(5月22日;これを私の親族・血族が読むとは思えませんが、一応公開範囲を限定させていただきます。)


 令和4年5月30日

公開限定の必要がなくなったったので

全体に公開します.


むかしから漫画が好きだった。

好きだったんだけど、

本屋さんで立ち読みして、

アタマに入ってこない漫画は、

好きじゃなかった。

(40年くらい前までは、単行本も週間・月刊誌もビニールカバーがかけてなくて立ち読みが出来た照れ

買わなきゃないからだ。

お金ないし、だから買わないし、

結局読めないのだ。

私には、

萩尾望都がそんな漫画家の1人だった。

だから今も昔も人気漫画家なのに、

読んだ漫画は数えるほどしかない。

それも人に借りてだ。

(同じ様な漫画家に三原順がいましたね。『はみだしっ子』は確か全巻友人に借りてよみまひた照れ

同じ中学校から同じ高校へ進学した女の子が、

萩尾望都の代表作の1つ、

『ポーの一族』を貸すという。

美人でアタマがよくてグラマラスで、

医者の娘だった。

広くてキレイな家まで行き

全5巻を借りてきた。

読んで、やっぱり分からなかった。

にも関わらず

ああわたしこんな風に

この世から消えていきたい

と思った。

エドガー・ポーツネルの妹メリーベルだ。

この兄妹はヴァンパイア。

ひ弱で人間の信仰心を恐れていた彼女は

正体を見破られて鉛玉を撃ちこまれ、

まるで砂が指の間から零れ落ちるかのように

はかなく、跡形もなく一瞬で消える。

驚きに目を見開いたまま崩れ落ちて消えていくのだ。

まさしく雲散霧消。

こんな風に、この世辛い無くなる時には、

あとかたもなく

サラっと、何の痕跡も残さず消えたい。

これが私の,

理想の死にざまになった。

メリーベルは、兄エドガーの心に

いつまでも残るのだけれど、

そんな人が

一人くらいは仕方がないかな。

 

あれから40年以上。

子無し、友人少なく、

血のつながりがあるのは母と弟。

父は既に鬼籍に入った。

 

弟とは北海道の端と端に住み

年に何度かラインメッセージを

取り交わすくらい。

数十年暮らした、

子も成さなかった縁の薄い女を夫は

どう思うだろう。

着々と、

理想の死にざまを実現できそうな

土壌が整ってきている気がする。

 

さて、そんな時

母の施設から電話が入った。

施設の人は、

母の近況を伝えた後

 

面会の際は、お部屋にお通しします。

面会時間も長くおとりします。

 

と言った。

2月に面会に行きたいと言った時には

 

現在のコロナ禍では、

今会わせないと

二度と会えない方以外は、

折角遠くからいらっしゃっても

施設ロビーでガラス越しに

15分の面会です。

面会だけにおいでになるのなら

もう少しお待ちになった方が

いいと思います

 

と言っていた。


電話を切ったあと、泣いた。

疲れるほど泣いた。

(おかげでいろいろ考えずによく眠れたけれど)

息をしているだけでもいいから、

生きていて欲しいと思った。

この人がいたから

旦那の姉さんがどうとか、

職場の同僚がどうとか

愚痴りながらも、

私は安穏と

気持ちを楽に生きてこれたのだ。

この人は、私と故郷を、

私と弟、弟の家族を

繋いでいてもくれた。

老い、病を得、ベッドに横たわるだけの人でも、

私にとっては重くて大きくて

欠けがえない人なのだ。

私を、これまでも、

今も、

これからも

ずっと、心から心配し続けるただ一人の人。

 

きっとそれが「母」なんだ。

そんな、根源みたいなものに

私もメリーベルも、なれなかった。

それじゃ

どうやったって

雲散霧消しか残っていない

ということか。

 

私の大好きなヘッセの小説『知と愛』の最後

死の床にあるゴルトムントが

師であり友である修道僧ナルチスに言う、

 

「ナルチス、君が母を持たないとしたら、

いったいどうして死ぬつもりだろう?

母がなくては、愛することはできない。

母がなくては、死ぬことはできない。」

 

ああ母とは、

いろんなものの根源なんだな。
いろんな痕跡をリアルの世界に

人の心に、残してゆくんだな。

 

薄っぺらだなと思うあの女も、

意地悪なあの女も、

不倫してるあの女も、

うるさいだけの女も、

母になるということは、

偉大な根源になるということなんだ。

 

なんだか混乱するアタマで

母と愛と死について、考えて

ぐちゃぐちゃになった。

 

miniformat65によるPixabayからの画像