今でも覚えてる一番幼いころの思い出は?

 

むかし父の父、つまり祖父の葬式で

迷子になった。

これはどこかに書いた。

 

3つか4つの頃だ。

葬儀中に便所に行きたくなった。

父の実家は、便所が外にある。

連れて行ってもらって、

きんかくしに絵が描いてある

便器にまたがって用を済ませ、

外に出たら誰も居ないびっくりびっくりびっくり

とにかく通りに出たら、

葬式やってた家とは

違う家の前に出たえーんえーんえーん

(むかしは家で葬式もやった。

きっとベ●コとかも

なかったんだろうなあ)

 

私が泣いたのでその家の奥さんが

交番に連れて行ってくれた。

結局母が迎えに来てくれたけど、

親族大騒ぎ、

お寺さんお帰りになってしまう、

母は親族に大目玉。

 

でも後から知ったけど、

私を便所に置いて葬儀に

戻っちゃったのは

実は私の父でした。

小さな娘が

殆ど訪れたこともない家の便所から

帰ってこれると思ったんだなあ。

 

置いてけぼりにしたのは父だけど、

親族に

怒られたのは何故か母だった。

 

まあ今なら、

なんでもヨメが悪いんかいむかっ

と思ったりするけれど。

 

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もうちょっと前の記憶がある。
実に私らしいなと思う。
自己肯定感低くて、
いじけてて、
人間不信。
そう、おむつがとれるか
とれないかの頃じゃなかろうか立ち上がる
その頃からヒネてたんだなあ。
 
チラシの裏に、私が
えんぴつで落書きした。
なんだか丸の中にまた丸を描いて、
点々がいっぱいついた、
なんだかさっぱり分からない、
絵ともつかない
落書きとしか言いようもない絵だ。
それを見て、
母と、もう一人誰かいて、
(多分母の姉じゃなかろうか)
その絵を、
あろうことか上手いと言って
スゴク褒めた。
 
私、何も言わなかったと思う。
言葉を知らなかったのかも知れない。
でも、腹の中で
 
こんなの、上手いワケないじゃない。
ウソつき。嬉しがらせえー
 
みたいな事考えてた。
人の褒め言葉くらい、
素直に喜べって思う。
小生意気なガキだったんだなあ。
三つ子の魂百までで、
これから十数年経って、このガキは
高校の先生から
 
オマエは理屈っぽくて意地っ張りだ!
 
と吐き捨てるように浴びせられる。
 
烏丸さんてはっきり断るよねむかっ
 
は理屈っぽくて意地っ張りから4~5年後だ。
 
アンタみたいなのが生徒に居たら
扱いにくかったろうねエニヤリ
 
と教師をやっている友人に言われた。
生意気で理屈っぽくて意地っ張りなのは、
子供(ってか赤ん坊)の時からだったんだな照れ
 
それでもこの頃はようやく
理屈だけじゃものごと解決しないって
分かって来たかしら。
理屈だって、私のワガママを通すための
屁理屈だからして、
私に解決できることはとても少ない照れ
郷里の国宝。割ととぼけた顔に見えた。
人間ぽい照れ