本日のテーマは「地味にすごい人」です。
この世の中は、地味にすごい人がいっぱいいて、
私はそういう人を見つけるたびに驚嘆し、ひそかに尊敬しています。
目立つ才能があったり、容姿が派手だったりすると、
注目を浴びる人生というのが待っています。
それはそれで、もちろん素晴らしいことも、
それゆえの大変さも背負って生きていくことになります。
しかし、そうではなく目立たない地道な人生の中で、
すごいことを為している人というのは、実はいっぱいいます。
小さな自分の暮らしを丁寧に生きている人だったり、
社会的な組織の片隅で、自分の矜持を持って地道に人を支えていたり、
誰に見られるでもなく、小さなよい行ないを重ねていたり。
こういう人たちは歴史に名前は残らないかもしれない。
けれど、世の中はこういう人たちの営みによって、
どれだけ支えられているか知れない。
そう思うと、なんだか胸が熱くなる今日この頃です
職場の同僚と話をしていると、様々な気づきがあります。
同じ体験をしていても、
感じ方が全く違うことに驚かされることもあります。
昨日も、同期と仕事帰りにスタバでおしゃべりをしていて、
「去年、一緒に研修を受けた12人のうち、残っているのは3人だね」
という話になり。
「せっかく辛いところをのり越えたんだから、細々とでも残りなよ」
と説得されました。
「ここの人は一人ひとりと話してみると、いい人だよ。
上の人たちは仕事できるし、すごく頑張っているし」
おお~、Sさんすごい
いつの間にか怖い先輩たちの懐に入り込むというすごい能力を発揮して、
ほとんどの先輩と委縮しないで話せる彼女。
「一人ひとりはいい人」と言う。
同じ体験をしても、私はへこんだり、委縮したりするような場面で、
ほとんど意に介さず、さらりと受け流す技を持っているSさん。
まさに、地味にすごいで賞を授与したい
「いい人ばかりいるのに、なぜああなっちゃうんだろう?」
という問いかけてみました。
「キャラが濃いからじゃない?癖が強いというか」
……ほ、ほぅ。
早い段階で辞めていったある同期は、
「この職場はみんな意地悪。誰ひとり好きになれない」と言っていたっけ。
私もそうだよなあと思っていた。
いまはひとりひとりの個性も見えてきて、いいところもそれぞれ言えます。
やってもいないことで人前で怒鳴られ、苦手だった先輩がいましたが、
現在はむしろよく話しかけてきて、私のことをかばってくれたりもするし……
それぞれが、自分のものさしで生きていて、
それぞれの義を通しているのでしょう。
信念体系、というやつですね。←もちろん、私にもある
いい人も悪い人もなくて、それぞれの主張がぶつかっている。
……ただ、こういう体質はもう古いってことだけはハッキリしていて。
世の中の流れを見ていてもわかるけれど、
昔ながらの体育会系のシゴキみたいなやり方、もうよいのでは?
いずれ崩壊していくんじゃないかと思います。
パワーをふるっている側は自分の義を通しているだけなので、
何が問題なのかほとんどわかっていないのですね。
パワーをふるわれた側が、一方的に身も心も傷ついて辞めていく。
そういうところにあまりにも無頓着な状況というのは、
私からすると「かなり変」に見えます。
このような在り方は、きっと崩壊する流れになっていくでしょう。
私が残っても、残らなくても。
おまけ
そして、別れ際、Sさんは自分の好きな宝塚のDVDを鞄から取り出し、
「彼女たちはもっともっと大変な女の園にいても屈することなく、
自分を輝かせてがんばってるんだ。
これを観たら、この職場の女の園の悩みなんてちっぽけだと思える。
……だから、これを観るべきだと思う」
と、私の手にねじ込んで帰っていきました。
……おもしろい人だなあ(笑)