お母さんが喜びそうなことは?


やっぱり、


独り立ちして

生きて行ってくれる事


じゃないでしょうかねえ。

私子供いないから

リアル母心分かりません

けれども。

母はよく、

「細胞分裂、細胞分裂」

って

言ってましたニコニコ

自分から生まれたものが

育って、一個の別の起点になって

また新しいものを

生み出して

って言う行き方をすべきって

思ってたんじゃないで

しょうかねぇ。


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昨日、この町に着いてから
散歩した。
泊まっているホテルの近くだ。
ホテルの裏は、
母が以前住んでいた施設だ。
(偶然、ホテル代が安かった照れ。)

に会いに来た時、よくこのホテルの一階に入っている中華料理屋に夕飯を食べに来た。ふたりともあんかけ焼きそばか中華丼ばっかりだったけど、母が完食することはまずなかった。

空気も匂いも懐かしい。
風が強かったけど
今住んでいる町よりは
余程温かく柔らかい照れ

道の奥に、この街の広範囲から見える小さな山の左肩が見える。

母に会いに来た時、
朝時々散歩に行った浜へ行く。
荒れてる‥波波波
この街は、
陸地の両側を海に挟まれている。

蝸牛(かたつむり)が
背のびをしたように延びて、
海を抱(かか)え込んでいる

と、小林多喜二が書いた地形だ。
反対側の湾の方は、
この街に着いた時は
凪いでいたけれど。
まーあ砂鉄がたくさん採れそうな砂浜でした照れ風紋が綺麗だった。向こうにみえるのは山の端っこ。

母と一緒にこの辺を
散歩したことはない。
この辺に住み始めた頃は、
もうそんなに足腰が
元気じゃ無かったのだ。
何が食べに行く時には
腕を組み、母が私に
より゙かかるようにして
私もしっかり支えきれずに
二人あっちへよろよろ、
こっちへよろよろして
歩いた。
ふたりともおぼつかなさに
笑いながら歩いた。
楽しかったな。

今日は、母の三回忌だった。
法要の日を
命日より早めたのは、
ある人の納骨と、
一緒になったからだった。
その人も、二人の子供の
母だった。

手向けられた花々を
活けた花瓶のどれにも
どれにも
カーネーションが入っていた‥

お寺本堂に掲げられていた井上雄彦画親鸞

(せっかくの母の日に暗い話題でゴメンショボーン