あなたのお父さんはどんな人?

 

父ですか?

何度か書いたけど、

いろいろ病気を持ってる人でした。

リウマチでしょー腎臓でしょー

薬物アレルギーとかもあったのかな。

血圧高かったし。

脳梗塞で斃れてから

心臓にも疾患があることが分かった。

 

小学校5年の時

高熱出して真っ赤な顔して

布団に寝ていたと思ったら

入院して、

一時帰宅できるようになったのは

高校1年の時だった。

 

私と弟は、

「鍵っ子」

になった。

今では夫婦共働き当たり前だけど、

ムカシはたいていの家庭では

母親が一日家にいて

「家庭を守って」(何から?)いたのね。

その母親が、

家計の為に働きに出ると、

下校すると家の中は子供達だけ。

周囲から母親が家に居なくて、

「可哀想ね」

と言われ、

「寂しいから非行に走る」

と危惧された。

 

娘心に、

「『鍵っ子』だから、って

言われないようにしなくちゃ」

って気を引き締めたような気がする。

 

父は退院してからは

いつも仏頂面で、

茶の間のソファに横になって

テレビ観てる人だった。

あんまり喋らない人だった。

前を通ってたまたま

足にぶつかったりすると、

スゴク嫌な顔をした。

リウマチって身体が痛くなって

動きも不如意になる病気だからね。

布団の重さが痛いと言って

父だけ特別誂えの、

軽くて暖かい布団を作ったくらい

身体が痛かった。)

仕方なかったんだけどね

鬱陶しかった。

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
でもね。
今なら、辛かったろうなアって思う。
以前ほど働けないし、
欠勤は多いし、
親方日の丸じゃなかったら
クビになってたって
母は言ってた。
(父は国鉄職員でした)
仕事も閑職に回されていた
ようだった。
入院中も、
これ以上欠勤が続けば
(欠勤扱いだったのか休職扱い
だったのかは知らないけれど)
退職も仕方がないというところまで
いくと、
病院から出勤していたらしい。
 
働き盛りに働けなかったことも、
能力とは関係なく閑職に回された事も
具合が悪くても仕事しなくちゃ
ならなかったことも、
どれも相当辛かったろう。
 
子供達のために、歯を食いしばって
頑張ってくれた
 
でもそんなこと、
一言だって恩着せがましく
言うひとじゃなかった。
(世間には自分がデキ婚して、
「オマエが生まれたせいであの女と
結婚しなくちゃならなくなったんだから
責任取れ」と娘に迫る父親もいるらしい)
 
だったんだなあ。
 
そんなことを、
父が亡くなってから
母から聞いた。
 
すげぇな、お父さんって思った。
夫の父も公務員で、
長く勤めた労に国が報いて
叙勲を受けた。
病身を押して働いて頑張り抜き、
子供2人を育て上げた父は
無冠である。
なんだか理不尽だと思った。
 
父はもう20年近く前に逝ったし、
母は去年鬼籍に入った。
ここで父のことを書けて、
良かったな照れ