なりたいなあって

いつも思ってるよ。

思い立ったら即行動派

 

知り合いにそういう人がいる。

行動力があるっていうか、

年上なんだけど、

その人と動くと話が早い。

私も遅れじと頑張るから、

さっさか片付く。

ものごとがポンポン決まる。

その人、興味を持ったら一度は

「齧る」。

お茶、お花、書道、朗読、

ボート、エアロビ、日本酒、ワイン

etc、etc…

宴会の企画もすれば

もちろん幹事も買って出る。

 

いろんなところに顔を出すから、

知り合いもいっぱい。

彼女と街を歩いていると

ほぼ必ず彼女は誰かから

声を掛けられホント驚く。

 

性格もサバサバ。

悪口も非難も聞かれない。

一度だけ、町内会の運営を

厳しく批判したことがあった。

最後、

「だからね、私、立候補しようと思うのよ」

批判だけじゃないのである。

(結局「謎の力」によって、

運営の人たちは選挙も行わず

運営の座に座り続けたらしい)

 

あれだけ行動しているのだから

失敗もあると思うし、

周囲が必ずしも

彼女に好意的な人ばかりっていう

ワケじゃないと思う。

でも彼女、そんな人たちへの

愚痴を聞いたことが無い。

 

もう一人、即行動派の

はなはだしいのを知っている。

私のママだ。

あの人も動くのは早かった。

京都旅行に行った時。

「あ、ここに行きたい」

と言ったので、

ガイドブックを開いて

どのバスに乗ったらいいのか

調べているうちに

歩道の端っこに出てタクシーを止めている。

即断即決と言うか、反射というか。

父の退職金の一部を奪って

店を開いた時も、

友達に手伝ってもらって

家財道具を整理し

自分で歩いてみつけてきた

老人ホームへ転居したのも、

 

ホントに脳まで行ってる?

もしかして、背骨からダイレクトに

返してない?

と思う位、行動は早く、

鮮やかだった。

 

二人に共通するのは、

自分の頭で考え、行動に移し、

責任を引き受けることだろうか。

 

即行動の彼女に言われた事がある。

「照子ちゃん、自分がどうしたいかなんだよ」

と。

人がどう思うとか、こういう時は

一般的にこういう行動をとっといたほうが

あとあと無難とかじゃなくて

「自分がどうしたいか」が判断基準。

 

あれがないから、これがないから、

批判を受けそうだから、

理解を得られないから

協力してもらえないかも…

いろいろネガティブな妄想を

しているうちに、

時間が経ってしまうのだ。

後に残るのは

何もしなかった、という後悔

くらいなもんじゃなかろうか。

 

母は病院に検査入院したというのに

肺炎を見逃され、

大きな病院に緊急搬送された。

その病院を退院したときには

体力を使い果たし、

1日のほとんどをベッドの上で

暮らすようになっていた。

訪れた時、

「これでもね、私、時々

ふふふって、思い出し笑いすること

あるのよ」

と笑顔を見せた。

気丈で喧嘩っ早かった母が穏やかで、

どことなく満足げに見えたのは

母の生きた時代の女性にはめずらしく

自分で考え、自分で決断することが

多かったからじゃないだろうか。

その分、苦労も多かったように

見えたけれど。

 

熟考の上ようやく腰を上げるのも

人生必要な時があるかも

知れないけど、

「こうしたい・こうする」の

決断は、早い方がいいんじゃないかな

と思う。

 

最近ようやくこんなのの開いてないやつが出てきた。早いのは開いてます。もうすぐあすこはフキノトウパラダイス~春ですね。

 

 

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