こんばんは!

おなじみのご訪問の皆様

ありがとうございます。

顔が痒かったり、薬が良く効いて

ちょっと15分のつもりがどーんと

5時間寝ちゃったりしてますが、

体と相談しながら

書いていこうと思います。

ありがとうございます。ほんとに

ありがとうございます。

 

あなたのよりどころは

何ですか?

どんな困難に遭遇した時も

立ち返ることのできる

そんな場所、ありますか?

 

そんなことを問われているような

講義だった。

 

戦禍の悲惨を撮り、

紛争の中の

心に神を住まわせる

優れた指導者を撮り、

戦禍でもたくましく生きる

人々を撮り、

人間、生きるのに真に

必要なものは何かを

教えてくれる先住民族を

撮り、

どんな境遇にあっても

生き生きと働き学び遊ぶ

子供たちを撮ってきた

フォトジャーナリスト氏の

今期の講義は

希望のないこの世の中で

希望であったり、力であったりを

つかみ取れるような

話をしたい、と話しておられた。

 

講義の会場は、

かつてフォトジャーナリスト氏が

子供の頃、店番をしていた実家。

氏の

アマゾンの先住民族の母子、

川で水を汲むアフガンの指導者、

はにかんで笑う子供、

自分の幼少の頃の家族写真。

いろいろな写真が所狭しと

貼られた会場は、

なぜかとても気持ちが落ち着くのだ。

私はアマゾンの

少女のような全裸の母親が

やはり自分の腹の上に全裸の

子供を乗せて

微笑んだ、その笑顔が大好きだ。

 

氏が講義をするこの会場は

昔は商店だったそう。

樺太などからの引揚者が

多く住む町で、

炭鉱住宅みたいな長屋が

並んでいたそうだ。

 

ここには牛乳、ここには調味料、

あそこにはパンもあったな、

調味料のところには

地震が来ても落ちないよう

ワイヤーが張られ、

地震が来ると家族で押えに

行ったと

両腕を広げ壁にっくっついて見せた。

子供のころは店番をさせられ

店に来る客の対応が面倒だったそうだ。

 

氏の写真の旅は、

南米のカンドンブレから

始まった。

アメリカ大陸にアフリカ大陸の

人々を「運び」、奴隷として

使役したのは、

アメリカ大陸の先住民が

白人の下で労働して死んだり、

白人の持ち込んだ感染症で

死んだりしたから。

 

彼らの土着信仰と

大陸の白人から

押し付けられたキリスト教が

融合し、

女たちは白いドレスを着て

その舞踏に参加するそうだ。

手に持つ心を浄化してくれる箒は

その昔、

お前らは教会の階段でも掃いておれと、

白人が渡したものだ。

それを、「運ばれてきた」人々は

不屈の強さと笑顔とユーモアで、

自分たちを浄化するもののシンボルと

して

生まれ変わらせた。

 

奴隷貿易でアフリカから連れ去られた

黒人は1250万人。

1250万人の働き盛りの人々が

連れ去られ、そのことで

アフリカは発展が遅れた。

今その賠償金問題が国連などで

追及されており、

昔の宗主国の賠償金総額は

1000兆ほど。

支払いをしり込みする国が多いと言う

 

次にはアフガン、バンシールの獅子と

呼ばれた指導者マスード。

氏はアフガンがソ連と泥沼の闘いを

している時に

マスードに17年、500日取材する。

 

心に神を住まわせている人だったという。

 

捕虜には一番最初に食事をさせ、

同じ部屋で眠った。

「彼らは何も知らずにここにいるのだから」

と。

私も氏の『マスードの戦い』を読んで、

マスードの信仰心を知った。

神様の喜ぶことを為そうとする人なのだ。

マスードの写真は、眉根にしわを

寄せている写真が多い気がする。

多くの苦悩はあっただろう。

氏が夜中起きると、

中庭のクルミの木の周りを

マスードが歩きながらコーランを

唱えていたと言う。

神と、自分と対話していたんだろう

と思う。

彼が祈りを捧げる写真を氏は撮って

いるが、

とても美しい姿だった。

 

アフマド・シャー・マスード

 

マスードの話をしている途中、

氏が少し泣いた。

マスードとは、素晴らしい人

だったんだな、と思った。

人前で、涙を流せる氏も、

素敵な人だと思った。

亡くなっても今なお人の心に

影響を与え続けるマスードも

彼の教えを伝え続ける氏も、

きっとそれぞれの神様に

喜んでもらえるだろう。

 

戦場カメラマンとして出発した

氏が子供の写真を撮り始めた動機は、

彼らが親のお手伝いをして、

物を売ったお金をすべて

(くすねずに)親に渡していたから

だという。

 

氏は、自分が親の店を手伝った

時は

くすねては漫画を買ったと言っていた。

 

「お、偉いなこの子たち」

 

そして撮った写真を良いと

言ってくれる人が現れ、

いろんな国のいきいきとした

子供たちを撮ってゆく。

 

どこの国だっけなあ…この写真大好きだ。

 

氏の旅は、

こんどはシベリアのネネツ。

トナカイを飼い、

トナカイを日々の糧とし、

トナカイの毛皮で衣類や靴を作り、

トナカイの肉を商ってお金に換える。

彼らの心はトナカイへの愛と感謝で

いっぱいだという。

人には何が必要か。

彼らは、さまざま先祖の知恵が一番

便利で役に立つ

と言うそうだ。

東日本大震災の時、先人が立てた塚の

ところまでは波は来なかった。

日本の先人も、ここより下へは住んでは

ならぬと、

教えてくれていたのだ。

獲りすぎない、奪わないという知恵は

ネネツは今でも、日本にはかつて、

あったのだ。

 

氏の旅は、水俣、沖縄へ。

沢山の様々な思いがあって

語りつくせない、と仰っていた。

病気に苦しむ人々を下魚を喰らうと

蔑み、隠ぺいした会社側、

口をつぐむ医者、

そんな中で立ち上がり、国会へ

乗り込む人、

胎性水俣病の子供を抱き

 

「この子が私の毒を全部吸い取ってくれた」

 

と愛おしそうにする母親の話。

世の中はどうして、

こんなに悲しい母親を生み出すのだろう。

 

沖縄は、ひめゆり部隊の潜んでいた

ガマの写真。

こんなところに娘さん達が、

と思う。

狭くて暑くてきっと泥だって

被ったろう。

軍隊は、

戦えと

言いながら

敵が近づくと逃げてゆく。

ひめゆり部隊はそれまで

戦えと言っていた軍隊から

いきなり「解散」と

言われたそうだ。

 

どうしてよいか分からない

女学生たちは、

自決を選ぶものもあった。

 

時間が迫ってきて、

旅の最後に。

 

「私が人の中に入って

子供たちと話しながら

写真を撮ってこれたのは、

この店での、お客さんとの

おしゃべりがあったからだと

思います。

あの頃はめんどくさいなあと

思っていましたが

ちゃんと役に立ってたんですねえ。

 

この商店から始まり、

あちこち行って

またここに戻ってきて講義

している

一つサークルができて、

これで終わりじゃないですよ?

またこれがどこかへ

繋がっていくかもしれない。

新しいサークルを作るかもしれない。」

 

あたしだって

だれだって

きっとサークルの上にいる。

どんなサークルなんだろう。

そしてこれから、

どんな軌跡を描くんだろう。

なんだかそんなことを考えて

ちょっと人生深まった気がした照れ

 

あたしの街が世界に誇るフォトジャーナリスト長倉洋海氏。

10~11月に東京で写真展なさるそうです