱く姿です。

 

 

訶梨帝母は、鬼子母神とも呼ばれます。

鬼子母神という呼び方の方が、だいぶ有名ですね。

 

夜叉・毘沙門天の部下である武将、八大夜叉大将の妻。

500人の子の母であったそうです。

それらの子を養うために、人の子をとって食べていたので、恐れられていました。

 

この残虐な行いを見かねたお釈迦様が、

彼女が最も愛していた末っ子のピンガラを連れ去って、隠してしまいます。

愛する末っ子がいなくなって半狂乱の訶梨帝母は、お釈迦様にすがります。

 

「千人のうちの一子を失うもかくの如し。

いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」

 

今までのあやまちを悟った訶梨帝母は、仏法に帰依し、

子どもと安産の守護神になったといわれています。

 

 

私はこの美しく描かれた訶梨帝母の絵の前で、

なぜだかわからないけど込み上げてくる感情があり、涙ぐんでしまいました。

罪深い世界に手を染めていたことも含めて、

この深い改心の物語が心の琴線に触れたのだと思います。

 

 

 

 

私が感動している横に、20代くらいのカップルがいて、

そのカップルの男性の方がしきりに訶梨帝母に憤慨していました。

 

「お釈迦様が赦したとしても、鬼子母神に食われたたくさんの子どもと親が浮かばれない。

こんな理不尽な話はない。

俺はこの話は絶対に納得いかないんだ!」

 

感動している私の横で、義憤にかられる男性というシュールな構図になってますがガーン

 

……でもね、私はこれ、わざと聴かされているんだと思ったのです。

最近こういうことが多い気がするんです。

悪人正機的な話とセットで、「それを赦さない」という激しい感情を見せつけられることが。

(※悪を為した人が、自分の行いの意味に気がついて真に改心した時、救われるとする)

 

 

インドには夜叉という、鬼神の一群がいます。

男の夜叉をヤクシャ、女の夜叉をヤクシー、ヤクシニーと呼びます。

 

鬼神には恐い側面もありますが、もともとは森林の精霊で、

人に恩恵をもたらすという側面も併せ持った神様です。

 

夜叉であった訶梨帝母が仏法に帰依し、

この絵のように菩薩相の慈悲深い仏様になったお姿に、心が震えたというお話でした。