村田沙耶香さんの『コンビニ人間』、読みました本

文庫版になるのを待ってましたビックリマーク

 

おもしろくて、一気に読んじゃいました。

 

 

おもしろい、と一言でまとめてしまいましたが、

そこには様々な感情が混じり合っています。

 

これは、「普通ってなんだ?」ということが貫かれている小説です。

 

書評を読んでみると、

主人公は何らかの発達の凸凹を抱えた人ではないかと書いている人が多い。

おそらく、そうなのだろうと、私も思いました。

多少なりとも、スペクトラムのどこかにかすっている自覚があるならば、

身につまされるように感じる表現が出てくるのではないかしら。

 

幼少期から家庭でも学校でも周囲から異物として扱われてきたことが、

主人公目線で淡々と語られていきます。

私は、途中で涙ぐみそうになる部分がいっぱいありました。

 

多かれ少なかれ、均質化を求められる現代社会の病理かもしれない、

と思う反面、小説中に書かれているように、

ムラにとって異質なものを排除しようとするのは縄文時代からそうなのかも、

とも思ったりしました。

 

 

「誰も普通を教えてくれなくて、

マニュアルのあるコンビニ店員になってはじめて、

人間になれたような気がする。」

 

この感覚、ちょっとわかっちゃうんだよなあ……

マニュアルがあるのは、規格化された社会的仮面があるようなもので、

その通りに振る舞えば、少なくとも世界の歯車の一部として引っかかることができる。

 

どうしたら、うまく引っかかることができるのか?

これは、私の中で結構切実なテーマとして常にあったように思います。

 

「気を緩めたら、みんなのいる世界から滑り落ちてしまう」

「滑り落ちてしまうのはとても簡単だ」

私の中にはこういう感覚がずっとあるんです。

 

異物感、

あるいは異邦人感、

あるいは宇宙人感。

 

どう表現してもいいけれど、

世界の中で異質な存在であると感じる感性を持っている人たちにとって、

世界とどう和解していくか(和解しない人もいるけど)というのは死活問題です。

 

 

この小説のすごいところは、

自分をはじいてくる世界への感情的な反発でもなく、

かといって安易な和解のハッピーエンドでもなく、

適度な無機質さを感じさせる(コンビニのような?)飄々とした態度で、

主人公に見える世界をクールにすくい取っているところではないかしら。

 

それがまた、妙にリアルで、この小説の凄みになっている気がします。

 

 

自分の感じている世界を自由に表現することができる、

小説というものが好きです。

主人公をジャッジするのは簡単、

でも、そういうことじゃないんだ。

 

 

少し前に書いた、

村田沙耶香さん出演の番組の感想をリブログしておきます顔クローバー